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恩田陸「蜜蜂と遠雷」 [創作・表現・作品感想]

3月18日

げげ・・・「蜜蜂と遠雷」、ほんとうにつまらないかも・・・
延々と、コンテストらの演奏がいかにすごいか・・・の場面が続き・・・辟易。

架空の現代曲の演奏の素晴らしさを延々と描写・・・さすがに、すっとばした。

人間ドラマがうすく、とにかく主要コンテストらの演奏がすごい、すばらしい、という場面ばかり。
いやあ、天才が勢ぞろい。

わ、わからん、なぜ、これが好評で直木賞をとったんだ・・・???

アマゾンの低評価レビューに同感。

漫画チックでも、おもしろければ、「ピアノの森」に似ていても、全然ありと思っていたけど・・・こ、これは、つらい。

それでも、不特定多数の人たちがおもしろいと絶賛する作品が、おもしろくない・・・
きっとワシの感性はずれにずれているのだろう・・・致命的だよな。


3月16日
ピアノコンクールを描いた「蜜蜂と遠雷」(恩田陸)を読んでいる。

いやあ、この主人公、もろ「ピアノの森」の「カイ君」じゃん? と思った。
主人公は「天真爛漫な美しい少年」のようだ。ピアノの音も通常では考えられないほど、防音の壁を超えて、でかく鳴らせる・・・みたい。
いや、物理の法則は守ってほしいよな、漫画じゃないんだから。


主人公は美少年かあ。
・・・やっぱブサメンピアニストじゃ興ざめだよなあ・・・ブサメンピアニストだと、物語にならないかあ・・・
けど現実、ブサメンだったら、やっぱ審査に影響を与えるのだろうか・・・なにしろ「オーラがあるかどうか」なんていう視点で審査されることあるからなあ・・・ぶっちゃけ「こいつ、ピアニストとして売れるか? 人気が取れるか」ということなんだろうけれど。

男も容姿が問われるのが当然の時代となり、うむ、男女平等じゃの~と思った。
架空世界ではブスなピアニストがいないのと同じく、ブサメンピアニストもご法度なのかもな。

まだ、最初の方しか読んでないけど・・・

アマゾンのレビューには「のだめ+ピアノの森+いつもポケットにショパン」というコメントもあって・・・漫画みたいなお話なのかもなあ。

主人公の演奏が「ギフトとなるか、災厄となるか・・・」って、バレエ漫画「昴」を思い出すぜ。

いや、『災厄』って現実、そんな大層なものじゃないって。
ユニークな演奏・個性的な演奏、大いに結構。だから、おもしろいじゃん。でも「災厄」っていうほどの演奏って何^^;たかが演奏じゃん。

演奏の毒について語られるわりには、人間性のほうは『毒』がなさそう。
皆、いい人っぽい。悪人がいなさそう。
芸術家なのに、登場人物である音楽家たちは、けっこう「まともで、まっとうな人たち」のようだ。


・・・『天真爛漫』というと、安倍昭恵さんを想うぜ。

おっと、ここで『災厄』とつながるかあ・・・?
天真爛漫な人間と災厄。

その天真爛漫な安倍夫人のことを人格攻撃している人たちの毒々しさよ。

うむ、なんだか現実のほうがおもしろいよなあ、架空の物語世界より。
それは「毒」があるからかもなあ。

この小説、「人間の毒」はなくて、キャラには魅かれないけれど・・・
ピアノの練習をしようと思ったでござる。それだけで、ワシにとっては価値ある小説じゃ。


※劇中【――ピアノから、いや、ステージ上の大きな直方体の空間全体から、音の壁が飛び出してくるようだ
――観客は、その音圧に、飛び出してくる音楽に吹き飛ばされまいと、席で踏ん張って必死に耐えている】という表現に・・・笑ってしまった。いやあ、まさに漫画だ。すげえ、芸術。

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イジメと不登校問題・「君たちはどう生きるか」VS「かがみの孤城」辛口で語る [創作・表現・作品感想]

追記その2。

友情について。

「みんな、一緒に殴られようぜ」という空気に一時は高揚し、約束してしまうコぺル君。

が、実際に友人らが暴行を受ける姿を見て、『一緒に殴られる』というその約束をやぶって、逃げてしまうコぺル君。

でも、これって、友だちへの裏切り・・・なんだろうか。

その場のノリで「僕も一緒に殴られる」=『みんな、一緒に』っていう空気にもやもや感。

そうそう、アメリカの高校で・・・「白血病の女子生徒が抗がん剤治療のため、髪が抜けてしまったため、クラス皆(女子も)が丸坊主=スキンヘッドになって、退院し登校してきた女子高校生を迎える」という話を思い出した。

皆一緒に、同じ姿になろう・・・アメリカでさえ、そういう話が『感動的』と捉えられるんだよなあ。

中にはきっと坊主になるのを嫌だった子もいるだろうに、同調圧力がかかり、嫌とは言えないよなあ。

んで、この実話、「友情」というタイトルで、日本でも映画化された。

友情ね・・・。

これ、一緒に殴られる、と同じ構図かも。

一緒に坊主。
一緒に殴られる。
一緒に同じ目にあう。

一緒ならそれでいい?
安っぽい友情。

特に、暴行を受けた場合、下手すりゃ大怪我を負ったり、障害が残ったり、運が悪けりゃ死んだりする。
逃げればよかったと後悔することもありえる。

坊主になるのだって、その場の空気で「私も坊主になる」って約束したとしても、いざ、バリカンが入る時は逃げ出したくなったりして。それで実際に逃げたら、卑怯者? 裏切り者?

うん、やっぱり「君たちはどう生きるのか」は、ワシの価値観には合わなさそう。
殴られている友だちを見捨てたとされるコぺル君、そのことで罪悪感に苦しむコぺル君だけど・・・
そもそも、一緒に殴られる必要はないだろう。

一緒に殴られることを良しとする・・・それが受け入れられない。

同じく、女子も含め皆で坊主になる「友情」も気持ち悪い。

殴られることが怖くなり、約束を破り、逃げることを裏切り行為=「いけないこと」という話に違和感。

これって・・・皆、一緒に命を捧げよう・・・特攻隊の話にもつながっていくよなあ。

皆で一緒に嫌な目に合おうって約束しつつも、やっぱ直前になって、逃げることを裏切り行為、恥ずかしい行為とする価値観って、恐ろしくないか?

一緒に嫌な目に合おう・・・坊主になる、殴られる、がOKなら、一緒に死のう、命を捧げようもOK?


追記。

違和感もつ「君たちはどう生きるか」

http://sayadaiharu.blog.fc2.com/blog-entry-411.htmlより
【浦川君は、もし北見君が殴られることになったら「北見君を殴るんだったら、僕らのことを殴れ」って言うんだ。水谷君とコペル君も同意し、4人の約束が成立します】

友だちと一緒に殴られる・・・ああ、なんて素敵な友情・・・とは思わん。
いや、少年漫画の世界ならたしかに一緒に殴られることは友情かもしれんが・・・

ワシは一緒に殴られるのは嫌だぜ。

殴られないよう、暴力行為を受けないよう、回避するように、予め、策を講じておくほうがいいのでは。

まず皆で逃げる、逃げられなくても、4人のうち、1人は逃げられる。そして、周りの大人、周りの人に助けを求めるようにする。

なぜ、理不尽な暴力を一緒に受けなくてはいけないのだ?

それよりも、山口君をもっと徹底的に叩きのめし、こちらを恐れさせるくらいに、叩きのめせば、復讐されなかったかも。

なのに、いじめられっこの浦川君は、山口君を中途半端にかばってしまった。

山口君がここで反省すれば問題なかったけど、ま、反省するくらい人間ができていれば、最初からいじめないだろう。

そう、そんな中途半端なことで反省などしない。それが現実だ。

仕返しなど考えさせないくらいに、徹底的に叩きのめすべきだった。

そういう考えは『悪』なのだろう。
「君たちはどう生きるか」にそぐわないだろう。

でも、だからといって、理不尽な暴力を甘んじて受けることが友情なのか???

逃げたコぺル君は、裏切ったことになるのか?

悪いのは、反省すべきは、コぺル君ではなく、山口君だろう。

でも、大人たちは山口君への説得の言葉を持たない。

やはり、「君たちはどう生きるか」の価値観には共感できない。



本文。

※漫画「君たちはどう生きるか」について参照サイト。
http://true-buddhism.com/teachings/howyoulive/
https://www.flierinc.com/summary/1295
http://sayadaiharu.blog.fc2.com/blog-entry-411.html


話題になっているため、各方面から「どんなお話か」が伝わってくる。
ワシは現時点で未読ではあるが、その伝わってくる内容、漫画版の絵柄から、「やっぱ自分には合わなさそう。でも話題になっているしなあ」と思いつつ、図書館で予約した。読めるのは数カ月先だろう。

それでも、伝え聞くあらすじから、「う~ん、なんだかなあ」と思った点を語ろう。

注・・・ワシは「君の名は」も「かがみの孤城」も、さほど心を動かされず、皆が「よかった、よかった」というほど良く思えなかった・・・世間一般と感性と価値観がずれている人間であることを前置きしておく。


さて、なぜ今、これを取り上げるのかと言うと、その前に、同じく「イジメ」「不登校」をテーマにした『かがみの孤城』を読んだからだ。

異世界である『孤城』で知り合った『イケメン紳士・王子様リオン君』が、リアル世界で主人公・女子中学生の目の前に現れ、主人公の望みでもあった『レベルの高いお友だち=イケメンが私を選んでくれそうだ』という終わり方に「おいおいおい」と白けてしまい、『かがみの孤城』をさほど高く評価していないワシであるが・・・

唯一「これは現実的だ」と評価した点がある。

それは・・・イジメにあい、不登校となった主人公・女子中学生が、最後まで、いじめっ子加害者と和解をしなかったこと、話し合いに応じず、とにかく関係を断つことを選択し、その意志を親とカウンセラーがすんなりと認め、応援したことだ。

主人公は不登校という手段で逃げ、加害者とは距離を置き、
大人たちはそれを認め、無理に和解をさせようとしなかった。

でも、「君たちはどう生きるか」に感動する大人たちは、そんな解決法など良しとしないのかもしれないな。

「君たちはどう生きるのか」は、「勇気をもて」「逃げずに立ち向かえ」という感じ。

うん、昔はそう教えられてきた。それはたぶん「正しくて立派なこと」だ。
それができる人間はそうすればいい。

だが、今の時代の価値観では「逃げてもいい」「無理しなくていい」「立派に生きなくてもいい」のである。

それでも・・・
「君たちは~」のコぺル君、友人が暴力を振るわれているところから逃げ、あれほど後悔するならば・・・暴力事件が起きた時、周囲の大人たちのところへいって、大人たちに止めさせるという選択肢はなかったのか?

というか、すでに友だちが、上級生に目をつけられ、あぶないことを悟っていた。
その時すでに大人に相談することもできたはず。

それだって勇気ある行動だ。

それとも、先生や親に介入してもらうのは、卑怯?

あの時代の価値観であれば、そうだろうけど、今の価値観は違ってきている。

そう、時代が違うから仕方ないけど、「君たちはどう生きるか」は、子どもたちの問題に大人が深く立ち入ってない。
「おじさん」も、コぺル君に教え諭すだけだ。

そして「君たちはどう生きるか」では、バカにされてイジメられていた子が、そのいじめっ子を許す場面がある。

ここがとてもひっかかった。

そう、「かがみの孤城」では、主人公は加害者いじめっ子を決して許さなかった。

いじめっ子からの真の謝罪などない。その場の形だけの謝罪でおわりにされることが目に見えるから。

そもそも、バカにしている人間に、心からの謝罪などしない。
バカにしているからこそいじめるのだ。

※案の定、「君たちは~」では、いじめっ子は反省などせず、兄に仕返しを頼むのだ。


うん、「かがみの孤城」のほうがリアル。
対する「君たちはどう生きるのか」は、きれいごと。

「君たちはどう生きるか」では、いじめっ子が制裁を受けていたところを、イジメラレっこが「許してやって」と勇気を持ってかばい、大声で発言したのは・・・いやあ、立派すぎ・・・きれいごとすぎて、非現実的。

ワシはこれを知って、一気に白けた。

そんな勇気がある子は、そもそもいじめられないよなあ。
それほどの勇気があるなら、なぜ、バカにされからかわれた時、「やめて」と大声を出さなかった? とも思う。

※もちろん、時代の価値観がある。今だって、「いじめられていることを親や先生に相談するのは恥ずかしい、親に心配をかけたくない」という気持ちを抱く。自分が我慢すればいい、と。


とにかく「君たちはどう生きるのか」は、今の時代と合わないのでは? これを子どもに読ませてもなんだかなあ、大人のノスタルジーを押し付けていることになるのでは、とすら思ってしまう。

いやあ、20代、10代の人、ほんとうに「君たちはどう生きるか」に感銘を受けているのか?

ワシはこのイジメ問題、解決法、考え方・価値観については、全く感銘できず・・・特にいじめられている子にしてみれば「きれいごと」を押し付けられる迷惑な本では、と思う。

これなら「かがみの孤城」のほうがずっといい。


「かがみの孤城」の、「お勉強もスポーツもできて容姿もいいレベルの高いお友だちが、私を選んでくれる」というムシのいい望みを抱き、いじめっ子とは和解せずに許さなかった主人公は、リアルと言えばリアルだ。

※ラストの、『レベルの高いイケメン王子様』がリアル世界に現れ、主人公のムシのいい望みを叶えるところがなかったら、よかったのに。


対して「君んたちどう生きるか」・・・
この作品に感銘を受けたという著名人の方を見ると、「ああ、この人たち、いじめられた経験なさそうだな」と思う面々ばかり。弱者・最下層に置かれたことがない人間、うまく人間関係を築いている人間のように思った。

んで、コぺル君の髪形、あの時代、ありえるのか?(男の子は坊主だよなあ)・・・

そのうえ、偉そうに説教するおじさんって無職なのか・・・いやあ、コぺル君の心の支えになっている時点で充分じゃ。無職が「立派な人間について」を説くのはなかなかいいよなあ、と思いつつ・・・

それならば、なおのこと、「イジメ」の描き方がなんだかなあ。

ワシが今の時代に生きる「いじめられる側」の子どもなら、この「君たちはどう生きるか」は、単に鼻につく、大人が押し付けてくる迷惑なお話だろうな。


立派な人間になることをテーマに物語に書くならば、【卑怯ないじめっ子】を主人公に書いてほしいよなあ。
イジメラレっこや周りに流され自己保身に走る普通の子を反省させたりする物語じゃなくさ、
いじめっ子に焦点を当てて、いじめっ子を描く話をね。

そう、「君たちはどう生きるか」・・・のいじめっ子・山口君の人間性はこうだ。

浦川君をバカにして、いじめていた山口君。

浦川君へのいじめをみかねて山口君に制裁を加えようとした北見君。その北見君をうらみ、兄に復讐を頼んだ卑怯で汚い山口君。

山口君こそ、どう生きるのか、どう立ち直らせるのか、が大事では?

それなのに山口君にはあまり焦点が当てられない。

「君たちは~」は、はじめから「卑怯でどうしようもない人間」と見放しているように思える。
本当の問題児をスル―しているご都合主義の話にしか思えない。

大人が説教すべき人間は、素直なコぺル君ではなく、どうしようもない人間性の卑怯な山口君だ。

山口君への視点がすっぽり抜け落ちた「君たちはどう生きるか」・・・にがっかり。 だからこそ「イジメ問題」はなくならない。大人は、本当に問題すべきな「いじめっ子」をスル―しているんだもの。 そのことを「君たちはどう生きるか」も示している。 この原作者・吉野源太郎氏・・・子どもに「立派な人間」とやらになってほしいならば、素直なコぺル君ではなく、本当に卑怯な山口君を中心に描くべきだった。彼をどう立ち直らせるのかを描いてほしかったよなあ。

卑怯な山口君を卑怯なままで終わらせている「君たちはどう生きるか」・・・やっぱりこれもきれいごとのご都合主義な作品だと思った。
説教臭い話だけに、「かがみの孤城」よりも、大いに白けた。

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自殺ちょっと待った~自分の魂を救おう・クリエイター道 [創作・表現・作品感想]

9月2日追記。

考えさせられた三秋縋氏のツイート紹介。
https://twitter.com/everb1ue/status/903223190704369664より転載。

【なぜ「辛かったら逃げればいいんだよ」と言われても逃げられない人がいるのかというと、逃げ出すためには立ち向かうための強さとはまた別種の強さが必要だからで、それがなくて困っている人に「逃げればいいんだよ」と言うのは、これまでとは異なる質の強さを求めているだけに過ぎないのかもしれない】


逃げるにも強さが必要・・・確かに。
なので『逃げる強さ』をまず身に着けるのが先かも?
自殺できるくらいなら、おそらく逃げる強さも身に着けられるのではと考えるのは甘い?

とりあえず、家に逃げ込める人はそうしよう。
逃げ場所はいくつか確保しよう。

この世をサバイバルするのに、逃げる手段を普段から考えておくって大切かもしれない。

・・・・・・・・・・
8月31日追記。

明日から9月じゃの。なので、このテーマでもう一度メッセージを。

そもそも、そんなに辛い学校に行く必要あるのか? と思う。

もち、学校・クラスという村社会で、心地よく過ごせる子は別にいいのだ。得るものだってあるだろう。
けど、村社会から村八分にされている子は、そこで得るものは、まあほとんどない気がする。心が疲弊するだけ。プラス面よりデメリットが大きい。最悪、命を取られる。

ネットが発達したこの時代、勉強するなら学校でなくてもいいし、友だち・仲間だって別のコミュニティで見つければいい。

仕事の仕方もこれから変わってくるし、何が売れるのか分からない。AIとやらが発展していくだろうし、どういう職業なら食いっぱぐれがないのかも分からない。先は分からないのだ。いつまでも安泰な職業は公務員くらい?(日本国・地方自治体が破たんしない限り)

学校も古いシステムっていう感じがする。
優秀な子は飛び級できず、すでに分かっている授業を受けさせられ、反対に勉強が理解できない子は留年することなく、次の学年に上がっていき、分からない授業を受けさせられる。

そんなことに束縛されるなんて、子どもにとっては酷なことだ。

ま、逆に言えば、どんなに休もうが、中学校までなら卒業できるということだ。

学校に行かずとも、もっと有効に、素敵な時間を過ごす方法もあるかもしれない。(親御さんの価値観も問われるの)

これからどんどん価値観も変わっていくだろうに、狭い狭い村社会の学校に、貴重な時間を、いや命を奪われることなどない。このグローバル化の時代、村社会から脱出したほうが道が開ける気もする。

辛い辛い村社会の人間たちとつきあうことはない。時間がもったいないぜ。


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タグ:漫画
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真木よう子、コミケ参戦問題 [創作・表現・作品感想]

9月12日追記。

「叶姉妹はなぜコミケで受け入れられたのか・真木よう子との違いは何か」
http://president.jp/articles/-/23001


8月29日追記。

真木よう子氏のコミケ参戦・炎上・コミケ辞退に追い込まれた件について記事紹介。

「真木よう子のコミケ参戦はコミケの理念に反していない」
https://anond.hatelabo.jp/20170828024450

「真木よう子のコミケ参加・炎上・辞退と、表現の自由の敗北」
https://note.mu/sparta_cc/n/nbecf190a5def

「真木ようこ、ツイッターアカウントを削除、予告なく終了」
http://www.oricon.co.jp/news/2096406/full/?ref_cd=tw


真木よう子氏のコミケ辞退に追い込まれてしまった件・・・根は、高須克弥氏ナチス発言で、高須氏を社会的に葬ろうとする反差別界隈の動きと似ている気もした。

結局、自分たちが気に入らない発言や活動をしようとする人を叩き、つぶしてしまおうとする。
そういったことに反対する。

つぶすんでなく、彼らに発言させろ、活動させろ、表現させろ、んで、それからその発言が、そのやり方が、その表現が気に入らなかったら批判すればいい。賛同するものは賛同し、議論すべきと思えば、議論を戦わせればいい。それが自由である。

という考えであるが・・・

真木よう子のコミケ参戦をつぶしたオタクが叩かれ始めている空気もあり、そうなると擁護に回りたくなる。(ワシの悪いクセである・・・^^;)

真木よう子に同情的な人は、オタクをますます嫌うのだろうな。

そこで『一部オタクがなぜ真木よう子のコミケ参加を懸念したのか」・・・そのことについて分析された記事を紹介。

「真木よう子のコミケ参加はなぜ批判されたのか」
http://b.dlsite.net/RG11464/archives/52529122.htmlより一部転載。

【コミケは元々アマチュアのための表現の場である。当然に何のネームバリューもない一般人が基本的には参加するものと考えられている。かつてはプロの漫画家が参加すること自体に否定的な者もいたし、企業スペースの存在を受け入れることにも是々非々があった。
最近では見かけないが、コミケで知名度をあげてプロになった者はコミケを卒業するべきだ、なんて意見を言う者もいた。

そこにTVに出るようなネームバリューの高い芸能人やアイドルが参加すれば、どんな作品を出そうが当然に一般人よりもモノは売れる。
一般人が一生懸命に描いたフルカラーの漫画本より、大物漫画家の落書きペラ本の方が、残念ながら売れてしまうのは事実だ。

まして芸能人やアイドルがコミケで写真集やCDを出すとなると、それは半ば「握手券」的な意味合いを持ち、その作品のクオリティ如何に関わらず、当人のバリューを求めて買いに来る人達もいるだろう。

真木よう子ほどの知名度もあれば、最初から商業流通に乗せてモノ作りをすることも可能なわけで、それができないアマチュアのための場であるコミケであえてモノ作りをする意味が問われるのも仕方のない側面もある】


【コミケというイベントそのものの主旨が変容することへの恐怖感もあるだろう。極端な話を言えば、何十人というアイドルグループ、人気アーティストや芸人などが大挙してコミケにサークル参加して、一人一枚のCDなり写真集なりポエムなりを手売りしてくれたらそれだけで行列が出来るし、壁サークルを芸能人が独占するような事態にもなりかねない。

そのうちコミケは芸能人が主導する一般人向けのイベントになってしまう危険性だってある。

居場所を奪われてきた人たちこそが「オタク」であり、コミケはそうした人達のためにずっと居場所を提供してきた。

今、そんなオタクたちの祭典が「排外的」だと言うのなら、それでもいいのではないかと自分は思う。「排外的」だからこそ優しい空間というのが世の中にはあって、そういう空間こそ今の世の中に必要な気がする】


コメント欄より転載。

【小林幸子や叶姉妹等、今までサークル参加してきた芸能人は、ネットなどでオタク達との交流があったり、自身のオタク趣味を公開していたりと、コミケ参加に至るまでのプロセスが見えていました。その上でしっかりと準備をして参加したからこそ歓迎されたわけで。

その点、真木さんはプロセスが見えない。そのコミケ申込書はどこで手に入れたのか?
そういうのを自ら調べて入手するようなタイプとは思えないし、そもそもコミケのこともよくわかってないでしょう。

クラウドファウンディングで800万も集めて、300ページ超のオールカラー同人誌を出すというのは、良し悪しは別にして、普段コミケに参加している人の感覚から見たら異様に見えます。

叶姉妹にはコミケに精通した優秀なブレーンがついていたのだと思いますが、真木さんの場合はコミケをよくわかっていない人間がそそのかしたように見えるのです。

ネット上では「真木よう子VSオタク」のようになっていて、この辺を指摘している人は少ないですが、なんだか変なブローカー?ような存在がコミケに入り込もうとしているのではないかと心配になるのです】

転載終わり。


たぶん、奪われる恐怖が排外的にさせるのだろう。
今まで奪われてきたから。その気持ちはよく分かるのだが・・・。

・・・・・・・・・・
8月28日追記。

「炎上の真木よう子が謝罪、コミケは参加せず」
http://www.narinari.com/Nd/20170845431.html

真木よう子氏がコミケ参加表明したら、炎上したとかで、見送ったそうだ。

コミケ参加に何かルールがあるの? 資金を集めて売るのはダメなのか?
守るべきルールは運営側が『有名人だからといって優遇しない、公平に審査して参加OKする、問題があると思えば落とす』でいいんじゃない?
プロの漫画家さんだって参加しているし。

意外と閉じられた世界なんだな、ちょっとがっかり。もっと自由な場だと思っていた。
コミケ辞退に追い込まれてしまったその背景に違和感を持つ人も多い。

「真木よう子のコミケ参戦はコミケの理念に反していない」
https://anond.hatelabo.jp/20170828024450

「真木よう子のコミケ参加・炎上・辞退と、表現の自由の敗北」
https://note.mu/sparta_cc/n/nbecf190a5def


真木よう子氏のコミケ辞退に追い込まれてしまった件・・・根は、高須克弥氏ナチス発言で、高須氏を社会的に葬ろうとする反差別界隈の動きと似ている。

結局、自分たちが気に入らない発言や活動をしようとする人を叩き、つぶしてしまおうとする。

が、ワシはそういったことに反対する。

つぶすんでなく、彼らに発言させろ、活動させろ、表現させろ、んで、それからその発言が、そのやり方が、その表現が気に入らなかったら批判すればいい。賛同するものは賛同し、議論すべきと思えば、議論を戦わせればいい。それが自由である。

コミケ一部にも、村社会があり、排除する動きがあるようだ。
いじめは決してなくならないということが分かる。残念だけど、これが世のデフォ。

けど、村社会にNOをつきつける人たちも大勢いるはず。村社会を改革しようという人もいる・・・はずだ。


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セクハラ・レイプにならない誘い方を指南した弁護士(追記・手塚治虫VSフェミ) [創作・表現・作品感想]

7月17日追記。

余談で「手塚治虫VSフェミ」について触れたけど・・・

ちょいとフェミに肩入れしておく。
手塚治虫が少年誌で活躍していた時代、たしかに女性は抑圧されていたと思う。今よりずっと息苦しく、セクハラの定義もなく、痴漢やレイプされても「女が誘うようなことをしたのだろう」という空気があったし、女の価値は「若さと美」だけだったし、それに意見しようものなら「ブスの僻み」と揶揄されていた。(今もそうだろうけど、昔はもっとひどかった)

もっと時代をさかのぼれば、結婚しない生き方などとんでもないことであり、そもそも結婚しなければ生きていけない時代もあった。

前にも触れたことだけど・・・
迷信により男性から引かれていた丙午生まれの女性は結婚に不利ということで、明治時代は丙午生まれの女性の自殺者も多かった。また戦後、昭和41年丙午の出生率はそこだけ異常に低く、右肩下がりだったはずの乳児死亡率がその年だけ上がり(消極的殺人が行われていた可能性がある)、結婚できない女は生きている資格がないような扱いだったわけで、男女差別もはなはだしかった。

そこを変えようとしたのがフェミである。
で、そのおかげで、女性はたくさんの自由を手に入れることができたと思う。(もちろん、昔に較べたらということで)

手塚治虫氏が揶揄した中ピ連・・・中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合・・・女性解放・女性の権利のためには必要な存在だったかも。(運動の内容が過激で問題はあったかもしれないが)

・・・・・・・・・・
7月16日本文。

うわあ『ちょいワル・ナンパGG』なんかよりこっちのほうが大問題じゃね?
弁護士がこういったことを指南しちまうのかあ。それとも表現の自由・言論の自由ですかね^^;

https://twitter.com/kamatatylaw/status/886181757153812480より転載。

【PRESIDENT 最新号に、弁護士の話をもとにしたセクハラにならない女性部下の口説き方の記事がある。ホテルはシングルとセミダブルの2部屋を予約すれば「別々の部屋に泊まろうと思ってた」という言い訳が通るらしい。チェックイン前に一緒にお酒を買えば「合意の成立」が推認されるとか】

プレジデント目次。
https://twitter.com/Ai_sk8/status/886236486676267008

野澤隆弁護士、やっちまったな。
これこそ、フェミの出番ですな。

恋愛工学とか、オタクのロリコン萌え絵とか、少年ジャンプとか、そんなの叩くよりも、こっちのほうがずっと悪質で重大じゃの。

・・・・・・・・・
余談。

フェミが叩くエロ表現について♪

そう、昔は手塚治虫も叩かれていたんだよな。
ちなみに、ワシが「おお~」と思ったのは『メルモちゃん』かな。

幼女の体が、大人の女性になる変身時、エロいよな~♪
幼女のはいていたスカートから太もも丸出しになり、パンツがみえそうになるところ・・・いや~ん♪

けど、これはワシも知らなかった。
手塚治虫先生、やる~♪
https://twitter.com/andymfreej/status/883204338717294592より転載。

【70年代の漫画家で自分の漫画がフェミニストに批判された事で揶揄をする人はいたけど、漫画の主人公にフェミニストキャラをボコボコにさせて「どうした先生、女性ホルモンがいきなり噴き出したか?」とか言わせたのは手塚治虫氏だけだな(三つ目がとおるの全ピキ連の上げ底先生の回)】

【手塚先生は自分の漫画が批判されると漫画で思い切り殴り返す人だった。 あの時代にツイッターがあったら凄い事になっていたと思う】


以下、クリエイター・柴田英里氏のツイート(https://twitter.com/erishibata)紹介。

【人間にはフィクションにおいて性暴力表現を楽しむ自由があるし、それを言い出すとSMとか語れなくなりますよね】

【「正義」という言葉に取りつかれて、「正義」の内容が思考停止になっているんだと思う。だから、「欲望」を漂白したり、「欲望」を取り繕ったりする】


以下、小説家・安達遥氏と弁護士・山口貴士氏のやりとりを紹介。
https://twitter.com/otakulawyer/status/885269740784017409より。

山口氏:
【「リベラル」な人は、より公正な社会を目指すために、表現の自由等の制約を肯定するけど、どんな社会が実現しても、新たな「不公正のネタ」を見つけることは可能なので、これを排除し、「より公正」な社会を目指そうと流れが続き、どんどん社会全体が息苦しくなるだけだと思います】

安達氏:
【例えばドラマや映画から喫煙シーンが撲滅されてしまうようなことは、ある程度仕方ないのではないでしょうか。
「表現の自由」は本来何のために存在するのか、それは多くの人の幸福のためではないのか、と原点に立ち返って考えてみることも必要かと思います】

山口氏:
【違います。表現の自由は、多数派の幸福のためではなく、多数派から支持されない、あるいは、嫌われる表現を守るためにこそ存在します。基本中の基本です】

転載終わり。

ワシは山口弁護士に賛同。
いやあ、弁護士にもいろいろいますね。

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※関連記事
「オタク趣味とオタク蔑視と駅乃みちか問題」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-24-7
「フェミVSオタク・駅乃みちかと女性蔑視」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-19
「だからこそ萌え画」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-29

「浮気・不倫推奨CM? サントリー・頂」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-07-08
「女の価値は若さ(VOCE炎上)ちょいワルGG」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-06-19


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浮気・不倫推奨CM? サントリー「頂」・ああ肉汁が! [創作・表現・作品感想]

7月9日追記。

どうしたらクレームつくようなCMを作らずに済むか。

つまり男女逆バージョンを考えてみれば、それが不快かどうか、許せるかどうか、それで考えてみればいい。

サントリー「頂」の場合は、下に書いたように、旅先で奥様・彼女がイケメンと酒を飲み「コック~ン」する場面を、男性陣が許せるかどうか、「全然OK。硬いこと言わない言わない」と思うなら、出張先で美人と浮気・コックーンするCMはありだと思う。

「ウナギ少女」も同様。ウナギ少年を考えてみればいい。違和感持ったらならば、ウナギ少女もNGということだ。

逆に、男性への蔑視・差別に当たるCMもあった。
エネオスの「稼ぎの悪い夫は交換」というCM。
あれも「稼ぎもしない妻・働かない妻は交換」にしてみればいい。「酷い、交換だなんて女性はモノじゃない」と言うなら、「稼ぎの悪い夫は交換」もNGだ。
ただ、こちらはネット上で批判はされたものの、炎上までには至らなかったよう?

「稼ぎの悪い夫は交換」CMが炎上しないワケ」
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/221102/021300408/?P=2

・・・・・・・・・・
7月8日本文。

サントリーCM「頂」、クレームあったようで取りやめになったようじゃの。

どんなCMだったか、今現在、ここで見ることができる。
https://twitter.com/suntory/status/881685387386658818

なるほど「出張先で女と酒を飲み、不倫・浮気・・・」という場面を想像させられるか^^;
これは世の奥様たち・女性らに反感持たれるかも。

結局、ターゲット層に嫌われたらおしまいということだな。
サントリーくらいの大企業になると、顧客は女性も入ってしまうので、やっぱ女性から反感持たれるようなことはしないほうがいいのかも。

つうか、男女逆バージョンもあれば良かったんじゃね?
旅行先で、イケメン男性と『コックン』♪ ああ、肉汁が・・・。
彼氏やダンナが出張先で不倫ならば、彼女も奥様も旅先で浮気を楽しもう♪ コックンしましょう♪

コック~ンで、ちょっと酔っちゃった理沙ちんも股を開きます。もちろん静也君のみにですが。
ええ、うちの四条カップルは浮気も不倫も致しません。

ってキモオタ・ハヤシの幻想ですな~(爆)
(キモ~・・・だからオタクは滅びてほしいと、あの上野千鶴子氏からも言われてしまうのですな)

IMG_20160824_0002.jpg

※四条カップルに興味を持った方はこちらへ。
短編連作小説「縁」本編の目次http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28


まあ、それはともかく、ワシはぜひ『カルピス+ビール』を試してみたい。コック~ンではなく、ゴクゴクいけるらしいぜ。

↓レシピはココにて紹介。
「七夕・カルピス誕生」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-07-06-1


うむ・・・「ウナギ少女」「電車の中で化粧するのはみっともないCM」「駅乃みちか」「少年ジャンプ編集部・女子トイレマーク事件」「VOCE炎上」を思い出すぜ♪

※関連記事
「オタク趣味とオタク蔑視と駅乃みちか問題」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-24-7
「フェミVSオタク・駅乃みちかと女性蔑視」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-19
「だからこそ萌え画・追記ジャンプ女子トイレマークセクハラ問題」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-29
「女の価値は若さ(VOCE炎上)・ちょいワルGG・エッチする場所」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-06-19

・・・・・・・・・・
余談。

「ウナギ少女って何?」と思ったそこのあなたへ。

鹿児島県志布志市のふるさと納税PR動画「少女U」というのがあった。

それまでも・・・自衛官募集ポスターにアニメ画のミニスカ女子高生が使われたことについて、一部のフェミが騒いでいたことに対して「騒ぎすぎ、別にいいじゃん、今、艦コレやガルパンが流行っているし、それにあやかっただけ」と覚めた目で見ていたし・・・

海女さんがアニメ画でやけに巨乳という、どこかの地方活性化を狙ったポスターは「ま、べつにアニメ絵だし、いいじゃん、でも胸が不自然に大きすぎ、あんまりワシの好みではないな」とは思ったが。

この「うなぎ」PR動画は・・・
さすがにこれは・・・気持ち悪かった。

実写で・・・プールで泳ぐ美少女。
そのスクール水着の少女が「養って」と言う・・・。
男性の声で「彼女のために(いい環境で育てたい)」とナレーションが入り、男性による少女飼育を思わせた。

極めつけは、最後の方で少女の手が粘着性の液体で糸を引く。
いやあ、気持ち悪い。

つまり、少女をうなぎに見立て、プールという囲いの中で飼育する・・・悪趣味なPRだった。
自分好みに少女を育てたいという千葉大学生による少女拉致監禁事件とリンクする。

で最後、少女=うなぎ、は食べられる運命にあるんだよね?
CMでは「彼女は去った」とあるが、彼女は鰻なので、彼女は食べられた=殺された、と受け取られても仕方ない。あるいは食べられた=少女の肉体を味わった=エッチした、とも受け取れてしまう。

ちなみに、養殖ウナギは『雄』なんだって?

じゃあ、養殖ウナギを美少女を見立てるのは、ほんとうにおかしい。
美少年にするべきだったのでは?

ま、このウナギCM、ロリコン趣味の男性のみを顧客とするならありだったかも?

いやあ、飼育するウナギは『美少年』にすればよかったのに~♪ ってオジサンにとっては美味しく感じられない?(これも逆差別・男子に対するセクハラなんだけどね^^;)


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漫画におけるブスの存在 [創作・表現・作品感想]

10月13日追記。

訂正
ドラえもんの『ジャイ子』について、コメントにて以下の指摘を受けたので、その内容を記します。
(コメント欄は下のほうで目立たないので^^;)

以下、転載。

【ドラえもんの第1話「未来の国からはるばると」では、ジャイ子は悲惨な目にあったのび太を笑ったり、羽つきで負けたのび太の顔を真っ黒に塗るような、意地の悪い女の子として描かれています。

また、初期エピソードの一つである「愛妻ジャイ子!?」でもやはりジャイ子はのび太の悪口を言ったりするのですが、ひょんなことからのび太に尊敬の念を抱き、のび太の方もまんざらでもなさそうな態度を見せるという展開になるんですよ!

”漫画家志望の努力家”というよく知られるジャイ子像は後年に設定されたもので、ジャイ子は初期と後期で大きく設定が変わったキャラです。

アニメに関しては見ていないので何とも言えないのですが、少なくとも原作漫画においては「のび太はブスだからジャイ子を猛烈に嫌っている」とは言い切れない部分があると思います。
ついでに言うと後期ジャイ子にはのび太とは別のボーイフレンド(めちゃくちゃ女子にモテる男子という設定)ができてたりします】

というわけで、ジャイ子の性格は初期と後期で違うようで、意地悪な性格だったようです。
以下、本文『のび太はブスというだけでジャイ子を嫌った』という部分を訂正します。申し訳ありませんでした。なお、本文はそのままにしておきます。

・・・・・・・・・・
5月1日本文。

ふと思った。
ブスを弄び、哂い、利用し捨ててきた若き日の高須克弥氏や、童貞を捨てるためにハードル低いブスを踏み台に経験を積もうというLOVE理論の水野敬也に限らず・・・・
「ブスを哂いものにしていい」=「ブスに人権なし」「ブスは嫌われ、侮蔑され哂われても仕方ない存在」と、ブスは利用されるだけでもありがたく思え、と考える人、けっこう多いかも。

「オタクは滅んでいってほしい」と訴える上野千鶴子氏のように。
「オタクに人権なし」と考える人がいるように。

※関連記事
「LOVE理論VS恋愛工学」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-12-07
「オタクは滅びてほしい・上野千鶴子ナチス思想」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-12-24
「ブスを利用して捨てる>高須クリニック・若き日の高須克弥氏」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-04-12


ブスはギャグ=哂われる存在。

それは子どもを対象とする漫画にもあるからだ。

そう、ドラえもんに登場するジャイ子が、それだ。
ドラえもんが登場する時、のび太の未来は「ジャイ子と結婚する」ということになっており、のび太が強烈に嫌がるシーンがある。その「悲惨な未来?」を変えるために、ドラえもんがのび太の手助けをする、というのが始まり。

さて、ジャイ子はブスではあるが、別に性格は意地悪でもないし、人間性に難があるわけでもない。
意地悪なのはジャイアンとスネ夫であり、ジャイ子の性格が悪いという描写はなかったように思う。

けれど、のび太は猛烈にジャイ子を嫌がる。

それは【デブス】だから。
その一点だろう。

もち、結婚した場合、義兄がジャイアンになるから、というのもあるかもしれないが・・・

もしジャイ子が美人だったら、義兄がジャイアンでも、あれほどに嫌がらないだろう。
というかジャイ子が美人だと、のび太がジャイ子を嫌がる理由がいまひとつ、読者である子どもに伝わらないからだろう。

で、ドラえもんの助けにより、のび太の将来は「美人なしずかちゃんと結婚する」という方向へ修正される。

子どもの漫画からして、ブスはダメな人間であり、ブスとの結婚は不幸であり、結婚するなら美人でいけ、美人は良し、美人との結婚は幸せ、という価値観で物語は進む。

いや、漫画だけではなく、幼児の読む童話からして、そんな感じだよね^^;
(今は違ってきているのかしら?)

読者は、のび太がジャイ子との結婚を嫌がるシーンを『それは当然だ』とごく自然に受け止める。
のび太は女の子を外見だけで判断している、と批判的に見たりはしない。

原作を全部知っているわけではないけれど、ブスというその一点だけでジャイ子はのび太からも嫌われるキャラであり、読者の哂いを誘うギャグキャラ・・・なのだ。

そういえば・・・聞いた話では、藤子不二雄氏はジャイ子の本名を表にしていないという。ジャイアンは本名があるのに。
それは、もしジャイ子の本名を表にしたら、その名前の女の子が虐められるのでは、と危惧したからなんだとか。
(ならば「のび太」や「スネ夫」みたいに、ありえない名前にすればいいのに・・・けれどジャイアンは普通に「タケシ」なんだよなあ)

もうずっと昔から「ジャイ子みたいなブスは嫌われ、哂われても仕方ない」という空気があったわけで、今よりも酷かったかもしれない。(昔はセクハラという概念もなかったし)

ただ、原作は詳しく知らないが・・・
ジャイ子は漫画家を目指しており、けっこう根性もあり、己の欠点も反省したりもし、人間としてはできている描写があるんだとか。

そう、ジャイ子はブスだけど、人間としてダメではないのだ。
むしろ、人間としてなかなか成長しない、ドラえもんに頼りっぱなしののび太のほうが、ジャイ子より下かも???

けれど、そんなのび太からジャイ子は猛烈に嫌われている。ブスというその一点で。

ブスと結婚したら負け。そんな未来は暗黒。惨め。不幸。
そんな価値観が子どもの時から刷り込まれるのだ^^;

なので、多くの男性が美人を求め、ブスを毛嫌いするのは当然なのかもしれない。

のび太でさえしずかちゃんと結婚できたのだ。美人をモノにしろ。ブスと結婚するくらいならしないほうがいい・・・かもしれないね^^;世間の価値観に背を向けるって難しいし。
ブスとの結婚こそ負け。避けるべきこと。ドラえもんはそう教えてくれる漫画・・・かも。

※ちなみにシズカちゃんの性格、そんなに良さそうじゃない? とすると、のび太は本当に外見のみで女性を選ぶ主人公だったということに^^;

「クソビッチすぎるしずちゃんと、のび太さんのタフネス・ドラえもん第2巻レビュー」
https://magazine.manba.co.jp/2017/07/26/dora02/


さて、そんな中・・・
もうひとつ、ブスキャラで印象に残っている作品がある。あだち充氏の「タッチ」だ。

主人公・上杉達也をライバル視している西村君と言うキャラがいるのだが・・・
そんな西村君の幼馴染・デブスの女子マネージャーが登場する。

が、こちらのデブス女子キャラは、おどおどしていて、自信なさげである。

なので読者に向けて、このマネージャーを「哂い者にする」という描写はなかったように記憶している。

で、劇中、男子生徒らがこの女子マネージャーをからかい哂うシーンがあるのだが、西村は怒り、その男子生徒らをボコボコに殴る。

まあ、西村君のこの幼馴染マネージャーに対する『威張る態度』はあまり好きではないが、このシーンで西村は株を上げたと思う。読者もここで「西村、いい奴じゃん」と見直したことだろう。

「タッチ」は、ブスキャラを登場させたが、『哂いもの』にはしなかった。

※ただし、ずっと前の方の話で・・・南ちゃんが、達也に殴られた後、達也を取り巻く男子生徒らが「南ちゃんを殴るなんて、ブスならともかく」と言ったりしている^^; 美人を殴るのは許せないが、ブスなら殴って良し、と言っているようで、すげえブス差別だな、とこの時には思ったが。


そう、物語上、ブスを哂いものにする場合、そのブスの性格はなぜか積極的で堂々としていて、生意気で、自分がブスだと自覚していない自信家・・・である。

まあ、弱弱しいブスを哂うと、ただの「いじめ」になってしまうからな・・・。

ただ、裏を返せば、「ブスはおとなしく引っ込んでいろ、お前の価値はゼロだ。自信を持つなど論外、分をわきまえろ」ということなのかもしれない。
じゃなければ「哂いものにするぞ」「いじめてやるぞ」と。

前にも話題にしたけど・・・
小説・椰月美智子氏の「恋愛小説」でも、なぜか男性にも積極的で自信家のオタクなデブスをこれでもかというくらい哂いものにし、悪しざまな描写がされていた。

そう、「ブスなのに、恋愛に積極的なんて許せない」「私のカッコイイ彼氏とエッチしたなんて、おぞましい」「ブスはブサメンとやっていろ」・・・これが美人主人公の本音。(おそらく椰月氏の本音でもあるのだろう)
そして読者も無意識にそれに同調する。だから、美人主人公がデブスキャラを気持ち悪がり、悪しざまに思う様に対し、読者は反感を覚えない。

※関連記事
「オタク女子を悪しざまに描いた作品」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-20-3


↓世間の本音はこうである。

のび太のくせに生意気だぞ。
ブスのくせに生意気だぞ。
オタクのくせに生意気だぞ。
非モテのくせに生意気だぞ。

おお、怖。
おとなしく自信なさげに引っ込んでいるに限りますね。

・・・・というわけで、うちの「これも何かの縁」に登場する郷田浩も、ブスなのに生意気な福田みすずにムカついたのだった。

郷田のような人間、けっこういるかもね。
いやあ、郷田浩、ちょっと悪しざまに描きすぎたかと思っていたけど、そうでもなかったようで・・・。

えげつない世間様の中で、福田みすずも自分の遺伝子を引き継いでしまうだろう子を持つことに消極的なので、自信家というわけでもないのだけどね。


※短編連作小説「これも何かの縁」より、郷田浩が登場する話はこちら。

「ドライなお見合い」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-01-10
あらすじ→福田みすず、イケメン・郷田浩とお見合い。その結果は・・・

「出しっぱなしの雛人形」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-01-18
あらすじ→意外と郷田家との相性は良く、みすずの心は揺れるが、常にこの問いが心に巣くう。そこまでして結婚したいのか?

「桜の葉」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-01-25
あらすじ→福田みすずのお見合い編、決着。呪いが解けたみすずVS郷田浩の戦いをご覧あれ。

「同窓会」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-01
あらすじ→オタク漫画家・文雄、高校の同窓会へ。いじめっ子元同級生と会う。沢田のとった行動とは。

「それぞれの道・郷田浩」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-24-1
あらすじ→沢田文雄の漫画が載ったコミック誌を読む郷田浩。ブスはこりごり。男の本音が炸裂。


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だからこそ萌え画♪(追記・少年ジャンプ女子トイレマークセクハラ問題) [創作・表現・作品感想]

2017年4月25日追記。

少年ジャンプ編集部・女子トイレマーク事件。エロいデザインにセクハラの声。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/04/21/shounen-jump_n_16137590.html

「TPOによって差別になる」という意見もあるけど、その場限りのネタ、ジョークでしょ?

ツイートで見かけた意見だけど・・・じゃあ、↓これらもセクハラになる?
https://togetter.com/li/1103148より。

・小便小僧(公共の場)
・小便少女(公共の場)
・かなまら祭り(公共の場)
・地方の秘宝館(誰でも入れる)
・ろくでなし子さんの秘部アート(全国公開)
・村上龍「マイ・ロンサム・カウボーイ」(全国公開)

あとマネの絵画「草上の昼食」もセクハラだよね。
女性だけ裸で、男性は服着て、ピクニックみたいなことをしている絵だけれど。
(もちろん当時、批判はされたけど、今では立派な芸術作品として認められ、公共の場で公開されている)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E4%B8%8A%E3%81%AE%E6%98%BC%E9%A3%9F

こういう騒ぎを見る度にいつも思う。

・・・で、被害者は誰?
誰か被害にあった?

いや、その女子トイレマークをデザインした矢吹健太郎氏の作品や、ジャンプの表現方法を批判するのはいいのだ。それも言論の自由、表現の自由だから。

けど、少年ジャンプ編集部はその作品をすぐに削除してしまった。ここが問題。
表現の自由に関わることだから。

もち、ジャンプを買う顧客(読者)の多くが不愉快に思ったのであれば、削除もあり。
だが、今回の件は違うだろ? まあ、ジャンプなど読まない人たちからのクレームだ。

ジャンプにも女性読者はたくさんいる。
が、彼女たちは「ああ、ネタね」と分かるし、こんなことでいちいち目くじら立てないだろう。

駅乃みちか事件でも感じたことだけど・・・フェミの騒ぎ過ぎでは。

それに比べ・・・オタク蔑視、オタクハラスメント、オタクいじめ、オタク差別については、世間は寛容というか、許しているよなあ。で、世間がそういう態度だから、フェミも安心してオタク攻撃をする。

いや、いいんですよ。自分が不愉快だと思うものは徹底的に叩いて、闘いましょう。そこに公正も公平もない。単に気に入らないものを抹殺したいだけ。それが現実。

ワシもネタとしてしつこくしつこく上野千鶴子のナチス思考「オタクは滅んでいってほしい」発言を取り上げ、ブスやブサメン、非モテをバカにする恋愛至上主義者も揶揄しますぞ。オタクをバカにするリベサヨの二重基準も突っ込みます。

みんな、自分がやる差別・ハラスメントには甘い♪
そんなゲスい世の中に、ワシの「~縁」キャラ・理沙ちんもいっちゃいそう♪ あっ。
IMG_20160824_0002.jpg

あ、そうそう、少年ジャンプと言えば、昔、昔、用務員のおじさんをネタにしたギャグ漫画で、用務員のおじさんをバカにしている、差別だ、ということで問題になった漫画があったっけ。

では、ブスやデブ、ブサメンやオタクをバカにした漫画、あるいは小説、アニメ、映画、ドラマなどはなぜ問題にならないんだろう?

頭が悪いワシにはちっともわかりません。

ま、オタクは生身の女性には近寄らないほうがいい。それだけでセクハラ扱いされ、犯罪者扱いされ、大騒ぎされるそう。侮蔑や嘲笑は当たり前。

二次元が一番、安全。生身はリスク高すぎ。
なのに世間は「生身の人間と恋愛しろ」と問題にする。これもオタクに対するハラスメントかも。

ほんと、世間様って底意地悪いの。
・・・とキモオタババアのハヤシは思うのでした。差別万歳。

※関連記事
「オタクは滅びてほしい・上野千鶴子のナチス思想」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-12-24


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・・・・・・・・・・・
2016年10月29日本文。

「駅乃みちか」ほか萌えイラストを問題化する一部フェミがいるが・・・

↓北条かや氏はこのように意見している。

「ブスは相手にしないミスコンを「見なくてよい自由」はないのか」
http://ironna.jp/article/4316?p=2より一部転載。

【国公立大学でのミスコンは基本的に反対だ。税金をつぎ込んで女性の外見を品評するくらいなら、奨学金の充実や研究費に充てた方がよほど社会のためになるであろう。

この論理からいえば、地方自治体の実質的なミスコンである「何とか美人」「何とか大使」みたいなものもやめるべきだということになる。美しい女性が地方のPRになる、と言いたいのは理解できないこともないが、生身の人間を使うのはやめておくべきだ。どうしてもやりたいなら、2次元の美しいキャラクターに代わってもらえばよい

転載終わり。

そう、二次元のいいところは「誰も傷つかない」。

表現者・クリエイター・漫画家や作家(ろくでなしこ氏、中村うさぎ氏など)はおおむね、「駅乃みちか」など萌え画表現の擁護し、「個人の好き嫌い、快不快で、表現の自由を制限すること」には反対している。

それが人を傷つける・侮蔑している差別表現であるのかないのか、この線引きは難しく、また誰がそれを決めるのか、という問題もある。

批判はかまわないのだけど、その問題だとされる作品(=商品)を撤去・排除していく、もしくは訂正を求めるのは、慎重にされるべきだろう。

ワシも、萌え画よりも、生身の人間をターゲットにするミスコン=女性品評会のほうが、女性蔑視につながるのではと思うのだが。

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漫画、読まなくなったな [創作・表現・作品感想]

2017年9月12日追記。

漫画家を目指すなら知っておいた方がいい佐藤秀峰氏の記事を紹介。

「漫画家と契約の話」
https://note.mu/shuho_sato/n/nc58789fc1daf

・・・・・・・・・・
4月21日追記。

下記「漫画貧乏」についての補足。

ワシはかつて週刊少年サンデーで漫画を連載したことがあるのじゃが、当時の原稿料は1枚1万円だった。大手出版社の新人への原稿料はそれくらいだと聞いた。小さいところだと5000円とか。なので1万はかなりいいほうだった。

この新人への原稿料、もしかして今もあまり変わってないのでは。

週刊連載の場合、ざっくり計算すると、20枚が4週で、月額80万円の収入。一見、良さそうに見える。
事実、実情を知らない周囲から「わあ、たくさんもらえるんだね」と言われた。ワシもそう思った。

が、アシスタント代という人件費(交通費や食費も漫画家側が出すのが一般的だった)でふっとぶ。
つまり経費を差し引いた所得はかなり安くなる。コンビニのバイト以下と言われる所以だ。

それでもまだワシの頃は、漫画全般、絵が今ほど緻密でなかったし、ワシの場合、アシスタント2人から3人で回した。

けど、安定的に週刊連載をこなすのであれば4人必要。報酬もそれなりでないと、なり手はいない。絵を描くという特殊技能のいる仕事だしね。

で、原稿料は源泉徴収されるので、それを取り返すのに、確定申告をするわけだが・・・
新人漫画家だと「週刊連載しながら、そんな事務処理なんてできない」ていう人の方が大半だろうな。

ええ、それでもケチなワシは、確定申告をし「税金として差し引かれてしまったお金」はちゃんと取り戻しましたぞ。

ザックリ計算しよう。1話の原稿料を20万と仮定し、週刊連載で年50話とすれば、年1000万円だ。そこから源泉で1割差し引かれるので、約100万円、国に持っていかれている。印税も同様。
これを取り返すのが、確定申告だ。

漫画家は原稿料のみでは生活ができないほどの赤字を抱えるのだから、新人漫画家の場合、単行本が出ていない状態だろうし、ほとんど取り戻せる。

これをやらないと地方税や健康保険料などにも、はね返ってくるので、やったほうがいい。
けど、週刊連載しながらなんて・・・厳しいよなあ。

それでも・・・ワシの頃にはなかったこういった情報、今ならば容易く手に入る。

んでコスパを考え、リスクを理解することが大事だと思う。そういった計算高さを嫌うのが、今までの日本人だったけどね。

で、契約をする、仕事を受注する、ということについてもよくよく考えた方がいい。
ワシの若き頃はまるでそんなこと頭になく・・・むしろ、そんなことを考えるのは不純だという空気があったが。

そう、佐藤氏は漫画家側の権利を主張してくれているのだ。

今まであまりに漫画家側に権利がなかった気がする。
それなのに世間は莫大な報酬を手にする一部の売れっ子漫画家のイメージで見る。
なので、佐藤氏のことも「そんなに金が欲しいのか」と批判しがちだ。

著作権、二次使用料のことも、漫画家側って無頓着だったかも。

(このへんは漫画家・ヤマザキマリ氏も言及していたっけ。出版社任せにしては、漫画家が得られるはずだった報酬が得られなくなる。世間からは「コミックが売れれば印税が手に入るんだからそれでいいじゃないか」という目で見られるけれど)

「漫画貧乏」はそんなことを考えさせてくれる本だ。

・・・さて、ここからは余談。
短編連作小説「これも何かの縁」に登場するオタク漫画家・沢田文雄は月刊連載、アシスタントも2名という設定。月刊連載なので時間的余裕もあり、それで回していけるだろう。

週刊連載はちょっと過酷すぎるよなあ。時間的余裕が少なすぎ。
画を2日か3日で上げないといけなくなるということは、アシスタントもそれだけ数が必要になるし、徹夜など無理を強いることにもなり、今の時代であればその分の報酬を上乗せするのが当然だろう。

沢田文雄を週刊連載漫画家にはさせたくないよなあ^^;

※「これも何かの縁」より沢田が登場する話はこちら。
「風のない日の鯉のぼり」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-02-02
あらすじ→小林和江の従弟・オタク漫画家沢田文雄登場。自身に劣等感を抱く彼の過去とは。

「梅雨明け・孤独な幸せ」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-02-20
あらすじ→社会からの爪弾き者の沢田文雄と長山春香、それぞれの視点から。海の日の雑学あり。

「同窓会」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-01
あらすじ→オタク漫画家・文雄、高校の同窓会へ。いじめっ子元同級生と会う。沢田のとった行動とは。

「マイノリティ」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-10
あらすじ→和彦VS和江。文雄も無関係でいられなくなり・・・参戦。

「それぞれの道・沢田文雄」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-25
あらすじ→沢田文雄と担当の浅野仁のやりとり。郷田浩に思いを馳せる沢田。そして高校時代とは縁を切る。


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・・・・・・・・・・
4月20日追記。

漫画家・佐藤秀峰氏の「漫画貧乏」を読んだ。
漫画家を目指す人は必見。



原稿料と印税の定義について考えさせられた。
確かに佐藤氏の言うとおり。原稿料と印税は別だ。

原稿料だけでは赤字。どうしたってスタッフ・アシスタント代=人件費で大方、とんでいってしまう。
作画作業代として、スタッフを雇わないとやっていけない漫画家に対し、あまりに低い原稿料。その赤字は印税で賄えというのはおかしいのだ。単行本にならない=印税が出ない漫画家もいるわけだし・・・。

出版社側の根底に「好きなことやっているんだから安くても文句は言うな」「タダでもいいから雑誌に掲載されたい人が多い中、原稿料をもらえるだけありがたく思え」というのもあるんだろうな。

売れっ子はごくわずか。貧乏漫画家がほとんど。平均的な漫画家の収入(厳密にいえば人件費など経費を差し引いた所得)は、コンビニのバイトか、それ以下の所得。
もしかして同人誌やっている人の方が儲けているのでは、といった感じ。

そして、いくら人気を取っても、掲載誌が廃刊になれば、路頭に迷うのは漫画家だけ。しかもスタッフも。
正社員の編集者は仕事を失うこともなく、大手出版社の場合、給料もそのまんま。平均給与年収1600万円。入社5年目で1000万円超えるという。(あくまで大手)

いや、実はワシも「載せていただけるだけありがたい」という気持ちでずっといた。こういう性格の人は漫画を仕事にするには向かない。趣味で行くほうがいいと思う。

要は漫画を描いてどうしたいのか、だ。
それで生活していきたいのか、それとも発表さえできればいいのか。
今はネットがあるので、発表の機会は本当にいろいろとある。

リスクを理解した上で、その道に進むのかどうかを考えた方がいい、ということで、この「漫画貧乏」を漫画家志望者にぜひぜひお勧めしたい。
つまり、これは漫画家になるリスクを理解するための必見の本ということで。

そんな漫画出版の世界を変えたいという佐藤氏。既得権益層との戦いといった感じ。
ワシは漫画をほとんど読まなくなってしまったが、佐藤氏の活動に注目していきたいと思っている。


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[ひらめき]よろしくお願いします。

・・・・・・・・・・
2016年10月16日本文。

「コミックビームが「緊急事態」宣言 漫画雑誌はこの先、生き残れるのか」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161014-00000023-it_nlab-ent

ワシは今、ほとんど漫画雑誌を読んでない。(昔、DB最盛期は月曜日のジャンプが待ち遠しかったのに)
趣味としての漫画を読むことからは距離を置いてしまった。

まあ、歳のせいもあるかもしれないけど、読むのが面倒。
いつ終わるのか分からない、あまり話が進まない連載を追いかけるのが面倒。
長期連載のコミックスは巻数があり場所をとるので困る、かといって長い連載ものをネットで読むのも面倒。

とにかく面倒、この一点に尽きる。

その点、小説はたいてい1冊で話が完結する。長くても上下巻。シリーズものだとしても、前作を知らなくてもいいようになっている。
※いつ終わるのか分からない長く長く続いて巻数がいってしまっているラノベは漫画同様、読まない。

ま、ネットのほうが面白いし、場所はとらない、お金もかからないし、自分のペースで楽しめるし・・・
今ではネットで無料で読める漫画もあるし、情報もたくさん転がっているし、雑誌はもう時代遅れでは、と思う。

ネットを含め、エンタメ全てが漫画のライバル。
その中で生き残っていくのはかなり大変そうだ。

ワシもこうやってネットで発信できている。
プロで食べていくって大変だし、趣味として自己表現ならこれで充分だなと思うようになってきた。あとはいかにして多くの人に見てもらうか、課題はそれ一点のみ。

なので、「ネット時代の作家」をめざし、作家の新しい働き方を作っているという「はあちゅうさん」に注目している。https://twitter.com/ha_chu

はあちゅうさんも、女性誌の急な打ち切りを経験したらしく、「誰かに始める時期や終わる時期、書く内容や字数を決められたり変えられたり、ふりまわされない場所が欲しい」ということで、いろいろと取り組んでいるらしい。(「半径5メートルの野望・文庫版あとがき」より)

これ、わかるよなあ。
ワシは昔、商業誌で漫画連載を経験したことがあるが、漫画界のことを知らず、デビュー当時、作者が物語を終わらせることができると思っていたのだ。

いや、人気がなくて途中で打ち切りになるのはまだ分かる。けど人気が続く限り終わることができないなんて、これは想像もしなかった。

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あとがき・短編連作小説「これも何かの縁」 [創作・表現・作品感想]

改めて、連作短編小説「これも何かの縁」のあとがき。

※「~縁」最終章についてのあとがき風エッセイはこちら。
「篤き信仰心♪ 恋愛教・結婚教と憲法9条」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-14
「ヤンチャVSオタク」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-21-2
「理想の夫婦って?」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-21-1

・・・ということで連作短編小説「これも何かの縁」では、結婚して幸せカップルの姿もあれば、そういったものから撤退し、己の道を行く者もいたり、キャラによって様々な生きざまを描いてみた。

当初、四条静也と理沙の話からスタートしたこの物語。「こんなカップルいたらいいよね」みたいなノリもあり、夫婦愛・家族愛テーマで日本文化・風習を織り交ぜながら、ほのぼのハートフルな話を目指していた・・・

・・・はずなのに、なぜか小林和江や福田みすずがメインキャラとして活躍(キャラが勝手に動き出す、というやつだ)、第2部ではテーマは家族愛のみならず、べつに家族がいなくても、結婚しなくても、独りでいい、いろんな生き方ありでいいんじゃね? という話になってしまった・・・^^;

そうそう、多様性を認めようというわりには、どこか狭量な世間様。

これを書き貯めていた当時(ブログにアップし始めた時は全話、出来上がっていた)、「中年童貞」という言葉が出てきて・・・「犯罪者予備軍」「落ちこぼれ」と有害視されたり・・・「若者がエッチしない」と騒ぎ、いい歳した処女も問題視され・・・非モテやブス、ブサメンがどこか見下され、哂いものにされ・・・

ああ、これって何か既視感・・・そうそう、世間がオタクを叩いていた時と同じじゃん? と思った。

ただ、その時点でも、ワシはまだ勘違い・誤認をしていた・・・。
世間はようやくオタクを受け入れ、認めてくれるようになったと。

でも本当は違ったようだ。

出てくる出てくる、きれいごとじゃない皆の本音。反差別を訴える連中でさえ、オタクに対し酷い差別発言。オタクは人間ではないと言いたげだった。

皆、正義面しながら堂々とナチスしているじゃんw うん、ナチスするの楽しいよね。いや、ワシには楽しそうに見えたぞ^^

恋愛市場・婚活市場のえげつなさも知った。
堂々と人をモノ扱いし、ランク付けし、なるほどこれは劣等感をこじらせるよな、と思った。

そして、極めつけは・・・世間様がエッチ初体験年齢を取沙汰し、公の機関が調査し、「若者のエッチ初体験が遅いこと」を気にするようになり、「20歳過ぎた童貞と処女はちょっと遅れている、ランクが下、いつまでも童貞と処女では恥ずかしい、みんな早くエッチをしよう」という空気を作り出していたこと。

うわ、気持ち悪い・・・。

オタクを気持ち悪いというが、世間様のほうがよほど気持ち悪い。
キモオタのワシを含め、世の中、気持ち悪い人・気持ち悪いものだらけじゃの~www

ちょっと前まで、世間様はエッチの低年齢化を憂えていた気がするが、いつの間にか「若者がエッチしないこと」を嘆くようになり・・・

産めよ増やせよ、ならぬ、恋愛せよエッチせよ、になったようじゃ。

いい歳した童貞と処女はもはや戦犯扱い、非国民扱いになりそう。

これでは、『本物のエッチをするよりも、2次元の世界で満足するオタク』も問題視されることじゃろう。

いや、もちろんオタクだって、手っ取り早くエッチさせてくれる3次元のそこそこ気に入った人間がいれば、エッチするのも、やぶさかではないだろう。むしろしたいじゃろう。

が「多大なる努力をして、がんばってがんばって、時間とお金をかけて、交際に持ち込み、エッチしろ」となると、それは面倒だし、そこまで手間をかけたくないし、ならば2次元でいいやということになるのじゃ。

ああ、そうそう、こんなツイートがあったので紹介。
https://twitter.com/bot_hachu/status/830103433436729346より転載。

【童貞の人って、女子に相手にされないのを基本として生きているから「あのレベルより二次元のほうがいいもんね」とか言って普通の女子を好きにならないのだけど、逆にスーパー美人が優しくしてくれると「俺に女神降臨!」っつってコロっと好きになっちゃってでも高根の花だから落とせなくて結果童貞だ】

見下し、入ってますね^^;
けど、よ~く考えたら、モテない童貞は、己の身の丈に合わせ、ランクの低いブスで我慢しろ、と言っているようにも聞こえる。

なんか恋愛では幸せになれそうもないね^^;
哂われるだけ損。

とまあ、とにもかくにも・・・キモオタのワシの興味は「世間の基準から外れてしまった人」へと流れた。ワシ自身が世間の外れ者だからかの~。

なので、小林和江、福田みすずがメインに躍り出て、ほかにも沢田文雄、長山春香も誕生した。

一方で、世間の価値観を映し出させたキャラも登場させた。それが小林和彦・真理子、そして郷田浩だ。最後のほうでは、小林和江の母・敏子も加わる。

そこでこんな図式が出来上がる。
【小林和江・沢田文雄・長山春香・福田みすず】VS【小林和彦・小林真理子・小林敏子・郷田浩】

つまり・・・
世間の基準・価値観から外れた者たちVS世間の価値観・基準に沿った者・はまっている者たち

※ちなみに四条カップルは、世間の基準に沿った生き方をしているけれど、あまり他者とは関わりを持たないカップルでもあり、世間の基準から外れた者たちのことなど関知しないので、対立にならない。他者のことなど興味はなく、世間から距離をとっているカップルだ。

そして、恋愛が苦手なキャラたちを『電車男』のようにはしたくないと思った。

そう、あの『電車男』である。
(ワシはドラマ版最終回のそれも終わりのほうしか見なかったが、大方のあらすじは知っている。原作となった『掲示板』の方は見てない。実話かどうか定かではないし、釣りの可能性も大)

電車男は、恋愛成就という世間が求める基準内に入り、ネットの仲間たちから卒業した。
で、ネットの仲間たちは「ここには戻ってきてはいけない」といい、電車男なる主人公を送り出す。

つまりネットの仲間たちは下位であり、電車男はその「掃きだめ」から脱出した、恋愛成就に至った電車男は彼らより上位に立った・・・ということである。

電車男は恋愛成就で勝者となり・・・
電車男を応援した人間的に温かい彼らは『下層』『負け組』の集まりと位置付けられていたように思う。

少なくともワシはそう捉えた。

恋愛し、彼女をゲットしたことは、とてもとても偉いことのようだ。

恋愛成就した者は、下層の集まりであるコミュニティに戻ってきてはいけない、ということは・・・
上位者は下位者に関わってはいけない、交流してはいけないということをも意味している。

それも「ここに戻ってきてはいけない」(=下位の自分たちに関わってはいけない)というセリフを、物語上『負け組・下層』に位置づけられてしまった当の本人たちに言わせてしまう。

ああ、電車男もカースト物語だったんだな、と今にして思う。

世間の空気によって、自身が己をジャッジし、自分は下層である、と思い込ませる。

「電車男」は・・・実に巧妙なカースト制度を物語上で表現した。

そして、もし彼女がさほど容姿が良くなくて、世間で言うところの「ランクが下=Cクラス」だったら、世間の電車男に対する評価は落ちるのだろうな・・・

と、ワシは穿った見方をしてしまった。

連れている彼女の容姿で、男の価値が決まる。
郷田浩と同じ価値観^^


で、ほかにも、そういった物語作品は多いよね。恋愛成就・結婚成就=ハッピーエンド。

その上、恋愛をテーマにした物語では、女性キャラはたいてい容姿はランク上。脇役でない限り、ブスはありえない。(男性キャラにおいてはたまにブサメンもあったりするようだが・・・)
ブスが登場する時、それはギャグであり、哂いを取るための道具となる。

本当はえげつない恋愛物語。
物語によっては、イジメ要素も巧妙に仕組まれている。

(何度も話題にして恐縮だが、一番分かりやすいのはブスキャラが悪しざまに描かれた椰月美智子の「恋愛小説」だ。それについてはここを参照→http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-20-3

女の価値は美。まずは容姿を問われる。それがないと始まらない。
世間は「それは違う」と言うけれど、本音は違うだろう。

だから映像作品で真面目な恋愛ものを扱う時、メインキャラの女性は美人しか出さない。
視聴者がそれを求めるから。

というわけで、ワシは「恋愛や結婚するという生き方のみを最良とする物語にはするまい」と思った^^;

それぞれ、友だち、同僚、仕事仲間などなど、そういった人間関係で縁が結ばれて、心穏やかに幸せに暮らせる場合もあるだろうし、恋愛や結婚に囚われる生き方のほうが息苦しく、不幸を呼び込む気もする。

たとえば、いくら医師が収入が高く世間から認められたランクが高いとされる上位の職業であっても、皆が皆、医師になりたいわけじゃないよね。それだけで医師になりたいとは思わないし、合う合わないがある。いくらだって、ほかの職業=ほかの生き方があり、幸せになれるかどうかはまた別の問題。

自分には合わないのに、「これが世間から認められた生き方だ」として、無理して合わせようとするほうが不幸になる気もする。

恋愛や結婚・・・異性に気に入られようとする生き方ってちょっと息苦しそう。

ちょうど自分に合った人が現れ、結ばれるかどうかは縁、運だろう。
いなきゃいないでいい、そんなもんかもしれない。

そして・・・もうひとつ。小説「~縁」では、対立していた者同士が和解し、皆仲良しハッピーエンドにはなっていない。

小林和江と小林和彦・真理子、福田みすずと郷田浩、沢田文雄と郷田浩は、お互いに分かり合うということはなく、認め合うということもなく、距離を置き、最終的に「関わらない」という道を選択させた。

郷田浩に限り、忘れたいのに悔しくて忘れられない、ちくしょお~、という感じだ。未だに福田みすずと沢田文雄を嫌っている。だって自分よりもランクが下だと見下してきた者に『やられた』わけだから。

一方で福田みすずと沢田文雄は、郷田浩をどうでもいい人・関係ない人とし、記憶の隅に追いやる。

まあ、それが現実的だよな、ということで。

四条静也のみ、小林和江と距離をほんのちょっと縮めたくらいか。

だって、価値観の違う者同士が分かり合うって、めったにないことだもの。
そっちはそっちでご自由に。その代り、こっちも自由にやらせていただく、というのが現実的な解決方法だ。共存するということはそういうことだろう。

あるいは力でどちらかを従わせ、どちらかが合わせるか。

世間様はどうにかして、『リアルな恋愛を重視せず趣味に走るオタク』、あるいは『たくさんの女とエッチすることを目指す恋愛工学生』を改心させたいのだろうな。「正しい恋愛をせよ」と。

「じゃないと不幸になるよ」と脅し、「あいつらは下層だ、かわいそうだ」「あいつらは気持ち悪い」という空気を作り上げる。

極めつけは「あいつらは犯罪者予備軍」「犯罪を誘発させる存在だ」と社会の害悪のように仕立てる。

こうして自分たちの価値観に従わせようとする。

※なのでオタクや非モテのほかに、エッチしまくり恋愛工学生にも興味をもった。どちらも世間から白い目で見られることにおいては同士かもしれん。

けれど、法を犯さない限り、自由だ。

力づくでいくなら、規制する法を作るしかないわけだけど、多様性を認めようというのとは逆行しているよな。

現行の世間の価値観とやらにはまっている人たち=多数派の人たちは、ほかのマイノリティの価値観が許せない。

そういう人は、やっぱり「自分たちの正しい価値観」とやらで他者を縛りたいのだろうな。
皆、同じ価値観で統一したい、そのほうが管理しやすいしね。

で、安心なのだろう。
(その気持ちも分からないではない。だって価値観が全く違うイスラム教徒が大量に日本国に入ってきたら、心配だもの)

結局・・・相手と距離を置くか、それとも力づくで相手を屈服させ、こちらの価値観に従わせるべく戦うか・・・それしかない。

ま、平和に、お互い距離を置く、関わらないのが一番賢いやり方かも。

おっと話題がずれてきたな。

まあ、とにもかくにも「これは何かの縁」を読んでくださった方、お付き合いくださり、どうもありがとうございました。
とりあえず、連載終了です。


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「聲の形」VS「君の名は。」の評価 [創作・表現・作品感想]

12月28日追記。

映画動員ランキング
1位「君の名は」 2位に「聲の形」のようじゃな。


「君の名は」は高評価ばかりが目立つ。
で、ジブリ以外で初の興行収入100億円、突破したらしい。

が、一方で「聲の形」は・・・高評価も多いが、低評価の声も割と聞く。

そこでもう一度、そのことについて話題にしてみる。

記事「聲の形がいじめっこ向け感動ポルノ?」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-22補足として・・・まずは『聲の形』の感想、批評について興味深いサイトを紹介しよう。

高評価(かなり詳しいネタバレ有)
http://blog.imalive7799.com/entry/Koe-No-Katachi-20160917

「君の名は」は単純に楽しめそうだけど、「聲の形」はいろいろ考えさせられるテーマの話のようだ。

そして「君の名は」は何だか「一人映画」しづらいような雰囲気。恋人や友だちと行く映画で、いかにも「リア充」映画って感じ?

対して「聲の形」は「一人映画」でも楽しめる映画のようで、イジメ・コミュ障がテーマなだけに非リアにも突き刺さる内容のようだ。

だが、「聲の形」には低評価の声も目立つ。

低評価(有名評論家のツイート発言をまとめている)
http://nijigenme.com/anime/2016/09/24/14214/

つまり「いじめ」をテーマに描くというのは、それだけ難しいということなのかもな。
それを物語という形にし、しかも客を楽しませるため、エンタメ要素を入れていく・・・ある程度のカタルシス、感動を客に提供しないといけないのだから。

低評価サイトのコメントにあった『美少女にしちゃうから、感動ポルノに成っちゃうんだよ』に納得。

もし、いじめられている障碍者が、不美人、ブスだったら・・・つまり世間でいうところの下位ランクの者だったら・・・まず映像エンタメ作品になりえない。
主人公はイケメン、美人、カワイイ子。これが現実だ。

映像エンタメにおいて「容姿が劣る主人公の物語」など、誰も見てくれない。

「野ブタをプロデュース」の「野ブタ」も、原作の小説では「容姿が劣る冴えない小太りの男子生徒」だが、テレビドラマでは野ブタ役は、超美少女といっていい堀北真希さんだった。

「聲の形」に登場するメインキャラも皆、容姿はランク上位者だ。

(ちなみに「君の名は。」も主人公らはイケメン・かわいい子だよあ。ブサメンはともかく、ブスの恋愛ものって観たことがない。・・・一方、ブサメンの恋愛ものは、少ないがたまにある^^;)

なので、自分は画がない小説のほうへ興味がいってしまったのかもしれない。

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この世界の片隅に [創作・表現・作品感想]

「君の名は。」が興行収入100億を超える大ヒット。
「聲の形」も、「君の名は。」に隠れがちだが、こちらも19億円・・・アニメ映画にしてはヒットした。

「聲の形」は恋愛ものではなく、人間ドラマに比重を置いているということで、安易な恋愛ものにしなかったところに評価が集まったようだ。

そして次に注目されているのが「この世界の片隅に」だ。
(漫画原作は私も読んだので、どういう話かは知っている)

原作者・こうの史代氏の漫画、ほかに「夕凪の街 桜の国」も有名。これは実写で映画化された。

公式サイト。
http://konosekai.jp/
img-08.jpgimg-02.jpg
img-03.jpgimg-01.jpg
戦争が関わるので明るい話とは言い難いかもしれないが、戦中の一般庶民の日常生活が丹念に描かれている佳作だ。

何てことはない日常生活を楽しむ・・・ワシが描こうとしている本編「縁」のテーマでもあるので、注目している。

そこで短編小説「これも何かの縁」(略して縁)の紹介。
IMG_20150123_0001.jpg

四条静也・理沙の若夫婦の、日本文化や風習を話題にした四季折々の日常生活を描いた物語。
行事・風習・食関連の雑学(由来や歴史など)・うんちくも満載。

短編小説「縁」本編の目次はこちらhttp://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28

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オタク趣味とオタク蔑視と駅乃みちか問題 [創作・表現・作品感想]

ショパンと対話しながらピアノの練習→わあ、すご~い。

漫画やアニメのキャラと対話しながら二次創作→わあ、きも~い。

この違いは何なんだ・・・。

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というわけで一昔前、世間から見下されてきたオタクであるが・・・
それでもプロアマ問わずクリエイターらがオタク文化を花開かせ、海外にまでその影響を及ぼすようになり、ようやく日本社会も認めるようになってきた。

が、それでもなお、見下されがち。

記事「フェミVSオタク」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-19でも話題にしたけど・・・

一部フェミから萌えキャラが標的となり、オタクが叩かれる話を見聞きする。
ほかにも女性を蔑視し性的に扱ったたくさんあるだろう広告・エンタメ作品・芸術作品・文学作品があるのに。

「駅乃みちか」の場合、公的機関・パブリックな機関が萌え絵を使ったというところから批判が始まったが、
その萌え画を使用したは東京メトロではなく、トミーテックという企業だった。
東京メトロはキャラの名を貸してあげただけ。

が、それでもフェミは、誤解したことを謝らず、開き直り、公的機関云々関係なく「女性蔑視的な絵」として非難する。
じゃあ「駅乃みちか」だけじゃなく、ほかにもそういったエンタメ作品・広告はたくさんあるのだから、そっちも批判しないと不公平だよな。

いや、作品批判は別にいいのだ。
言論の自由があるのだから。

が、その作品を引込めろ、訂正しろ、というには、それ相当の理由が必要だ。
表現の自由を脅かしかねない大事な問題だからだ。

「表現の自由のためなら、差別が許されるのか?」という反論もあるが・・・
そこは双方の議論が必要だろう。

それは本当に「差別表現なのか?」だ。

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フェミVSオタク・駅乃みちか問題 [創作・表現・作品感想]

10月21日追記。

萌え絵の「駅乃みちか」は、東京メトロ公式キャラクターとしてのデザインがリニューアルされたものではなく、萌えキャラクターコンテンツのひとつである『鉄道むすめ~鉄道制服コレクション~』(トミーテック)の企画に参加するために、人気イラストレーターの伊能津さんによって描かれたもの。

ということで萌え絵「駅乃みちか」が女性を性的に扱っているとして問題視するなら、あらゆるポスター、CMなども問題になる。
で美術館にある絵画や彫刻も裸婦画や裸婦像があるので、そちらも問題になるだろう。

もちろん、「これは不愉快だ」と批判するのは自由だ。
その声があまりに大きく、『客層・ターゲット』の大半が不快に思っている、これは売れないと判断すれば、商業主義で動くメーカーは取りやめに動くのだろう。

が、擁護の声も大きく、客層が『駅乃みちか、素敵、かわいい、関連商品を買うぞ』となれば、そのまま続行だろう。

まあ、フェミが『鉄道制服コレクション』に興味をもっているわけではなく・・・
ましてや、その商品そのものがけしからんから取りやめろという権利もない。

その制服コレクションが女性差別につながるかどうかとなると、これはかなり疑問だ。

それでも「女性差別だ」「不快だ」というのであれば、これはもう感覚の問題。

で、もし「不快だから取り下げろ、規制しろ」がまかり通れば、漫画やアニメ、ゲーム、小説にも関わる表現の問題となる。

※とある学校の図書館ではライトノベルが排除されるとのこと。表紙イラストが女性を性的に扱う表現が含まれているからだという。


というわけで、ほかの人たちの正論を紹介しよう「^^;

https://twitter.com/koshian/status/789214274002440192
【「不快なもの」は昔から排除されてたよ。人種隔離政策とかそれでしょ。そこから「特定の属性を属性を理由に排除してはいけません」という倫理観を身に着けつつあるのが今。でも人は排除の正当性を見つけたがるんだ】

https://twitter.com/koshian/status/789253073055125504
【多様性のある社会とは、毎日あらゆる場所で不快感に耐えなければならない社会のことである】

https://twitter.com/piro_or/status/789183336350494720
【山田花子なら真っ昼間からセクシーポーズで「カモォ~ン[黒ハート]」とやっても問題にならないし、渡辺直美ならゴールデンタイムにレディ・ガガの扮装で男性ダンサーの股間をいじってもギャグで済まされる、そういう話】


不快な思いや傷つく思いをするかもしれないが、それをできるだけ許容する自由社会を選ぶか、あらゆる不快なものを排除し規制する社会を選ぶか・・・だな。

何が不快で何が不快ではないか、これは多数決ということになるのだろう。

となると少数派の意見や考え、感覚が排除されるな^^;

いや、多数決ではなく、女性の性的表現を規制しろ、これは差別だ、というのであれば・・・
萌え絵が不快であれば、女性を性的に扱ったあらゆる表現、商品も規制すべきだろう。それらも不快に思っている人はいるはずだ。

漫画やアニメ、ゲームだけではなく、小説、映画、古典作品も全てが対象になる。
もちろん美術の絵画、彫刻も含まれる。エログロ表現もけっこうあるし。

クレームが巻き起こるたびに、もう面倒だから女性は扱うな、ということに???
※障碍者がこんな感じに扱われるよね、問題が起こりそうだから最初から扱わない、と。

https://twitter.com/keiichisennsei/status/789089865094668290
↑上手い・・・

※関連記事
「オタク趣味とオタク蔑視と駅乃みちか問題」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-24-7


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