改めて、連作短編小説「これも何かの縁」のあとがき。

※「~縁」最終章についてのあとがき風エッセイはこちら。
「篤き信仰心♪ 恋愛教・結婚教と憲法9条」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-14
「ヤンチャVSオタク」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-21-2
「理想の夫婦って?」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-21-1

・・・ということで連作短編小説「これも何かの縁」では、結婚して幸せカップルの姿もあれば、そういったものから撤退し、己の道を行く者もいたり、キャラによって様々な生きざまを描いてみた。

当初、四条静也と理沙の話からスタートしたこの物語。「こんなカップルいたらいいよね」みたいなノリもあり、夫婦愛・家族愛テーマで日本文化・風習を織り交ぜながら、ほのぼのハートフルな話を目指していた・・・

・・・はずなのに、なぜか小林和江や福田みすずがメインキャラとして活躍(キャラが勝手に動き出す、というやつだ)、第2部ではテーマは家族愛のみならず、べつに家族がいなくても、結婚しなくても、独りでいい、いろんな生き方ありでいいんじゃね? という話になってしまった・・・^^;

そうそう、多様性を認めようというわりには、どこか狭量な世間様。

これを書き貯めていた当時(ブログにアップし始めた時は全話、出来上がっていた)、「中年童貞」という言葉が出てきて・・・「犯罪者予備軍」「落ちこぼれ」と有害視されたり・・・「若者がエッチしない」と騒ぎ、いい歳した処女も問題視され・・・非モテやブス、ブサメンがどこか見下され、哂いものにされ・・・

ああ、これって何か既視感・・・そうそう、世間がオタクを叩いていた時と同じじゃん? と思った。

ただ、その時点でも、ワシはまだ勘違い・誤認をしていた・・・。
世間はようやくオタクを受け入れ、認めてくれるようになったと。

でも本当は違ったようだ。

出てくる出てくる、きれいごとじゃない皆の本音。反差別を訴える連中でさえ、オタクに対し酷い差別発言。オタクは人間ではないと言いたげだった。

皆、正義面しながら堂々とナチスしているじゃんw うん、ナチスするの楽しいよね。いや、ワシには楽しそうに見えたぞ^^

恋愛市場・婚活市場のえげつなさも知った。
堂々と人をモノ扱いし、ランク付けし、なるほどこれは劣等感をこじらせるよな、と思った。

そして、極めつけは・・・世間様がエッチ初体験年齢を取沙汰し、公の機関が調査し、「若者のエッチ初体験が遅いこと」を気にするようになり、「20歳過ぎた童貞と処女はちょっと遅れている、ランクが下、いつまでも童貞と処女では恥ずかしい、みんな早くエッチをしよう」という空気を作り出していたこと。

うわ、気持ち悪い・・・。

オタクを気持ち悪いというが、世間様のほうがよほど気持ち悪い。
キモオタのワシを含め、世の中、気持ち悪い人・気持ち悪いものだらけじゃの~www

ちょっと前まで、世間様はエッチの低年齢化を憂えていた気がするが、いつの間にか「若者がエッチしないこと」を嘆くようになり・・・

産めよ増やせよ、ならぬ、恋愛せよエッチせよ、になったようじゃ。

いい歳した童貞と処女はもはや戦犯扱い、非国民扱いになりそう。

これでは、『本物のエッチをするよりも、2次元の世界で満足するオタク』も問題視されることじゃろう。

いや、もちろんオタクだって、手っ取り早くエッチさせてくれる3次元のそこそこ気に入った人間がいれば、エッチするのも、やぶさかではないだろう。むしろしたいじゃろう。

が「多大なる努力をして、がんばってがんばって、時間とお金をかけて、交際に持ち込み、エッチしろ」となると、それは面倒だし、そこまで手間をかけたくないし、ならば2次元でいいやということになるのじゃ。

ああ、そうそう、こんなツイートがあったので紹介。
https://twitter.com/bot_hachu/status/830103433436729346より転載。

【童貞の人って、女子に相手にされないのを基本として生きているから「あのレベルより二次元のほうがいいもんね」とか言って普通の女子を好きにならないのだけど、逆にスーパー美人が優しくしてくれると「俺に女神降臨!」っつってコロっと好きになっちゃってでも高根の花だから落とせなくて結果童貞だ】

見下し、入ってますね^^;
けど、よ~く考えたら、モテない童貞は、己の身の丈に合わせ、ランクの低いブスで我慢しろ、と言っているようにも聞こえる。

なんか恋愛では幸せになれそうもないね^^;
哂われるだけ損。

とまあ、とにもかくにも・・・キモオタのワシの興味は「世間の基準から外れてしまった人」へと流れた。ワシ自身が世間の外れ者だからかの~。

なので、小林和江、福田みすずがメインに躍り出て、ほかにも沢田文雄、長山春香も誕生した。

一方で、世間の価値観を映し出させたキャラも登場させた。それが小林和彦・真理子、そして郷田浩だ。最後のほうでは、小林和江の母・敏子も加わる。

そこでこんな図式が出来上がる。
【小林和江・沢田文雄・長山春香・福田みすず】VS【小林和彦・小林真理子・小林敏子・郷田浩】

つまり・・・
世間の基準・価値観から外れた者たちVS世間の価値観・基準に沿った者・はまっている者たち

※ちなみに四条カップルは、世間の基準に沿った生き方をしているけれど、あまり他者とは関わりを持たないカップルでもあり、世間の基準から外れた者たちのことなど関知しないので、対立にならない。他者のことなど興味はなく、世間から距離をとっているカップルだ。

そして、恋愛が苦手なキャラたちを『電車男』のようにはしたくないと思った。

そう、あの『電車男』である。
(ワシはドラマ版最終回のそれも終わりのほうしか見なかったが、大方のあらすじは知っている。原作となった『掲示板』の方は見てない。実話かどうか定かではないし、釣りの可能性も大)

電車男は、恋愛成就という世間が求める基準内に入り、ネットの仲間たちから卒業した。
で、ネットの仲間たちは「ここには戻ってきてはいけない」といい、電車男なる主人公を送り出す。

つまりネットの仲間たちは下位であり、電車男はその「掃きだめ」から脱出した、恋愛成就に至った電車男は彼らより上位に立った・・・ということである。

電車男は恋愛成就で勝者となり・・・
電車男を応援した人間的に温かい彼らは『下層』『負け組』の集まりと位置付けられていたように思う。

少なくともワシはそう捉えた。

恋愛し、彼女をゲットしたことは、とてもとても偉いことのようだ。

恋愛成就した者は、下層の集まりであるコミュニティに戻ってきてはいけない、ということは・・・
上位者は下位者に関わってはいけない、交流してはいけないということをも意味している。

それも「ここに戻ってきてはいけない」(=下位の自分たちに関わってはいけない)というセリフを、物語上『負け組・下層』に位置づけられてしまった当の本人たちに言わせてしまう。

ああ、電車男もカースト物語だったんだな、と今にして思う。

世間の空気によって、自身が己をジャッジし、自分は下層である、と思い込ませる。

「電車男」は・・・実に巧妙なカースト制度を物語上で表現した。

そして、もし彼女がさほど容姿が良くなくて、世間で言うところの「ランクが下=Cクラス」だったら、世間の電車男に対する評価は落ちるのだろうな・・・

と、ワシは穿った見方をしてしまった。

連れている彼女の容姿で、男の価値が決まる。
郷田浩と同じ価値観^^


で、ほかにも、そういった物語作品は多いよね。恋愛成就・結婚成就=ハッピーエンド。

その上、恋愛をテーマにした物語では、女性キャラはたいてい容姿はランク上。脇役でない限り、ブスはありえない。(男性キャラにおいてはたまにブサメンもあったりするようだが・・・)
ブスが登場する時、それはギャグであり、哂いを取るための道具となる。

本当はえげつない恋愛物語。
物語によっては、イジメ要素も巧妙に仕組まれている。

(何度も話題にして恐縮だが、一番分かりやすいのはブスキャラが悪しざまに描かれた椰月美智子の「恋愛小説」だ。それについてはここを参照→http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-20-3

女の価値は美。まずは容姿を問われる。それがないと始まらない。
世間は「それは違う」と言うけれど、本音は違うだろう。

だから映像作品で真面目な恋愛ものを扱う時、メインキャラの女性は美人しか出さない。
視聴者がそれを求めるから。

というわけで、ワシは「恋愛や結婚するという生き方のみを最良とする物語にはするまい」と思った^^;

それぞれ、友だち、同僚、仕事仲間などなど、そういった人間関係で縁が結ばれて、心穏やかに幸せに暮らせる場合もあるだろうし、恋愛や結婚に囚われる生き方のほうが息苦しく、不幸を呼び込む気もする。

たとえば、いくら医師が収入が高く世間から認められたランクが高いとされる上位の職業であっても、皆が皆、医師になりたいわけじゃないよね。それだけで医師になりたいとは思わないし、合う合わないがある。いくらだって、ほかの職業=ほかの生き方があり、幸せになれるかどうかはまた別の問題。

自分には合わないのに、「これが世間から認められた生き方だ」として、無理して合わせようとするほうが不幸になる気もする。

恋愛や結婚・・・異性に気に入られようとする生き方ってちょっと息苦しそう。

ちょうど自分に合った人が現れ、結ばれるかどうかは縁、運だろう。
いなきゃいないでいい、そんなもんかもしれない。

そして・・・もうひとつ。小説「~縁」では、対立していた者同士が和解し、皆仲良しハッピーエンドにはなっていない。

小林和江と小林和彦・真理子、福田みすずと郷田浩、沢田文雄と郷田浩は、お互いに分かり合うということはなく、認め合うということもなく、距離を置き、最終的に「関わらない」という道を選択させた。

郷田浩に限り、忘れたいのに悔しくて忘れられない、ちくしょお~、という感じだ。未だに福田みすずと沢田文雄を嫌っている。だって自分よりもランクが下だと見下してきた者に『やられた』わけだから。

一方で福田みすずと沢田文雄は、郷田浩をどうでもいい人・関係ない人とし、記憶の隅に追いやる。

まあ、それが現実的だよな、ということで。

四条静也のみ、小林和江と距離をほんのちょっと縮めたくらいか。

だって、価値観の違う者同士が分かり合うって、めったにないことだもの。
そっちはそっちでご自由に。その代り、こっちも自由にやらせていただく、というのが現実的な解決方法だ。共存するということはそういうことだろう。

あるいは力でどちらかを従わせ、どちらかが合わせるか。

世間様はどうにかして、『リアルな恋愛を重視せず趣味に走るオタク』、あるいは『たくさんの女とエッチすることを目指す恋愛工学生』を改心させたいのだろうな。「正しい恋愛をせよ」と。

「じゃないと不幸になるよ」と脅し、「あいつらは下層だ、かわいそうだ」「あいつらは気持ち悪い」という空気を作り上げる。

極めつけは「あいつらは犯罪者予備軍」「犯罪を誘発させる存在だ」と社会の害悪のように仕立てる。

こうして自分たちの価値観に従わせようとする。

※なのでオタクや非モテのほかに、エッチしまくり恋愛工学生にも興味をもった。どちらも世間から白い目で見られることにおいては同士かもしれん。

けれど、法を犯さない限り、自由だ。

力づくでいくなら、規制する法を作るしかないわけだけど、多様性を認めようというのとは逆行しているよな。

現行の世間の価値観とやらにはまっている人たち=多数派の人たちは、ほかのマイノリティの価値観が許せない。

そういう人は、やっぱり「自分たちの正しい価値観」とやらで他者を縛りたいのだろうな。
皆、同じ価値観で統一したい、そのほうが管理しやすいしね。

で、安心なのだろう。
(その気持ちも分からないではない。だって価値観が全く違うイスラム教徒が大量に日本国に入ってきたら、心配だもの)

結局・・・相手と距離を置くか、それとも力づくで相手を屈服させ、こちらの価値観に従わせるべく戦うか・・・それしかない。

ま、平和に、お互い距離を置く、関わらないのが一番賢いやり方かも。

おっと話題がずれてきたな。

まあ、とにもかくにも「これは何かの縁」を読んでくださった方、お付き合いくださり、どうもありがとうございました。
とりあえず、連載終了です。


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