まずは面白そうなギャグ絵本の紹介。
ツイッターで話題になっていた。
https://twitter.com/pirorit_tw/status/887240572754317312
バカバカしさが素敵♪ 絵もすばらしい~。
「~縁」の主人公・四条静也も息子の涼也のために買うかもなあ。
男の子好みの絵本じゃの。
おっと本題に入ろう。
(男性側が)疲れないエッチの仕方を教授した動画を紹介しよう。
淫靡ではなく、あっけらかんとしていて笑える。
https://www.youtube.com/watch?v=fPeh0Tr9db8&feature=youtu.be
最小限の労力で最大限の効果。
※これはスポーツにも、そしてピアノ弾きにも求められる技術だよな。
うむ、理に適っているとし、さっそく四条静也も参考にすることじゃろう。
ちなみに四条静也とは短編連作小説「これも何かの縁」の主人公じゃ。
※ご興味持った方はこちらをどうぞ。
「これも何かの縁」目次ページhttp://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28
「これも何かの縁」に登場する四条カップルは今、育児で大忙し。
特に新米ママ・理沙ちんは疲れまくり。
新米パパ・静也君がイクメンでも、やっぱり理沙ちんに相当な負担が行く。
理沙ちん、いつもヘトヘトだ。エッチするより寝たい、眠りたい。
夫婦生活もないままに、これではいかんと静也君、密かにエッチの研究。
現実世界では浮気に走る男が多いのかもしれないが、静也君は己の性欲のために家庭を壊すリスクなんて冒さない。乙武君のように子育てに奮闘する妻を「女として見れなくなった」などということも思わない。
まだ静也君も理沙ちんも23歳。盛りです。セックスレスになるなど勿体ない。
要は理沙ちんが疲れていても「それでもエッチしたい♪」と思わせることができればいいのだ。
エッチは夫婦にとっての大事なコミュニケーションでもある。静也君としてはがんばりたいところだ。
そんな四条家では夫婦とも役所勤めの公務員・夫婦共働き。
(育休中だった理沙チンも息子の涼也を保育園に預け、職場復帰しているのじゃ)
エッチに限らず、言葉でのコミュニケーション能力って、ほんと大事。夫婦間は特に。
家事育児の分担が求められるため、擦り合わせが必要。
昔はたぶん、夫婦間にコミュニケーションなどあまり必要なかったかも。子育ても妻任せなダンナさんが多かっただろう。夫婦分業制だし、もっと昔は夫婦は上下関係で成り立ち、夫婦で話し合うなんていう場面はなかっただろう。
コミュニケーションが必要になったのは家庭内で妻と夫が対等になったがため。
夫も家庭のことに関わらざるを得なくなったがため。
男にとっては昔の家庭形態のほうが面倒なくて良かったかもね^^
嫁は、夫の家に入り、家のことはお姑さんに倣うという感じで、妻は夫よりも姑に仕えていた・・・。ま、妻にとっては地獄だっただろう。
妻は、夫が何も言わなくても、空気で察することが求められていた。
夫=男には、女に対するコミュニケーション能力など全く必要ではなかった。
が、時代は変わった。
今の時代、夫婦にとって何が大事かといえば、とにかくコミュニケーションだろう。
それが面倒だったり、コミュニケーションが成立しなかったりすると・・・
夫は帰宅恐怖症になったり、妻は『ダンナ・デスノート』に書き込みしたり、夫在宅ストレス症候群に陥ったり、お互い不倫に走ったり・・・結婚生活そのものが地獄化する可能性が高い。離婚もそう簡単ではないし。
なので、コミュニケーション能力がない人・コミュニケーションとるのが苦手な人は結婚に手は出さないほうがいいかもしれないね。
ただでさえ、男と女は思考回路が違う。
相当なコミュ力が求められる。
「黙っていても相手は分かってくれる、察してくれる」などということはない。
相手が、自分の思う通りに応えられなかった場合、「気が回らない」「言わなくても分かるよね」という気持ちは抱かないほうがいい。
まずは言葉で、冷静に、イライラしたりギスギスしたり怒鳴ったりしないで伝えることも、コミュ力。
相手を見下さない、自分も見下されないようにするのもコミュ力。
疲れているのでコミュどころではない、放っておいてほしい場合も、簡単にそう伝えるべきじゃ。
そういったコミュ力がない人は、共同生活に向かない。
カッとなって、ついモラハラ、DVをしてしまう、は論外。
思えば、親が決めてしまうお見合いで特にコミュニケーションを必要とせずに結婚していた昔は、夫婦が対等でなかったからこそのやり方だったのだな。夫は外で女遊びが許されていた時代だしね^^;
今は、女遊びする暇とお金があるんなら、その分、家庭に・子どもに費やしてほしいと、どんな妻であれ思うだろう。
「浮気は男の甲斐性だから、本能だから」と許す女性は少ない。
家庭を共同運営していくパートナーとしてコミュニケーションとりながら夫婦関係を築いていく時代。
たとえコミュ能力が高くても、「面倒だ、家庭のことは任せたい、自由が欲しい」という人も向かないだろうな。
家庭的であること(=家庭を最優先できること)が結婚する人に求められているわけで…そうじゃない人はよくよく考えたほうがいいかも。結婚=幸せという図式は確実に崩れつつある気がする。
・・・・・・・・・・
余談。
「夫、帰宅恐怖症について」
https://twitter.com/chinoboshka/status/876798675980124160
妻が重いのだな・・・。
コミュニケーションって難しい。
まあ、妻のほうも「夫在宅ストレス症候群」があるわけだし。
幸せになるって難しいね。
そして夫婦間コミュニケーションも大事だけど、何と言っても親子間のコミュニケーションも大事。
だけど、上手くいっていない家庭も多いかも。
悪くすれば、しつけという名の虐待に走り、おまけに虐待している自覚のない親もいるのだろう。
そのことについて書かれた記事を紹介しておこう。
「大家族ドキュメント番組の裏で起こった惨劇」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170711-00523622-shincho-ent
『ある地方の大家族の夕食風景』より転載。
【そこには本来いるはずの高校生の長女の姿がなかった。穏やかそうな父親が、兄弟たちに聞くと、テレビに出たくないからと部屋に閉じこもっているという。
「みんな出るって約束したのにな」
そう言って父は娘のいる子供部屋に向かった。
ドアを開けると、ふてくされた長女が机に向かって座っている。なぜ食事に来ないのか、父が尋ねると、「テレビに出たくないから」
突然、父は豹変し、娘に平手打ちを浴びせた。それも2発、3発と。
さらに長女を殴り始めた父をスタッフは制止しようとするが、止まらない。
娘は必死に許しを請うが、父親は容赦しない。彼女の服が破けても、暴行は続けられた。
再びスタッフが止めに入ろうとすると、父は鬼のような顔でカメラを睨みつける。
「撮るな」
怒鳴りつけるように言うと、スタッフを追い出した。
ドアの向こうからは、娘を殴打する音と、「お父さんやめて」と懇願する声が響いている。
やがて、その声も悲鳴に変わり……試写の場面はここで変わる。
畳の一画には血のしずくがポタポタとこぼれ落ちている。
鼻血をすすり上げながら味噌汁をすする長女の姿。
何事もなかったかのように夕食を囲んでいる大家族。
父親は穏やかな表情で、「やっぱり家族は、みんな一緒が一番いいな」】
転載終わり。
うわ・・・ここまでして「家族一緒」を強制的に求める父親もなんだかね・・・。
言葉が通じる相手に冷静に話し合うのでなく、過剰な暴力をふるった時点で、それはもう立派な虐待。
子どもが許しを請うても、暴力が止まらない・・・異常だ。
コミュニケーション能力に欠けた父親だよな。でも一見、分からない、だから怖い。
テレビが演出する『家族=幸せ』・・・古い価値観にはまっている人は、この図式をすんなりと信じてしまうのだろうな。けど、裏では暴力が横行していたようだ。
家族内にコミュ力のない者がいると不幸を招く。
家庭内暴力、引きこもり・・・悪くすれば犯罪を招く。
家庭を持つことは、上手くいけば大きな幸せをもたらす代わりに、自分の努力ではどうにもならない大きなリスクを抱えることになる。
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#59131;よろしくお願いします。
ツイッターで話題になっていた。
https://twitter.com/pirorit_tw/status/887240572754317312
バカバカしさが素敵♪ 絵もすばらしい~。
「~縁」の主人公・四条静也も息子の涼也のために買うかもなあ。
男の子好みの絵本じゃの。
おっと本題に入ろう。
(男性側が)疲れないエッチの仕方を教授した動画を紹介しよう。
淫靡ではなく、あっけらかんとしていて笑える。
https://www.youtube.com/watch?v=fPeh0Tr9db8&feature=youtu.be
最小限の労力で最大限の効果。
※これはスポーツにも、そしてピアノ弾きにも求められる技術だよな。
うむ、理に適っているとし、さっそく四条静也も参考にすることじゃろう。
ちなみに四条静也とは短編連作小説「これも何かの縁」の主人公じゃ。
※ご興味持った方はこちらをどうぞ。
「これも何かの縁」目次ページhttp://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28
「これも何かの縁」に登場する四条カップルは今、育児で大忙し。
特に新米ママ・理沙ちんは疲れまくり。
新米パパ・静也君がイクメンでも、やっぱり理沙ちんに相当な負担が行く。
理沙ちん、いつもヘトヘトだ。エッチするより寝たい、眠りたい。
夫婦生活もないままに、これではいかんと静也君、密かにエッチの研究。
現実世界では浮気に走る男が多いのかもしれないが、静也君は己の性欲のために家庭を壊すリスクなんて冒さない。乙武君のように子育てに奮闘する妻を「女として見れなくなった」などということも思わない。
まだ静也君も理沙ちんも23歳。盛りです。セックスレスになるなど勿体ない。
要は理沙ちんが疲れていても「それでもエッチしたい♪」と思わせることができればいいのだ。
エッチは夫婦にとっての大事なコミュニケーションでもある。静也君としてはがんばりたいところだ。
そんな四条家では夫婦とも役所勤めの公務員・夫婦共働き。
(育休中だった理沙チンも息子の涼也を保育園に預け、職場復帰しているのじゃ)
エッチに限らず、言葉でのコミュニケーション能力って、ほんと大事。夫婦間は特に。
家事育児の分担が求められるため、擦り合わせが必要。
昔はたぶん、夫婦間にコミュニケーションなどあまり必要なかったかも。子育ても妻任せなダンナさんが多かっただろう。夫婦分業制だし、もっと昔は夫婦は上下関係で成り立ち、夫婦で話し合うなんていう場面はなかっただろう。
コミュニケーションが必要になったのは家庭内で妻と夫が対等になったがため。
夫も家庭のことに関わらざるを得なくなったがため。
男にとっては昔の家庭形態のほうが面倒なくて良かったかもね^^
嫁は、夫の家に入り、家のことはお姑さんに倣うという感じで、妻は夫よりも姑に仕えていた・・・。ま、妻にとっては地獄だっただろう。
妻は、夫が何も言わなくても、空気で察することが求められていた。
夫=男には、女に対するコミュニケーション能力など全く必要ではなかった。
が、時代は変わった。
今の時代、夫婦にとって何が大事かといえば、とにかくコミュニケーションだろう。
それが面倒だったり、コミュニケーションが成立しなかったりすると・・・
夫は帰宅恐怖症になったり、妻は『ダンナ・デスノート』に書き込みしたり、夫在宅ストレス症候群に陥ったり、お互い不倫に走ったり・・・結婚生活そのものが地獄化する可能性が高い。離婚もそう簡単ではないし。
なので、コミュニケーション能力がない人・コミュニケーションとるのが苦手な人は結婚に手は出さないほうがいいかもしれないね。
ただでさえ、男と女は思考回路が違う。
相当なコミュ力が求められる。
「黙っていても相手は分かってくれる、察してくれる」などということはない。
相手が、自分の思う通りに応えられなかった場合、「気が回らない」「言わなくても分かるよね」という気持ちは抱かないほうがいい。
まずは言葉で、冷静に、イライラしたりギスギスしたり怒鳴ったりしないで伝えることも、コミュ力。
相手を見下さない、自分も見下されないようにするのもコミュ力。
疲れているのでコミュどころではない、放っておいてほしい場合も、簡単にそう伝えるべきじゃ。
そういったコミュ力がない人は、共同生活に向かない。
カッとなって、ついモラハラ、DVをしてしまう、は論外。
思えば、親が決めてしまうお見合いで特にコミュニケーションを必要とせずに結婚していた昔は、夫婦が対等でなかったからこそのやり方だったのだな。夫は外で女遊びが許されていた時代だしね^^;
今は、女遊びする暇とお金があるんなら、その分、家庭に・子どもに費やしてほしいと、どんな妻であれ思うだろう。
「浮気は男の甲斐性だから、本能だから」と許す女性は少ない。
家庭を共同運営していくパートナーとしてコミュニケーションとりながら夫婦関係を築いていく時代。
たとえコミュ能力が高くても、「面倒だ、家庭のことは任せたい、自由が欲しい」という人も向かないだろうな。
家庭的であること(=家庭を最優先できること)が結婚する人に求められているわけで…そうじゃない人はよくよく考えたほうがいいかも。結婚=幸せという図式は確実に崩れつつある気がする。
・・・・・・・・・・
余談。
「夫、帰宅恐怖症について」
https://twitter.com/chinoboshka/status/876798675980124160
妻が重いのだな・・・。
コミュニケーションって難しい。
まあ、妻のほうも「夫在宅ストレス症候群」があるわけだし。
幸せになるって難しいね。
そして夫婦間コミュニケーションも大事だけど、何と言っても親子間のコミュニケーションも大事。
だけど、上手くいっていない家庭も多いかも。
悪くすれば、しつけという名の虐待に走り、おまけに虐待している自覚のない親もいるのだろう。
そのことについて書かれた記事を紹介しておこう。
「大家族ドキュメント番組の裏で起こった惨劇」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170711-00523622-shincho-ent
『ある地方の大家族の夕食風景』より転載。
【そこには本来いるはずの高校生の長女の姿がなかった。穏やかそうな父親が、兄弟たちに聞くと、テレビに出たくないからと部屋に閉じこもっているという。
「みんな出るって約束したのにな」
そう言って父は娘のいる子供部屋に向かった。
ドアを開けると、ふてくされた長女が机に向かって座っている。なぜ食事に来ないのか、父が尋ねると、「テレビに出たくないから」
突然、父は豹変し、娘に平手打ちを浴びせた。それも2発、3発と。
さらに長女を殴り始めた父をスタッフは制止しようとするが、止まらない。
娘は必死に許しを請うが、父親は容赦しない。彼女の服が破けても、暴行は続けられた。
再びスタッフが止めに入ろうとすると、父は鬼のような顔でカメラを睨みつける。
「撮るな」
怒鳴りつけるように言うと、スタッフを追い出した。
ドアの向こうからは、娘を殴打する音と、「お父さんやめて」と懇願する声が響いている。
やがて、その声も悲鳴に変わり……試写の場面はここで変わる。
畳の一画には血のしずくがポタポタとこぼれ落ちている。
鼻血をすすり上げながら味噌汁をすする長女の姿。
何事もなかったかのように夕食を囲んでいる大家族。
父親は穏やかな表情で、「やっぱり家族は、みんな一緒が一番いいな」】
転載終わり。
うわ・・・ここまでして「家族一緒」を強制的に求める父親もなんだかね・・・。
言葉が通じる相手に冷静に話し合うのでなく、過剰な暴力をふるった時点で、それはもう立派な虐待。
子どもが許しを請うても、暴力が止まらない・・・異常だ。
コミュニケーション能力に欠けた父親だよな。でも一見、分からない、だから怖い。
テレビが演出する『家族=幸せ』・・・古い価値観にはまっている人は、この図式をすんなりと信じてしまうのだろうな。けど、裏では暴力が横行していたようだ。
家族内にコミュ力のない者がいると不幸を招く。
家庭内暴力、引きこもり・・・悪くすれば犯罪を招く。
家庭を持つことは、上手くいけば大きな幸せをもたらす代わりに、自分の努力ではどうにもならない大きなリスクを抱えることになる。
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