まずは「なるほど~」と思った記事を紹介しよう。

「政治を5分で理解するための教義」
http://www.tsukasa-h.com/entry/2017/03/29/203351

リバタリアン(自由主義)ほか、リベラル(平等主義)、コミュタリアン(保守派・共同体を大切にする派=いわゆる普通の人)と、3つに分けて説明されている。

確かに。
「自由=リバタリアン」が多様な価値観を示す、社会の変革者になるかもしれぬの~。

※ちなみにこれは『恋愛工学生』の記事だ。藤沢数希氏を敬愛しているのだろう恋愛工学生は論理的思考に優れた人が多そう。世間でいう『ナンパ師』というイメージからはかけはなれている^^; うん、その論理的なところ=説得力を武器にすれば、本当に変革が可能になるんじゃないだろうか。

ワシの小説「これも何かの縁」では・・・
コミュタリアンは、小林和彦・真理子、小林敏子、郷田浩がここに入るかな。
リバタリアンは、小林和江、福田みすず、沢田文雄、長山春香だ。

四条夫妻は家族主義・家庭第一のコミュタリアンでもあるけれど、他者から距離を取り、ほかのコミュニティから距離をとり、自分たちの世界を築き、マイペースに生きているリバタリアンでもある。

明確に分けられるものではないが、このキャラはどっち寄りだろう? と考えると面白いかも。

※短編連作小説「これも何かの縁」の目次はこちらです。
http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28


もちろん・・・リバタリアンだからといって、共同体=コミュニティを100%否定しているわけではないのだ。
ただ、そのコミュニティの風通しを良くしようよ、ということなのだと思う。

入るのも出ていくのも自由。
流動性のあるものにしよう、ということなのかも。

もちろん、無責任であっては困るので・・・責任をとる上での自由ってことね。

どの程度の責任を負わせるのかは、また別問題だけど。

固定した人間関係は、安定をもたらす一方で、上手く行かなかった場合、地獄を見ることもあるからなあ。


さてさて・・・前置きはこれくらいにして・・・

前記事でSAPIOに載った藤沢数希氏の一夫多妻制の話をネタにしたが・・・
実は、ワシが気になったのはSAPIO「安楽死サークル」の記事じゃった。

本当にラクに死なせてくれるなら、ワシも入りたいなあ。
そのためならがんばって金を貯めるぜ♪

けど、スイスは遠い。条件厳しそう。なかなか認められないんだろうな。現実問題、言葉の壁が大きいし。
「もう、ここいらでそろそろ」と思ったとき、快適に死なせてくれることが望みだよなあ。若者にも迷惑かけたくないしね。

別にガンなどの病気でなくても、いつでも本人の自由意思で安楽死が認められるようになると最高だよな。

まず世間様の「老後はどうするの~」という脅しが一切、効かなくなる。
なので老後を考えて委縮したり心配する必要もなくなる。
本当に自由に生きられる気がする。
いろいろと冒険もできそう。安定を考えなくていいのだから。

で、こうしたら、どうだろうか。

安楽死を望む者は100万円を国に納めないと、安楽死させてもらえないというルールをつけてみては、と。
そして、そのお金は自身のお金であることが条件だ。

要するに、ラクに死ぬために100万はかかるということだ。

そうすれば、リべサヨも安心だろ?
貧乏人・恵まれない人は安楽死したくてもできないのだ。

よって貧乏だから、恵まれないから安楽死に追い込まれるということはない。
誰かに安楽死を強制させられることもない。

それとも100万円じゃ足りない?
300万? 500万?

「ラクに死ねるなら、それくらいがんばって資金を作る」と言う人、けっこういるのでは。
ワシも作ろうぞ。

安楽死は恵まれた一部の人たちのものとすればいい。

けれど、たぶん「安楽死する権利を、金持ちだけじゃなく、私たち皆によこせ。貧乏人を差別するな」となるんじゃないだろうか。