まずは我らが藤沢数希氏の名言を集めたツイッターを紹介。
https://twitter.com/kinyu_nikki_bot

↑なるほど、と思わされることがたくさん。人生、生き方にお悩みの方、ご参考に。

うむ、ワシがなぜ藤沢数希氏に注目しているかというと、世間を支配している価値観をひっくり返すような考えを提示してくれることがあるからだ。(ホリエモン、ちきりんさんも同じにおいがする)

「友だちはいなくてもいい」というのも、そのひとつ。
そして、恋愛をゲームと言い切り、恋愛にさほど価値を見出していないのも、なかなかに勇気がいる新しい考え方だ。が、これを言うと、必ず「さびしい人。カワイそうな人」と揶揄されるし、「愛を知らない人」などと見下される。

もちろん、女性をモノ化して捉えているので、そこは共感しづらいが・・・
けど、非モテ・恋愛弱者にとっては「恋愛はゲーム=価値はさほどにない」という考えは救いになるだろう。

藤沢氏は、結婚にも価値を見出していない。ホリエモンもそうだよね。
まあ、これは昔から一部フェミニストもそうだったけど。

ちなみに、ワシ含め周りの者もなぜかほとんど未婚者、あるいは離婚して独身者。既婚者でも子なしが多い。あえて子どもを作らない生き方を選ぶ。楽器演奏者・楽器を練習する自由な時間がどうしても必要な者にとっては結婚・子を持つことは二の足を踏んでしまう。
あとは恋愛至上主義者であるがために、恋愛結婚にこだわり、婚期を逃したケースか・・・いや、ほんと独身者だらけなのだ。つまり「妥協してまで結婚する価値を見出せない者」が多い。

まあ、それはともかくとして・・・
藤沢氏もホリエモンもちきりんさんも成功者。で、割と冷徹な現実主義者だ。

そんな遠い世界の成功者の言葉など響かないという方は↓こちらに共感するかも?

https://twitter.com/hachapin2/status/872017525705515008より転載。

【私は、働いてない人間は「家庭に寄生してる」とは思わないけどね。勝手に誕生させといて賃金奴隷になれだなんて、そんな非道な要求が通るわけない。私自身、これからも「働かなくて申し訳ない」などと思うことはないだろう】

https://twitter.com/atyraupavlodar/status/872066621019492353より転載。

【「不幸は積極的で幸福は消極的」とはよく言ったものだ。飢えだとか、乾きだとか、困窮だとか、不幸は私が何もしていなくとも彼のほうから引っ切り無しに迫りくる。一方幸福はといえば苦痛を忍んで努力してやっと手に入るかどうかといったところ。いくら骨を折りながら追求しても報われるとは限らない】

【働くことは苦痛。なのでその苦痛から逃れるために働きたくないのは当然なのだが、なんと働かなくとも金がなくなり後に苦痛ににじり寄られるのよ。どうやら生きてる限り苦痛続きらしいのでさっさとこの世から去りたいんですが、自殺もまた苦痛というふざけたクソゲーなんだよ人生は。まさに八方塞がり】

https://twitter.com/kuginnya/status/871948066273861632より転載。

【「幸せ」とは即ち「苦痛を免れている事」なのだと思う。安全な場所で眠れる。十分に食事が取れる。衣服を着ていられる。社会に貢献できている。ひとりぼっちじゃない。 結局、この世は苦痛が全ての前提にあって、そこからどれだけ逃げられるかが豊かさの象徴なのだろう。酷い話だ】

https://twitter.com/Antinatalismbot/status/872005856417652736より転載。

【自分が生きている世界は辛いことがいっぱいで人にお勧めできるようなところじゃない 自分が感じてきた不幸や絶望を生まれてくるのかもわからない我が子に背負わせたくない 自分の今までの行いが遺伝することも考慮して、子を作るのは止そうという考えに至った】

転載終わり。

これに反論できる人っている? きれいごとなしで。

そんなワシは↓ここのツイートをチェックしている。なるほど、たしかにそうだよな、と割と共感するところが多い。

「反出生主義」
https://twitter.com/Antinatalismbot


そうじゃのお・・・
ワシはわりと今は楽しく過ごしているし、恵まれているほうだと思う一方で、今の世間様からは浮いているし・・・あと、これから直面しないとならないのだろう老いからくる劣化=認知機能の低下、体の機能の低下、病苦などなど、死までどれくらい辛い思いをするのか、そういった人生におけるマイナス面と天秤にかけると、どうもマイナス面が勝ってしまう^^;

ただただ運が良かったと思うのは、世間一般の価値観が支配する社会から距離を置けていたことだ。ワシが身を置いていたのはピアノ界だったり、漫画界だったり、かなり特殊な世界だ。

もし、世間一般の価値観が支配する普通の会社などに就職していたら、一般の人たちとのおつきあいに疲弊し、浮きに浮きまくり、「自分はなんてダメなんだ、生きている価値なし」と劣等感を肥大させ、今はきっと不幸のどん底だったかもしれん。

もう一度、生まれ変わりたいかと訊かれたら、ご免こうむる^^;

仏教では、生まれ変わることではなく、無になることが最高の救い、と捉えているらしいが、まさにそう。

ならば、最初から生まれないほうが嫌な思いや苦痛を味合わなくていい、とも言えてしまう。
なのでこの非出生主義・反出生主義の考えに共感してしまうのかもしれない。


あと・・・これも紹介しておこうかの。

ちきりんさんの記事。「生むということ」
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/touch/20070213

・・・ホント、大変なことだよな。もちろん、その後、育てることも。

そうそう、今、角田光代の「坂の途中の家」を読んでいるところだが、これはぜひ男性にも読んでもらいたい小説だ。
いかに育児が大変で、母親が疲弊し、追い詰められているかが心に迫ってくる作品である。



世間では子どもを産み育てることを尊い、素敵なこと、人間として当然ということになっているけれど、もしかして、そういうことにしておかないと、産んで育てる人が少なくなってしまうから、と穿った見方さえしてしまう。

もちろん、子育てで人生充実、幸せを感じる人もたくさんいるだろうが、やはり子育てに悩み、内心では産まなきゃよかったと後悔している人もいるだろう。ただ公には声に出せない。それをしたら周りから非難轟々、親失格どころか、人間失格扱いされるから。

で、子どもは必ずしも「産んでくれてありがとう」とは思わないかも^^;
上記で紹介したように「勝手に産みやがって」「生まれたくなかった」と思う子もいるだろう。この世の価値観にそぐわず、自分はダメ人間だと劣等感のみ抱え、あまり幸福感が得られず、苦痛ばかり味わっていると、そういう思考に陥るのも無理はない。

子育ては女性に大きく負担となるが、多くの人=皆が当たり前にやっているのだから、ということで・・・口では「大変だね」と言いつつ、内心は軽く見ている人(男性)も多い気がする。

だからだろう、無痛分娩が日本ではあまり広がっていない。未だに「お腹を痛めて苦しい思いをして産んでこそ云々」の価値観が支配しているからだろう。まるでラクして産んではいけないと言っているかのよう。
実は日本社会が未だ『それくらい我慢しろ』『当たり前』とお産を軽く見ているから、無痛分娩ひとつとっても、広がらないのだろう。

※無痛分娩については、短編連作小説「これも何かの縁」より「封印された過去」で話題にした。

「封印された過去」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-12-09-2
あらすじ→イジメと暴力・静也の児童養護施設時代。無痛分娩についてのうんちくあり。


※ほか、「五月晴れの動物園」「孤独と幸福の狭間で」では育児で疲弊するママ・福田さりな、四条理沙を描いている。

「五月晴れの動物園」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-02-08
あらすじ→福田みすずの美人妹さりなの話。自立って何? 離婚・元夫について語る。

「孤独と幸福の狭間で」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-02-23
あらすじ→近所の主婦に子への虐待疑惑のウワサが。理沙も近所の目が気になり育児に心が疲弊する。

まあ、何はともあれ・・・
世間が良しとする生き方は立派ではあるが、幸せは担保してくれないかも。