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ぼっち上等・友だちはいなくてもいいのでは? [自殺・イジメ・差別・生き方・人間関係]

5月25日追記。

まずは、我らが藤沢数希氏のツイート、紹介。
https://twitter.com/kazu_fujisawa/status/855759678382276608より転載。

【僕は昔からうすうす友だちは少ないほどいい、いなくてもいい、と思っていたけど、最近、自分の考えがまったく正しかったとますます思うようになったな。友だちとの交友コストは、ほとんどの場合、期待リターンより高いからな】

一般の人は、こういった人間関係を「コスパで計るなんて」と批判的に見るんだろうな。
そしてこういう考えの人を「寂しい人、かわいそうな人、孤独、不幸」とネガティブに捉える。

ただ、この藤沢氏の「友だちは別にいなくてもいい」という考え方に救われる人、意外と多いのではないだろうか。

なので・・・当ブログにてアップしている連作短編小説「これも何かの縁」では、主人公の四条静也と理沙には友だちがいないし、長山春香もそういう設定だ。

特に、長山春香は友だちに裏切られてからは、自分を守るために完全に人と距離を置いている。

簡単に「人を信じる勇気を持て」「傷つくことを恐れるな」とは言えないよな。そう言える人はきっと手痛い裏切りにあったこともなく、人間関係に恵まれた幸運な人なのだ。

そして友だちがいないメリットは・・・四条家でいえば・・・四条静也には友だちがいないからこそ、お付き合いもしなくて済み、家庭最優先という生き方ができるのである。
交際費もいらない。余計なお金を使わなくて済む。なので四条家の経済状況はわりと良かったりするのだ。

高校時代、ハブられていたオタク漫画家の沢田文雄も友人とつきあうよりも我が道を行くこと(漫画道)を優先させた。

それにより沢田はやっと劣等感に苛まれる苦しみから脱したわけだけど・・・もしも、世間の価値観にすり寄り、何とか友達を作ろうと無駄な交際に時間やお金をかけ、漫画道に没頭できなかったから、きっと漫画家にはなれなかっただろう。

※ちなみに連作短編小説「これも何かの縁」の目次はこちらです。
http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28
IMG_20141224_0004.jpg

ということで・・・ワシもこう思っておるぞ。

クラスで弾かれても、ハブされても、浮いていても、全然、恥ずかしいことではない。恋人と同じく、真の友人はそう簡単に見つかるものではない。独りでいいのだ。

きっと世間一般の人は「そんなの間違っている、不幸に決まっている、さびしい、かわいそうな人、人間として偏っている、問題だ、人間失格」と蔑むのだろうけれど。

さて、そんな中・・・
『我が道を行くオタク』は自己完結型が多いので、彼氏彼女どころか友だちいなくても、けっこう楽しく過ごせたりする。

ああ、だからオタクは忌み嫌われているのかもしれない。(前にも言ったことあるけれど)
世間が良しとする価値観に背を向けるからね。

かく言うワシも、独りで漫画を描く、ピアノを練習するという生活をしていたし、ゲームではドラクエやクロノにはまり、とにかく独りで遊ぶことが楽しかった。

今はこうして文章を書くことで時間があっという間に過ぎてしまう。自由時間は貴重だ。

友だちがいない、ぼっちだと劣等感に苦しんでいるそこのあなたよ、
彼氏彼女がいないと心配する世間様は、友だちがいないとなるとこれはもう人間として問題だとし、不幸だ、人間失格扱いするが、気にすることはない。

沢田文雄も長山春香も孤独の中で幸せを感じておる。

※短編連作小説「これも何かの縁」より、沢田文雄、長山春香が登場する話はこちら。

「風のない日の鯉のぼり」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-02-02
あらすじ→小林和江の従弟・オタク漫画家沢田文雄登場。自身に劣等感を抱く彼の過去とは。

「醜い世界」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-02-18
あらすじ→壮絶なイジメを経験した漫画家の卵・長山春香の話。四条静也と理沙との接点も明らかになる。

「梅雨明け・孤独な幸せ」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-02-20
あらすじ→社会からの爪弾き者の沢田文雄と長山春香、それぞれの視点から。海の日の雑学あり。

「秋の夜長・読書週間」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-06
あらすじ→孤独死、上等。死は安らぎ。長山春香にとって遠ざけたいのは人であり世間だった。

「それぞれの道・沢田文雄」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-03-25
あらすじ→元いじめっ子のヤンチャな郷田浩に思いを馳せる沢田。そして高校時代とは縁を切る。


つくづく思う。世間の価値観に合わせて恋人や友だちを探すよりよりも、夢中になる何かを探したほうがいいと。

友だちがいない、ぼっち・・・それは自由時間が人よりもあるということじゃ。
その時間を自分のために使うのじゃ。時間を人に遣わなくて済むのだから。

そーいや、ワシは何となく浮いていた音高3年時、長い昼休みは誰も来ない特別教室でピアノの練習をしまくっていた。(全ての教室にピアノがある。たいていは縦型だが、グランドを置いている教室もあった)

休みの日、友だちとどこかへ遊びに出かけるということもなかった。うん、3年の時は1度もなかった気がする。
ひたすらピアノの練習である。

ちなみに1、2年の時はそこそこ学校は楽しかったけど・・・
寮では浮いていて、同室の先輩とも上手く行ってなかったので、学校が終わると、ひたすら寮の練習室にこもってピアノを弾くのみの生活じゃった。

そうそう、同級の寮生からこんなことを言われたっけ。
芸能界にまるで興味なく、漫画やアニメが好きなワシに・・・
「漫画とかアニメじゃなくて、もっちトシちゃん(田原俊彦)とか聖子ちゃんに興味持ちなよ」と。

皆と同じ趣味を持て、興味を持て、という今で言う同調圧力。
ま、今の時代でも「皆と会話を合わせる努力をしろ、空気を乱すな」という圧力はあるよね。

けど、ワシの場合、逃げ場が練習室しかなかったことから・・・ピアノの練習をせざるを得ない状況となった。
テレビはないし、PCやスマフォもない時代、やることはピアノの練習しかなかったわけだ。

もしも友だちや先輩と楽しく過ごす寮生活・学校生活を送っていたら、あんなにピアノを練習することはなかっただろう。

音高に入るまで、ピアノの進み具合は相当に遅れていたが、すぐに取り戻せた。

今、考えればラッキーじゃった。環境がそう仕向けてくれた。

10代20代の時間は貴重じゃ。一番、伸びしろがある時代。
無理して、恋人や友だちを探して、さほど楽しくもないのに妥協してつきあったりすることはないのでは?

本当に好きなことや夢中になれることを見つけて、それに取り組んでみたほうがいいかも。
もちろん、それが将来の何かにつながるかは分からないけれど。途中で挫折したり、やっぱり自分に合わなかったりするかもしれないけれど。

自分の場合、ピアノはそこそこ弾けるようにはなっても、お金儲けはできず、マネタイズするのは難しかった^^;

だって、弾ける人は星の数ほどいるから。
ピアノほどコスパが悪いものは、そうない。
基本、自己満足の世界。
経済に重きを置く価値観で測れば、不良債権になる可能性が高く、いわば負け組になる確率が高い^^;

で、練習をよくやる人ほど、変人率が高いかも^^;
プロの演奏家になるわけでもなく、目標は大学を卒業すればいいわけで・・・ならば、ほどほどの練習で充分である。

ワシの場合も・・・遊びもせずに、独り引き籠ってピアノを練習することにエネルギーを費やすなんて、ちょっとおかしい、広い社会を知るべき、視野が狭く世間知らずになってしまう、人間として偏る、とマイナスに見られることが多くなっていった。

(・・・まあ、実際、そうなのだろう。だから音大はお勧めしない)

当時、世間の言う『普通の真っ当な大学生』とは、学業は程ほどに、それよりもバイトに勤しんで社会勉強をし、サークル活動で友だちをたくさん作り、人脈を広げ、授業は要領よくサボり、真面目な子からノートを借りて、試験を潜り抜け・・・先輩との人間関係を大切にし、ためになる情報を得て、効率よく学生生活をこなすこと・・・が良しとされていた気がする。

真面目に授業に出ている者は『要領が悪い=頭が悪い、面白味のない、つまらない人間』とマイナスイメージで見られていた。(ただし理系は別)

真面目に勉強する地味な人は、派手に遊んでいる大学生から単に利用され、陰でバカにされる存在。

真面目という言葉は悪い意味で使われていた。

今だって・・・外に出ずインドア派、友だちも少なく、もちろん彼氏彼女もいない、となれば、それは非リアと呼ばれ、負け扱い。

ま、他者(世間・社会)に自分の価値や意味を求めると、こじらせるよなあ。

だから、世間が良しとする価値観は関係なし。
自分が面白いか面白くないか、快感か不快か、楽しいか楽しくないか・・・自分基準でいくのじゃ。

人にどう見えようが、どう思われようが、気にしないほうがいい・・・と、まあ、これが難しいわけだけど^^;

ただし、世間=他者を完全無視すると、生活できないから、そこは程ほどに。

生活できる程度には他者に気を遣い、あとは基本、他人は関係なし、自己完結しようぜ。(オタクは得意だよね。こういうの)

自己承認欲は、何も恋人や友だちの存在で満たさなくてもいい。
逆に、恋人や友だちで自己承認欲を満たそうとするほうが、不幸への入り口となってしまう危険性があるかも。

つうわけで友人はいてもいなくてもどちらでもいい、ということじゃ。
仲間がいれば儲けもの、ラッキー、そのくらいに思っておけばいいのでは、と。


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・・・・・・・・・・
短編小説「縁」より番外編のお知らせ。
「見下し世の中」をどうやって生きていくか・・・が、これら小説のテーマです。

「蝉―僕のランク」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-05
※あらすじ→学校で下位ランクの『僕』、最下層女子『長山春香』に何を思う。
学園もの、うむ、ちょい辛め、シリアスで重いけど救いはあるのじゃ。

「あだ名―中秋の名月」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-14-3
※あらすじ→白井月子が自分のランクを守るために犠牲にしたのは・・・
テーマはイジメ。己の容姿に劣等感を抱える月子が犯した罪とは。

「豚草―腐女子の誇り」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-19
※あらすじ→中学時代、下位ランクだった長山春香、白井月子、そしてもう一人「モヤシ」こと八島麗華の話。彼女は、長山春香を犠牲にした中学時代をどう想い、今、どうしているのか。

「お彼岸―アラフォー女子の幸せ」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-24-1
※あらすじ→恋愛や結婚を一歩引いて見ている冷静な未婚アラフォー女子が主人公。果たして彼女は勝ち組なのか負け組なのか。お彼岸のプチ知識など情報も入った軽く読める物語です。

「血液型診断―栗の節句」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-07
※あらすじ→若夫婦のほのぼのハートフルなお話。血液型、重陽の節句(栗の節句)の情報ネタ入り。明るい話で軽く読めます。

なお、短編小説「縁」本編の目次はこちらhttp://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28


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タグ:オタク
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