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ぼっち上等・友だちはいなくてもいいのでは? [自殺・イジメ・差別・生き方・人間関係]

5月25日追記。

まずは、我らが藤沢数希氏のツイート、紹介。
https://twitter.com/kazu_fujisawa/status/855759678382276608より転載。

【僕は昔からうすうす友だちは少ないほどいい、いなくてもいい、と思っていたけど、最近、自分の考えがまったく正しかったとますます思うようになったな。友だちとの交友コストは、ほとんどの場合、期待リターンより高いからな】

一般の人は、こういった人間関係を「コスパで計るなんて」と批判的に見るんだろうな。
そしてこういう考えの人を「寂しい人、かわいそうな人、孤独、不幸」とネガティブに捉える。

ただ、この藤沢氏の「友だちは別にいなくてもいい」という考え方に救われる人、意外と多いのではないだろうか。

なので・・・当ブログにてアップしている連作短編小説「これも何かの縁」では、主人公の四条静也と理沙には友だちがいないし、長山春香もそういう設定だ。

特に、長山春香は友だちに裏切られてからは、自分を守るために完全に人と距離を置いている。

簡単に「人を信じる勇気を持て」「傷つくことを恐れるな」とは言えないよな。そう言える人はきっと手痛い裏切りにあったこともなく、人間関係に恵まれた幸運な人なのだ。

そして友だちがいないメリットは・・・四条家でいえば・・・四条静也には友だちがいないからこそ、お付き合いもしなくて済み、家庭最優先という生き方ができるのである。
交際費もいらない。余計なお金を使わなくて済む。なので四条家の経済状況はわりと良かったりするのだ。

高校時代、ハブられていたオタク漫画家の沢田文雄も友人とつきあうよりも我が道を行くこと(漫画道)を優先させた。

それにより沢田はやっと劣等感に苛まれる苦しみから脱したわけだけど・・・もしも、世間の価値観にすり寄り、何とか友達を作ろうと無駄な交際に時間やお金をかけ、漫画道に没頭できなかったから、きっと漫画家にはなれなかっただろう。

※ちなみに連作短編小説「これも何かの縁」の目次はこちらです。
http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28
IMG_20141224_0004.jpg

ということで・・・ワシもこう思っておるぞ。

クラスで弾かれても、ハブされても、浮いていても、全然、恥ずかしいことではない。恋人と同じく、真の友人はそう簡単に見つかるものではない。独りでいいのだ。

きっと世間一般の人は「そんなの間違っている、不幸に決まっている、さびしい、かわいそうな人、人間として偏っている、問題だ、人間失格」と蔑むのだろうけれど。

さて、そんな中・・・
『我が道を行くオタク』は自己完結型が多いので、彼氏彼女どころか友だちいなくても、けっこう楽しく過ごせたりする。

ああ、だからオタクは忌み嫌われているのかもしれない。(前にも言ったことあるけれど)
世間が良しとする価値観に背を向けるからね。

かく言うワシも、独りで漫画を描く、ピアノを練習するという生活をしていたし、ゲームではドラクエやクロノにはまり、とにかく独りで遊ぶことが楽しかった。

今はこうして文章を書くことで時間があっという間に過ぎてしまう。自由時間は貴重だ。

友だちがいない、ぼっちだと劣等感に苦しんでいるそこのあなたよ、
彼氏彼女がいないと心配する世間様は、友だちがいないとなるとこれはもう人間として問題だとし、不幸だ、人間失格扱いするが、気にすることはない。

沢田文雄も長山春香も孤独の中で幸せを感じておる。

※短編連作小説「これも何かの縁」より、沢田文雄、長山春香が登場する話はこちら。

「風のない日の鯉のぼり」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-02-02
あらすじ→小林和江の従弟・オタク漫画家沢田文雄登場。自身に劣等感を抱く彼の過去とは。

「醜い世界」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-02-18
あらすじ→壮絶なイジメを経験した漫画家の卵・長山春香の話。四条静也と理沙との接点も明らかになる。

「梅雨明け・孤独な幸せ」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-02-20
あらすじ→社会からの爪弾き者の沢田文雄と長山春香、それぞれの視点から。海の日の雑学あり。

「秋の夜長・読書週間」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-06
あらすじ→孤独死、上等。死は安らぎ。長山春香にとって遠ざけたいのは人であり世間だった。

「それぞれの道・沢田文雄」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-25
あらすじ→元いじめっ子のヤンチャな郷田浩に思いを馳せる沢田。そして高校時代とは縁を切る。


つくづく思う。世間の価値観に合わせて恋人や友だちを探すよりよりも、夢中になる何かを探したほうがいいと。

友だちがいない、ぼっち・・・それは自由時間が人よりもあるということじゃ。
その時間を自分のために使うのじゃ。時間を人に遣わなくて済むのだから。

そーいや、ワシは何となく浮いていた音高3年時、長い昼休みは誰も来ない特別教室でピアノの練習をしまくっていた。(全ての教室にピアノがある。たいていは縦型だが、グランドを置いている教室もあった)

休みの日、友だちとどこかへ遊びに出かけるということもなかった。うん、3年の時は1度もなかった気がする。
ひたすらピアノの練習である。

ちなみに1、2年の時はそこそこ学校は楽しかったけど・・・
寮では浮いていて、同室の先輩とも上手く行ってなかったので、学校が終わると、ひたすら寮の練習室にこもってピアノを弾くのみの生活じゃった。

そうそう、同級の寮生からこんなことを言われたっけ。
芸能界にまるで興味なく、漫画やアニメが好きなワシに・・・
「漫画とかアニメじゃなくて、もっちトシちゃん(田原俊彦)とか聖子ちゃんに興味持ちなよ」と。

皆と同じ趣味を持て、興味を持て、という今で言う同調圧力。
ま、今の時代でも「皆と会話を合わせる努力をしろ、空気を乱すな」という圧力はあるよね。

けど、ワシの場合、逃げ場が練習室しかなかったことから・・・ピアノの練習をせざるを得ない状況となった。
テレビはないし、PCやスマフォもない時代、やることはピアノの練習しかなかったわけだ。

もしも友だちや先輩と楽しく過ごす寮生活・学校生活を送っていたら、あんなにピアノを練習することはなかっただろう。

音高に入るまで、ピアノの進み具合は相当に遅れていたが、すぐに取り戻せた。

今、考えればラッキーじゃった。環境がそう仕向けてくれた。

10代20代の時間は貴重じゃ。一番、伸びしろがある時代。
無理して、恋人や友だちを探して、さほど楽しくもないのに妥協してつきあったりすることはないのでは?

本当に好きなことや夢中になれることを見つけて、それに取り組んでみたほうがいいかも。
もちろん、それが将来の何かにつながるかは分からないけれど。途中で挫折したり、やっぱり自分に合わなかったりするかもしれないけれど。

自分の場合、ピアノはそこそこ弾けるようにはなっても、お金儲けはできず、マネタイズするのは難しかった^^;

だって、弾ける人は星の数ほどいるから。
ピアノほどコスパが悪いものは、そうない。
基本、自己満足の世界。
経済に重きを置く価値観で測れば、不良債権になる可能性が高く、いわば負け組になる確率が高い^^;

で、練習をよくやる人ほど、変人率が高いかも^^;
プロの演奏家になるわけでもなく、目標は大学を卒業すればいいわけで・・・ならば、ほどほどの練習で充分である。

ワシの場合も・・・遊びもせずに、独り引き籠ってピアノを練習することにエネルギーを費やすなんて、ちょっとおかしい、広い社会を知るべき、視野が狭く世間知らずになってしまう、人間として偏る、とマイナスに見られることが多くなっていった。

(・・・まあ、実際、そうなのだろう。だから音大はお勧めしない)

当時、世間の言う『普通の真っ当な大学生』とは、学業は程ほどに、それよりもバイトに勤しんで社会勉強をし、サークル活動で友だちをたくさん作り、人脈を広げ、授業は要領よくサボり、真面目な子からノートを借りて、試験を潜り抜け・・・先輩との人間関係を大切にし、ためになる情報を得て、効率よく学生生活をこなすこと・・・が良しとされていた気がする。

真面目に授業に出ている者は『要領が悪い=頭が悪い、面白味のない、つまらない人間』とマイナスイメージで見られていた。(ただし理系は別)

真面目に勉強する地味な人は、派手に遊んでいる大学生から単に利用され、陰でバカにされる存在。

真面目という言葉は悪い意味で使われていた。

今だって・・・外に出ずインドア派、友だちも少なく、もちろん彼氏彼女もいない、となれば、それは非リアと呼ばれ、負け扱い。

ま、他者(世間・社会)に自分の価値や意味を求めると、こじらせるよなあ。

だから、世間が良しとする価値観は関係なし。
自分が面白いか面白くないか、快感か不快か、楽しいか楽しくないか・・・自分基準でいくのじゃ。

人にどう見えようが、どう思われようが、気にしないほうがいい・・・と、まあ、これが難しいわけだけど^^;

ただし、世間=他者を完全無視すると、生活できないから、そこは程ほどに。

生活できる程度には他者に気を遣い、あとは基本、他人は関係なし、自己完結しようぜ。(オタクは得意だよね。こういうの)

自己承認欲は、何も恋人や友だちの存在で満たさなくてもいい。
逆に、恋人や友だちで自己承認欲を満たそうとするほうが、不幸への入り口となってしまう危険性があるかも。

つうわけで友人はいてもいなくてもどちらでもいい、ということじゃ。
仲間がいれば儲けもの、ラッキー、そのくらいに思っておけばいいのでは、と。


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タグ:オタク

若さを武器にパパ活・婚活は20代前半から [恋愛・婚活・中絶・不倫]

5月11日追記。

気になったツイートを紹介しよう。
https://twitter.com/yizumineee/status/861294137009512448より転載。

【日本に帰国するたびに女性を性として消耗する社会環境に辟易する。とりあえず電車の中吊りに水着グラビア吊るしたり、週刊誌の見出しとしてセックスやヌードなど性に関連する記載をするのはハラスメントだから。テレビでは女性の容姿をバカにしたり胸の大きさ聞いたり、こんなの異様だよ】

【電車の中吊りやコンビニの雑誌コーナーに男性の半裸グラビアが多く飾られたり、「イケメン現役男子大学生 驚愕のち◯こ XLサイズ!」のような見出しが公衆の場に溢れれば、お互い様で異性を性のコンテンツとして消費されることになるんでしょうね。もちろんそんな社会は最悪でしかありませんが】

で、ほかの人の茶々。

【すみません、不快にさせるするつもりはありませんでした。よっぽど恵まれない人生だったんですね。。。】


つうわけで・・・

表現の自由は大事だ、と思っているワシは、女性をモノ扱いし、女性の性を売り物にするような広告、グラビアも致し方なしと思っている。

けれど、それを不快だ、と意見する自由もある。

ただ、意見すると「(女として)恵まれない人生だったんですね」と揶揄される。

ま、日本が下品であるのも仕方なし。
恥ずかしいという感覚も個々で違うし。

イスラム社会からすれば、欧米の女性を扱った広告も「恥ずかしい、下品、害悪」と見るだろう。

テレビや週刊誌などメディアの影響がまだまだ大きい日本社会では、女の価値はまず若さと容姿。呪いは強固。

よって、女の子たちも日本社会で生きていくには(稼ぐには)、若いうちに女の武器を使ったほうが得かもしれないな、と思ったのでした。

いやあ、男性の半身グラビアや下品な広告もいいんじゃないですか^^;
女性たちの消費を促すために、ぜひ。

スケベ日本。だけどセックスレスは世界一(たぶん)
なんか面白い現象だね。

そう、きっと妄想力で、実際にエッチしなくても性欲が満たされるから、セックスレスなのかも。
それはそれでいい気もする。
レイプなど性犯罪だって、海外に較べたら、日本は少ないのでは。

恋愛しない若者、エッチしない若者を嘆く日本。
一方で、エッチに積極的な恋愛工学生などが叩かれる。

混沌としてますな。

ま、自由にいきましょう。
やりたい奴はやればいい、それだけのこと。

日本社会では、女性は美と若さに価値を見出す男性が多いということで、男性に気に入られるようにするのも良し、男性無視で自由に思うがままに生きるのも良し、だ。

損得勘定よりも、自分が楽しいか楽しくないか、快・不快、気持ちいいか気持ち悪いか、で選んだ方が、不幸回避につながる気がする。

(いや、下記では「損得勘定でいくしかない」とは書いたけど・・つまり生きていくには損得勘定も必要だけど、最終的には自分が楽しいか楽しくないか、快か不快か、だと思う)

自分中心で。
世間の価値観より、自分優先で行くのじゃ。

ワシはすでに世間の嫌われ者のキモオタ・ゴキブリ、しかも価値なしの産業廃棄物・BBAなので、気に入られるようにしようなどという気持ちはまるでない^^;

なので実に健康じゃ^^;

(世間・とくに男性に気に入られるようにしようとすると、不健康になる気がする。外反母趾、化粧による肌荒れ、剃刀前による肌荒れ、髪染めによる頭皮荒れ、ダイエットによる体の不調、整形崩れ、などなど)

つうか利用されないように、搾取されないようにしたいよな。これは男女共に。

※男性も、女性に気に入られようとして無理すると心身ともに健康、害するかも。楽しくないなら、時間やお金を消費してまで、女とつきあうことはない。
どうも・・・女の子と交際してどうも心の底から楽しんでいる男性は少ないような・・・性欲満たすため、あるいは自己承認欲を満たすために、彼女がいることで優越感を得たいからつきあっている・・・という気が。
本当は、趣味や価値観が合う男同士でつるんでいたほうがずっと楽しいのでは?
女の子に関わってもお金を搾取されるだけかもよ^^;


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・・・・・・・・・
5月8日本文。

「パパ活にもチャイナマネーの波」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51447

おお、富豪の愛人かあ。すげえな。

そうだね、ナンパや合コンなんかでちょっと奢られたくらいで股を開くよりも、きちんと「お金」を手にした方がいいかも。ナンパ師や強姦大学生たちに見下されつつ、やり捨てされ、肉便器扱いされるよりも。

女の子たちもしたたかになってきたね。ナンパされている場合じゃない。
うん、ナンパされるってリスク高い割にはメリットがさほどない気もするし・・・つうかメリットって全くないのでは。

ちなみにナンパされて、エッチする男に事欠かないっていうのは「モテている」というのとは違う気がする。
単に体よく肉便器扱いされているだけのこと。なので金持ちの愛人になって、お手当もらえるんなら、そちらにエネルギーを割いた方がいいかも。

それに、お金をもらえる=価格がつくほうが、女としての価値を数字で正確に計れるし。

え? 愛?
いやいや、ナンパや合コンで出会ってちょっとつきあったくらいで、愛が育まれるはずないじゃん。

今の時代、愛のある恋愛するのって、本当に難しそう。

男に誘われれば、自己承認欲が満たされる女子もいるかもしれないけど、ならばもう愛人・パパ活でお金をもらったほうがいいかも。ナンパで、ちょっと食事やお酒を奢られて、やり捨てされるよりもね。

ま、そこいらの複数の人たちと手軽に援助交際(死語?)するよりも、パパ活で愛人(一人の大金持ちの男性に気に入られて、それなりのお金をもらうこと)になるほうがずっと難度、高いだろうけれど。

うまくパパ活でまとまったお金を得て、投資なりにまわせば、歳食っても、生活していける。
それに、40代でも、70代の金持ちおじいさんの愛人にならなれるかもしれないし。

日本はどうせ若さ至上主義。
25過ぎから価値が落ち、30からはBBAと呼ばれ、アラフォーになれば女としての価値は限りなくゼロ・・・ということらしい。

ならば、女は若さという武器があるうちに稼げるだけ稼ぐ手もあり。
お金持ちとの結婚はうまくいくかどうか分からないし、それよりもお金持ちの愛人になることを狙ったほうがまだ勝算あるかも?

富豪ならば養育費もちゃんと払ってくれるだろう。

一夫一婦制の婚姻制度だと、何せ一人しか選べないから、男性もシビアになるだろう。
けれど愛人ならば、ハードルは多少、低めになるかも?

若いうちに何をするのか。
勉強して自分で稼ぐ方法を見つけるのもあり。
若さを武器に愛人で稼ぐのもあり。

もちろん、若いうちに婚活をがんばって、世間がお勧めする「結婚という法律婚をして、国家に見守ってもらいながら家庭を持つ」という道もあり。何しろ国家推奨だからね。愛人よりかは、ずっと世間の目は温かい。

今では女の子たち、学生のうちに婚活をがんばる人も増えているんだとか。
やはり女は若さ。それが一番の価値。

おお、なんだか昔に回帰したような・・・。
女学生のうちに婚約し、卒業と同時に結婚。

国としても、ぜひ推奨したい生き方だろうな。
何せ、22歳だから、子どもを3、4人くらい産んでくれるかも。

22歳という若さの価値はそりゃあ絶大だろうだから、高収入・金持ち男性と結婚できる率が高い?

というか、学生のうちから婚活に励み、若さを売るのだから、売り先は当然、高収入・金持ち男性だろう。若さと引き換えなのだから、条件の悪い人との結婚などありえない。

ちなみに女の若さを買う金持ちの男性は30後半から上だろう。それ以下はない、と思う。
男性としては本当は結婚に縛られずにいろんな女と遊びたい。それでもそろそろ結婚考えないと、と思うのが30後半からだろう。40からやっと腰を上げる人も多いかも。

パパ活と変わらないけれど、ま、結婚は別格だ。そう簡単に別れることはできないのだから、若いうちに婚活して、20代前半というメチャクチャ価値の高い時に、条件のいい人と結婚する生き方を目指すのも悪くはないのかもしれない。少子化を憂えている国・社会も応援するはずだ。

そーいや、大正天皇の御妃は、16歳で子どもを産んでいるっけ。次は確か18歳。

「赤とんぼ」じゃないけど、本当に15でねえやは嫁に行ったんだな・・・。
昔の価値観で言えば、22歳だって十分に嫁き遅れなのだ。

25歳過ぎれば『トウがたった』と言われ、女の価値ゼロ。
クリスマスケーキと同じ。

せっかく、上野千鶴子氏や田嶋陽子氏などががんばって、女性の地位を上げてくれたけど、やっぱりこの価値観は強固だね^^;
呪いはそう簡単に解けない。

秋篠宮の息子も、大学卒業したての22歳の嫁をもらえば、たくさん子どもが産めるかも?
(こうして見ると、天皇制って歪んだ制度だよな。もちろん今の価値観に照らし合わせてっていうことだけど)

事実、26歳から卵子の質が悪くなっていくらしいから、仕方ないのかもしれない。
子が欲しい男性にとって、女性の若さを重視するのは当然かも。

※このことについては短編連作小説「これも何かの縁」の1編目「聖夜」でも、ちょこっと話題に出てくる。
「聖夜」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-16
あらすじ→若夫婦の聖夜。性夜になるのはお約束。が、なぜか女性の人権VS男性差別の議論に。


ちなみに子産みに関して女性ばかり若さを求められるけど、男性も歳をとると、自閉症の子が生まれるリスクが高くなるそうだ。女が25歳までなら、男性は35歳までだ。男性も若ければ若いほど、リスクは減らせる。

※短編連作小説「これも何かの縁」の「嫁き遅れの雛人形」で話題にした。
「嫁き遅れの雛人形」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-25-2
※あらすじ→容姿に劣等感を持つみすず。伯父からの数々の侮蔑。フェミニズムに目覚めるまでの過去とは。


いや、覚めた考えだけど、この世知辛い社会で生きていくには、冷徹に損得勘定で行くしかない・・・かも。

どう人生の戦略を立てるか。

若いうちに勉強して才能を磨くか、
若さを武器に女と磨いて愛人になるか、
若さを武器に婚活を励み条件のいい人と結婚するか、

どれもあり。

生き方に上下をつけたがり、批判したり、バカにしたりするのも、これまた世間さまであったりするわけだけど。
どの生き方が幸せになれるかなど分からん。

いや、人間品定めの場である恋活・婚活は、人間性を奪う過酷な恐ろしい市場かも、と前のほうの記事で書いたこともあるが、生きていくには過酷な市場で戦い、勝利を手にするしかない場合もあるのかもしれない。もちろん、ボロボロに負けるリスクもあるわけだけど。

無理してそんな戦場に参加することもないし、戦場を避けることができるなら、逃げられるなら、それに越したことはないとは思う。
けど、あえて、その戦場で闘いたいと言う人もいるだろう。それなりのリターンはあるのだろうし。

ま・・・つまらないのは、ナンパや合コンで、ケチな男に捕まり、肉便器扱いされることかも^^;

何せメリットないからね。得るものがない。

ナンパ師や合コン男は、なかなか「やれる女」が見つからないと、「とにかくブス・BBAでいい。ブス・BBAでリハビリしよう」というのもいて、本当に肉便器扱いをしてくる。

自己承認欲を満たしたいがため、ナンパ男・合コン男の誘いに乗るのはやめておいたほうがいいかも。

「ナンパされるってことは、私に女としての価値があるってことね」と思っても、ナンパしているほうは「このブスが」と見下していたりするわけだ。

もち、女の子側もそれを承知で、性欲満たすための遊びだと割り切り、そのゲームに参加して楽しむのは大いにありだと思う。
人間、たまの遊びも必要だろう。

けど、よく知らない男についていくのは基本、危険だ。酷い目に遭い、レイプされたと訴えても、ついていったあなたも悪いでしょ、という目で見られてしまう。

その覚悟をもっての遊びということになる。

なので、そんな危険を冒してまで遊びたいか? と思う。
リスクが高い割にリターンがない。

で、そこにエネルギー集中させるのは損する気がする。
若い女の価値を売りたいなら、パパ活か婚活になるだろう。

うん、こう考えていくと、ワシは岡田斗司夫氏のやったことは、そんなに悪ではない気がしてきた。

オタキング岡田氏の愛人騒動、岡田氏は「女は犬」「賞味期限25歳、消費期限28歳」「女を愛することはない。所有欲と責任感だけ」と女性蔑視度は、若き日の高須克弥氏とトントンだろうけれど・・・

岡田氏はきちんと条件を提示し、相手の女の子がOKすればエッチした。最初からビジネスライクであることは女の子も分かっていたはず。
ヤリ逃げしたり、ブスを弄び、友人らと哂いものにし、嘘をついてだまし、利用して捨てた若き日の高須克弥氏よりは、岡田氏のほうがある意味、誠実。

岡田氏は騙していないし、哂いものにもしていない。
レイプもしていない。女の子にちゃんと選択させている。

童貞を捨てるために仕方なくハードル低いブスとエッチしようと言う「夢をかなえるゾウ」の著者・水野敬也氏よりも、岡田氏のほうが清々しい。

水野敬也氏も著書「LOVE理論」において、ブスの容姿を事細やかに描写し、読者に向けて哂いものにしたわけで、岡田氏よりはずっとえげつない。

というわけで、話は前に戻るけど、外国人とのパパ活について・・・世界はどこもエグイのかもしれないが、外国に目を向けるのもいいかも。

恋愛のグローバル化ってやつ?
(恋愛の定義は今ひとつ分からないが)

日本のケチ臭い男に見下され肉便器扱いされ搾取されるよりは、ビジネスライクに外国人の金持ち男性に自分の性を売るのもいいかもしれない。
一夫一婦制だと「いい男」との結婚は難しいし、20歳から婚活をがんばっても、成功しないかもしれない。

んで、おそらく家庭向きの男性・家庭を大事にする男性ってさほど多くないかも。

イクメンを売りにしている男性も陰では不倫していたりするしね^^;
(本当に家庭を大事にする男性なら、不倫する時間やお金を家庭にまわすだろう)

で、ミソジニ―(女性憎悪・女性蔑視)男に気をつけないと。

女性を憎悪しているのに、なぜか女性を求める。結婚したがったりする。
まあ、それがオスのサガらしい。

憎悪しているなら生身の人間に関わらなきゃいいのに。(オタクはそれができるよね)

ミソジニ―だと自覚していない男性もわりといるかも。

婚活女子も、ミソジニ―男性を見極めないと。
どんなに条件が良くてもミソジニ―男と結婚したら・・・まあ、その結婚生活は幸せなものにはならない気がする。

ま、少なくとも妥協婚はやめておいたほうがいいかも。
それにはやっぱ若いうちの婚活が大事?

女子も厳しい生存競争の時代に生きねばならぬからの~。

せいぜい・・・若き日の高須克弥氏や童貞を捨てるためならブスでも仕方なしと考える水野敬也氏、今一つナンパが成功しないので「価値が低いブス・BBAでも仕方なし」とする男性などに利用され、哂いものにされ搾取されないようにしたいものじゃ。

もちろん男性側も言いたいことはあるじゃろう・・・・・・が、今回は女性側に立って綴ってみた。



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漫画におけるブスの存在 [創作・表現・作品感想]

10月13日追記。

訂正
ドラえもんの『ジャイ子』について、コメントにて以下の指摘を受けたので、その内容を記します。
(コメント欄は下のほうで目立たないので^^;)

以下、転載。

【ドラえもんの第1話「未来の国からはるばると」では、ジャイ子は悲惨な目にあったのび太を笑ったり、羽つきで負けたのび太の顔を真っ黒に塗るような、意地の悪い女の子として描かれています。

また、初期エピソードの一つである「愛妻ジャイ子!?」でもやはりジャイ子はのび太の悪口を言ったりするのですが、ひょんなことからのび太に尊敬の念を抱き、のび太の方もまんざらでもなさそうな態度を見せるという展開になるんですよ!

”漫画家志望の努力家”というよく知られるジャイ子像は後年に設定されたもので、ジャイ子は初期と後期で大きく設定が変わったキャラです。

アニメに関しては見ていないので何とも言えないのですが、少なくとも原作漫画においては「のび太はブスだからジャイ子を猛烈に嫌っている」とは言い切れない部分があると思います。
ついでに言うと後期ジャイ子にはのび太とは別のボーイフレンド(めちゃくちゃ女子にモテる男子という設定)ができてたりします】

というわけで、ジャイ子の性格は初期と後期で違うようで、意地悪な性格だったようです。
以下、本文『のび太はブスというだけでジャイ子を嫌った』という部分を訂正します。申し訳ありませんでした。なお、本文はそのままにしておきます。

・・・・・・・・・・
5月1日本文。

ふと思った。
ブスを弄び、哂い、利用し捨ててきた若き日の高須克弥氏や、童貞を捨てるためにハードル低いブスを踏み台に経験を積もうというLOVE理論の水野敬也に限らず・・・・
「ブスを哂いものにしていい」=「ブスに人権なし」「ブスは嫌われ、侮蔑され哂われても仕方ない存在」と、ブスは利用されるだけでもありがたく思え、と考える人、けっこう多いかも。

「オタクは滅んでいってほしい」と訴える上野千鶴子氏のように。
「オタクに人権なし」と考える人がいるように。

※関連記事
「LOVE理論VS恋愛工学」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-12-07
「オタクは滅びてほしい・上野千鶴子ナチス思想」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-12-24
「ブスを利用して捨てる>高須クリニック・若き日の高須克弥氏」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-04-12


ブスはギャグ=哂われる存在。

それは子どもを対象とする漫画にもあるからだ。

そう、ドラえもんに登場するジャイ子が、それだ。
ドラえもんが登場する時、のび太の未来は「ジャイ子と結婚する」ということになっており、のび太が強烈に嫌がるシーンがある。その「悲惨な未来?」を変えるために、ドラえもんがのび太の手助けをする、というのが始まり。

さて、ジャイ子はブスではあるが、別に性格は意地悪でもないし、人間性に難があるわけでもない。
意地悪なのはジャイアンとスネ夫であり、ジャイ子の性格が悪いという描写はなかったように思う。

けれど、のび太は猛烈にジャイ子を嫌がる。

それは【デブス】だから。
その一点だろう。

もち、結婚した場合、義兄がジャイアンになるから、というのもあるかもしれないが・・・

もしジャイ子が美人だったら、義兄がジャイアンでも、あれほどに嫌がらないだろう。
というかジャイ子が美人だと、のび太がジャイ子を嫌がる理由がいまひとつ、読者である子どもに伝わらないからだろう。

で、ドラえもんの助けにより、のび太の将来は「美人なしずかちゃんと結婚する」という方向へ修正される。

子どもの漫画からして、ブスはダメな人間であり、ブスとの結婚は不幸であり、結婚するなら美人でいけ、美人は良し、美人との結婚は幸せ、という価値観で物語は進む。

いや、漫画だけではなく、幼児の読む童話からして、そんな感じだよね^^;
(今は違ってきているのかしら?)

読者は、のび太がジャイ子との結婚を嫌がるシーンを『それは当然だ』とごく自然に受け止める。
のび太は女の子を外見だけで判断している、と批判的に見たりはしない。

原作を全部知っているわけではないけれど、ブスというその一点だけでジャイ子はのび太からも嫌われるキャラであり、読者の哂いを誘うギャグキャラ・・・なのだ。

そういえば・・・聞いた話では、藤子不二雄氏はジャイ子の本名を表にしていないという。ジャイアンは本名があるのに。
それは、もしジャイ子の本名を表にしたら、その名前の女の子が虐められるのでは、と危惧したからなんだとか。
(ならば「のび太」や「スネ夫」みたいに、ありえない名前にすればいいのに・・・けれどジャイアンは普通に「タケシ」なんだよなあ)

もうずっと昔から「ジャイ子みたいなブスは嫌われ、哂われても仕方ない」という空気があったわけで、今よりも酷かったかもしれない。(昔はセクハラという概念もなかったし)

ただ、原作は詳しく知らないが・・・
ジャイ子は漫画家を目指しており、けっこう根性もあり、己の欠点も反省したりもし、人間としてはできている描写があるんだとか。

そう、ジャイ子はブスだけど、人間としてダメではないのだ。
むしろ、人間としてなかなか成長しない、ドラえもんに頼りっぱなしののび太のほうが、ジャイ子より下かも???

けれど、そんなのび太からジャイ子は猛烈に嫌われている。ブスというその一点で。

ブスと結婚したら負け。そんな未来は暗黒。惨め。不幸。
そんな価値観が子どもの時から刷り込まれるのだ^^;

なので、多くの男性が美人を求め、ブスを毛嫌いするのは当然なのかもしれない。

のび太でさえしずかちゃんと結婚できたのだ。美人をモノにしろ。ブスと結婚するくらいならしないほうがいい・・・かもしれないね^^;世間の価値観に背を向けるって難しいし。
ブスとの結婚こそ負け。避けるべきこと。ドラえもんはそう教えてくれる漫画・・・かも。

※ちなみにシズカちゃんの性格、そんなに良さそうじゃない? とすると、のび太は本当に外見のみで女性を選ぶ主人公だったということに^^;

「クソビッチすぎるしずちゃんと、のび太さんのタフネス・ドラえもん第2巻レビュー」
https://magazine.manba.co.jp/2017/07/26/dora02/


さて、そんな中・・・
もうひとつ、ブスキャラで印象に残っている作品がある。あだち充氏の「タッチ」だ。

主人公・上杉達也をライバル視している西村君と言うキャラがいるのだが・・・
そんな西村君の幼馴染・デブスの女子マネージャーが登場する。

が、こちらのデブス女子キャラは、おどおどしていて、自信なさげである。

なので読者に向けて、このマネージャーを「哂い者にする」という描写はなかったように記憶している。

で、劇中、男子生徒らがこの女子マネージャーをからかい哂うシーンがあるのだが、西村は怒り、その男子生徒らをボコボコに殴る。

まあ、西村君のこの幼馴染マネージャーに対する『威張る態度』はあまり好きではないが、このシーンで西村は株を上げたと思う。読者もここで「西村、いい奴じゃん」と見直したことだろう。

「タッチ」は、ブスキャラを登場させたが、『哂いもの』にはしなかった。

※ただし、ずっと前の方の話で・・・南ちゃんが、達也に殴られた後、達也を取り巻く男子生徒らが「南ちゃんを殴るなんて、ブスならともかく」と言ったりしている^^; 美人を殴るのは許せないが、ブスなら殴って良し、と言っているようで、すげえブス差別だな、とこの時には思ったが。


そう、物語上、ブスを哂いものにする場合、そのブスの性格はなぜか積極的で堂々としていて、生意気で、自分がブスだと自覚していない自信家・・・である。

まあ、弱弱しいブスを哂うと、ただの「いじめ」になってしまうからな・・・。

ただ、裏を返せば、「ブスはおとなしく引っ込んでいろ、お前の価値はゼロだ。自信を持つなど論外、分をわきまえろ」ということなのかもしれない。
じゃなければ「哂いものにするぞ」「いじめてやるぞ」と。

前にも話題にしたけど・・・
小説・椰月美智子氏の「恋愛小説」でも、なぜか男性にも積極的で自信家のオタクなデブスをこれでもかというくらい哂いものにし、悪しざまな描写がされていた。

そう、「ブスなのに、恋愛に積極的なんて許せない」「私のカッコイイ彼氏とエッチしたなんて、おぞましい」「ブスはブサメンとやっていろ」・・・これが美人主人公の本音。(おそらく椰月氏の本音でもあるのだろう)
そして読者も無意識にそれに同調する。だから、美人主人公がデブスキャラを気持ち悪がり、悪しざまに思う様に対し、読者は反感を覚えない。

※関連記事
「オタク女子を悪しざまに描いた作品」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-20-3


↓世間の本音はこうである。

のび太のくせに生意気だぞ。
ブスのくせに生意気だぞ。
オタクのくせに生意気だぞ。
非モテのくせに生意気だぞ。

おお、怖。
おとなしく自信なさげに引っ込んでいるに限りますね。

・・・・というわけで、うちの「これも何かの縁」に登場する郷田浩も、ブスなのに生意気な福田みすずにムカついたのだった。

郷田のような人間、けっこういるかもね。
いやあ、郷田浩、ちょっと悪しざまに描きすぎたかと思っていたけど、そうでもなかったようで・・・。

えげつない世間様の中で、福田みすずも自分の遺伝子を引き継いでしまうだろう子を持つことに消極的なので、自信家というわけでもないのだけどね。


※短編連作小説「これも何かの縁」より、郷田浩が登場する話はこちら。

「ドライなお見合い」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-01-10
あらすじ→福田みすず、イケメン・郷田浩とお見合い。その結果は・・・

「出しっぱなしの雛人形」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-01-18
あらすじ→意外と郷田家との相性は良く、みすずの心は揺れるが、常にこの問いが心に巣くう。そこまでして結婚したいのか?

「桜の葉」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-01-25
あらすじ→福田みすずのお見合い編、決着。呪いが解けたみすずVS郷田浩の戦いをご覧あれ。

「同窓会」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-01
あらすじ→オタク漫画家・文雄、高校の同窓会へ。いじめっ子元同級生と会う。沢田のとった行動とは。

「それぞれの道・郷田浩」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-24-1
あらすじ→沢田文雄の漫画が載ったコミック誌を読む郷田浩。ブスはこりごり。男の本音が炸裂。


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