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障害者差別? 相模原障害者施設襲撃事件 [自殺・イジメ・差別・生き方・人間関係]

8月6日追記・8月8日補足。

やまゆり園を襲った加害者は精神病者。
こういった精神病者をどう扱うのか、問題の根本はここだ。

以前にも強制入院していた加害者。退院させずに社会から隔離し続けるべきだったのか? それは人権侵害なのか? ここを議論しなければいけない。

(「アンネの日記破損事件」も犯人は精神病が疑われる、いわゆる「まともではない人」だ)

なのになぜ「差別問題」にしたがる?

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そして、いつも思う。

「障害者はこの世からすべて消えてください」という、ごくごく少数の人の過激な意見を問題視しながら、
大学教授であり反差別運動にご活躍の上野千鶴子氏の「オタクは再生産されずに平和に滅んでいてほしい」という発言がなぜ問題視されずに許され、今もなお上野氏はリベラルなマスメディアに持ち上げられているのか???

ネットの中の特殊なえげつない過激な意見を大げさに取り沙汰するテレビ。

匿名の人たちが吐き出す悪口・ネガティブな感情で渦巻くネットの中で、そういう言葉が出てくるのは当たり前だ。

オタクに対する悪口、侮蔑も蔓延しているけど、誰も問題視しない。
オタクに投げつけられる「気持ち悪い」「死ね」などの言葉。もはや日常茶飯事。

それとも、障害者に向けて「死ね」は許さないけど、オタクに向けての「死ね」はいい?

・・・既視感。
以前、同じように「在日死ねはダメだけど、キモオタ死ねはいいの?」というような記事を旧ブログで書いたっけ。

上野千鶴子氏だけではなく、反差別界隈ってオタクに対する侮蔑が普通に行われていたりするから。

でも、必ずこう反論してくる人がいるんだよね。

在日や障害者など、本人の努力で変えようがないことで差別するなと。
一方、オタクは努力で変えられるだろう? と。

じゃあ、いじめられるほうが悪い、ということですかね?

つうか、マスメディアも相当に意地悪で、いじめっ子体質があるように思うのだけど。
が、対象が、障害者や在日となると、途端にきれいごとを並べ正義面する。

もちろん、一般の人から見ても「オタクは気持ち悪い」のだろう。個人の感覚だから、それを咎めようとは思わない。

だけど・・・「オタクが気持ち悪い」と言うのはいいけど、「障害者が気持ち悪い」は許さない?
それこそ差別では?

こういった差別表現を許さないというならば、そういった言葉を使用するのを禁じる=表現の規制・言論統制するしかないが、表現の自由・言論の自由がなくなる。どっちがいいんだろうね。

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7月26日
追記その2。

この事件でもうひとつ気になっているのが加害者家族がその後、どうなったのか・・・だ。

秋葉原無差別殺傷事件の加害者家族は、家族は離散、父親は職を失い、母親は鬱病、弟は自殺した。

※関連記事
「家族崩壊・秋葉原通り魔事件の犯人の弟、自殺」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2017-01-30


幼女連続殺害・宮崎勤事件では父親が自殺。
佐世保市高1女子生徒殺害事件でも父親が自殺。

加害者家族も社会的制裁が下され、自殺するまでに追い込まれ、人権侵害される。
加害者家族もまた差別されるのが、日本社会だ。彼らにはどの程度の責任があるのだろうか?

そんなことを考えさせてくれる小説を紹介しておこう。

雫井脩介「望み」


内容は・・・息子が殺人事件に関わっていることを知る両親。が、加害者なのか被害者なのか、分からない。もちろん、最終的にどちらなのか分かるのだけど、その過程で揺れ動く家族の姿を描いている。

加害者でいいから生きて帰ってきてほしいと願う母親。
加害者であるはずがないとする父親。
しかし、もし息子が加害者だったら、家族はどうなってしまうのか、仕事を失い、住まいも変えなくてはならず、兄妹である娘にも害が及ぶ、ということも心配してしまう。


もうひとつは薬丸岳氏「Aではない君と」


少年犯罪、家族、親子の関わりを描いた小説としては最高峰だと思う。


家族に責任があるのだとしたら、社会的制裁を受けるのが当然だとしたら、親になるのに、相当に厳しい覚悟が問われるだろう。
植松聖容疑者は精神疾患もかかえている可能性もあるが、精神疾患・人格障害は遺伝的なものがあるのか? これから親になろうとするものは、自分自身と配偶者及びその親族のそういった遺伝的要素も考慮しないとならなくなる。が、これは優生思想になるのだろうか? 


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7月24日本文。

相模原の重度障害者施設襲撃から1年経ったということで、TBS『報道特集』で事件のことや被害者・遺族を取り上げていたようで・・・。

私はその番組を見ていないのだが、ネットで見聞きしたことについて、感想を述べてみる。

番組内で「日本が差別社会になっている」「70年代と変わっていない」と言われていたそうだが、このことに違和感を持った。

あれは『精神障害を患っている可能性がある加害者』が個人的に起こしたことだろう。

それとも日本が差別社会だから殺された、日本人に根深い差別意識があるから、日本社会が加害者の犯行を後押ししたと言うのだろうか?

ああ、そうそう、複数の図書館で『アンネの日記』が破損された時も『日本社会が右傾化しているせいだ』『日本がナチス化している』、とマスメディアが騒ぎ、それが世界へ発信され、安倍首相がイスラエルにお詫びするまでに発展したっけ。

だけど蓋を開けてみれば、逮捕された人は精神に病を抱えているらしく、意味不明な動機で『アンネの日記』を破損させていたようで、極めて個人的な犯罪であり、日本社会が影響を及ぼしたわけではない。

※しつこくネタにして申し訳ないが、上野千鶴子氏の「オタクは再生産されずに滅んで行ってほしい」というナチス的な発言にはリベラル派何も言わず、リベラル朝日新聞は未だに上野千鶴子氏を持ち上げたりしているのは、どういうことなのか、それこそ差別ではないかと思っている。

※関連記事
「オタクは滅んでいってほしい・上野千鶴子のナチス思想」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-12-24


まあ、とにかく・・・
リベラル・左翼は何かと『日本社会のせい・日本国のせい・日本人のせい』にしたがる。

こういった考えが「従軍慰安婦問題」を生み出したのだな。
人身売買を行ったのはあくまで朝鮮側の業者だったり、親から買ったり、誘拐したりなど、個人的な犯罪だろう。
が、なぜか日本国が強制連行したということになり、それが嘘だと分かっても、なお「日本国全体がそういう空気を作り上げた」「日本が暗にそうさせた」と主張する。


さて、話を「障害者襲撃事件」に戻そう。

まず、高須賀医師のブログ記事を紹介。

「重度障害者や認知症の世話を他人になすりつけてる人は、自分が差別主義者だという事を自認しているのだろうか」
http://takasuka-toki.hatenablog.com/entry/2016/07/26/222447

「介護問題を語る時は『自分がされて嫌な事は、人にするな』の原則で物事を考えましょう 」
http://takasuka-toki.hatenablog.com/entry/2016/07/27/205640


私もおおむね、高須賀医師に賛同。

で、お金の使われ方に疑問をもっている。

そう、あの事件があった施設は新しく建て替えられるとか?

そんなことにお金をかけるよりも、介護職員の給料を上げる・人員を増やすなど待遇改善するとか、他に施設を増やすとか、優先すべきことがあるだろう。

世話する家族への負担が大きく、施設入所を希望する人はたくさんいるはずだ。

家族が『犠牲』になって面倒をみている。
世話をする家族の『負担』は計り知れないものがある。

・・・と言うと「障害者をマイナスに、ネガティブに捉えている」「差別だ」「障害者が傷つく」と反感持つ人がいるだろう。

以前、そういったブログをSNSで発信したことがあるが、そういった反発を受けたことがある。

一部、そういう人がいる。攻撃する権利を得たかのように、こちらを人格攻撃し、かなり失礼な・・・「そちらのほうがほよほど差別発言ですよ」っというような物言いをしてくる。

けど、うちも障害を抱えた親族がいるので、ハッキリ言って、きれいごとを言う人にはかなりムカつく。
障害の程度もいろいろだ。面倒をみる家族の状況もいろいろ。

そういう正義面した人に訊いてみたい。

あえて「犠牲」「負担」という言葉を使ったけど、これは差別発言になるだろうか?

が、もしも差別発言になるのだとしたら・・・面倒を見る人は犠牲になどなってない、負担でもないというならば、家族が面倒をみればいいのである。

きっと家族は『人間的に成長する』ことだろう。
愛があれば何でもないことだ。

・・・と、そんなことを思っているんだろうか?

「きれいごと」は何も生み出さないよな。

現実的に、誰かが泥をかぶることになるのだ。

お金をかけずに、しかし社会が面倒をみようとなれば・・・
この場合は、安い給料で働かさせられる介護職員が犠牲となる。

介護職員の待遇改善には、お金が必要。
施設を増やすにもお金が必要。

いや、障害者だけではなく、同じように手がかかる老人介護施設も必要だろう。

では、誰がそれを負担するのか?

あるいは、膨張する社会保障費の、どこを削るのか?

リベラルな報道特集にしろ、新聞にしろ、そこまで踏み込まないと、「日本は差別社会だ」と騒ぐだけでは単なる偽善番組・偽善報道・偽善記事である。

弱者の面倒は社会が見る、これは当たり前のことだろう。
そのために社会は存在するのだろうし、そのおかげで安心して暮らせるのである。

「日本が差別社会になったから」と、おおざっぱに言うだけでは何も解決しない。

というか、そんなに『日本社会が悪い』と言うならば、道徳教育復活に賛成すればいいのに、なぜかリベラルは反対する。

『社会のために、弱者のために健常者はもっと負担しろ』『もっと税金を払え、保険料を払え』と訴えればいいではないか。

『弱者のために、健常者はあまり権利を主張するな。保育園も我慢しろ、子どもの世話より障害者の世話の方が大変なのだから。子どもの面倒くらい、母親が見ろ。老人は年金を削れ、医療費をもっと負担しろ』『生活保護受給者を減らせ。医療費無料はおかしい、少しくらい負担しろ』と。

「金持ちや儲かっている大企業から税金をとれ」と簡単に言うけれど、金持ちは数が少ないし、企業は海外に逃げるだろう。

結局、多くの一般の人たちにもっと負担をさせるしかない。
負担は嫌だと言う人も出てくるだろうが、そういう人を差別主義者だとして糾弾できるのか?

やっぱり、みんな、自分の権利を主張したい。
自分の権益を侵されるのは嫌なのだ。

皆、等しく『人権』『権利』を持っている。

そこをどのように負担させ、誰の権利を優先していくのか、それが大事なのに、そこはスルーするリベラル報道。
少なくとも保守派はそういったことを考えているように見えるが、リベラルは抽象的に『日本社会』をターゲットに批判し、無責任にキレイごとを言うだけの印象。

だからリベラルは信用を失ったのだ。

※ただ、家族に扶養義務強化をさせようとする保守派の考えには反対。結局、多くの人が高額な税金・保険料を納め、負担をし、社会保障費のサービスを減らす(保育園問題は保留、年金減額または支給開始年齢を上げる、医療費の負担を増やす、生活保護制度へメスを入れるなどなど)しかないのでは、と。


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余談。

社会・周りの人の支援を必要とする障害者・弱者も「当然の権利だ」とばかりに周囲を恫喝したり、感謝をするどころかすぐに「差別だ」と批判されると、面倒なことだと引いてしまう人も増えるだろう。

そのことを「日本社会は冷たい、差別社会だ」と批判されても、ますます反感を持たれるだけかも。

障害者のほうも、どうしたって周りの助けが必要なのだから、相手が助けやすいように、社会のルールにのっとって、障害者側も自分が助けてもらえるように協力し、感謝を伝えるほうが社会はうまく回っていくのではと。

けど、障害者にそういった気遣いを求めると、これも差別に当たるのか???
障害者に肩身の狭い思いをさせることとなるのか?

健常者と完全に同等に扱えというのは難しい。

それは『我がまま』なのか、それとも『当然の権利』なのか。
で、その権利を担保するのにどれくらいの負担があり、その負担を誰がどの割合でするのか、ジャッジするのは難しい。

バニラエアの車イス事件もいろいろと考えさせられるよな。

「バニラ・エアで車いす客のトラブル 乗降のあり方巡ってネットで論議に」
https://www.j-cast.com/2017/06/28301887.html?p=all

「この件について・皆のコメント」
https://www.j-cast.com/2017/06/28301887.html?ly=cm


当ブログでは「発達障害」についてよくネタにするけど、発達障害者だって社会にもっと助けを求めたいだろう。
公平であることは難しい。

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余談その2。

家族の負担=兄弟姉妹への負担について。

障害児が生まれた場合、親は面倒をみる責任があるが、兄弟姉妹はどうなのだろう? 同じ家族としてその責を負うべきなのか、これも大きな問題かも。

※ヴァイオリニストの高嶋ちさこさんのお姉さんがダウン症で、ちさこさんはお姉さんの面倒を見るために生まれてきたという話は有名だ。高嶋さんは本当に偉いと思う一方、高嶋さんのように思えない人は冷たいのか? ちなみに高嶋家は経済的にかなり裕福だろう。高嶋ちさこさんは莫大なお金がかかる桐朋を高校から入っている。音大を卒業した後は米国へ留学している。ヴァイオリンはピアノよりもさらにお金がかかる。

障害の程度・傷害の状況、経済をはじめとする家庭状況・家庭環境も大きくモノを言う。

もちろん、どんな状況であれ、兄弟姉妹が自ら進んで「面倒を見るのは当たり前」と思ってくれる場合はいいだろうけれど、そうではない兄弟姉妹もいるだろう。

これを「冷たい」と言って非難できるだろうか?
暴れたり騒いだりする場合、その面倒をみるのはかなり大変だ。

特に親が、生まれてしまった障害児の面倒を将来、みさせる目的で『弟妹』を作ることは許されるのか?
弟妹が面倒を見ることを拒否した場合、親はその子らを責めるのか?
弟妹の権利はどうなるのだろうか?

弟妹は、障害者である兄または姉の面倒をみる覚悟を持って、生まれてきたわけではない。それを『面倒を見ろ』と強制できるのか。

親は障害児の我が子の面倒を見るのに精いっぱい。いろんなことを弟妹にガマンさせることになるかもしれない。その上で「障害を持った兄または姉の面倒をみよ」というのは酷かもしれない。無闇に「血縁の愛」を信じたら痛い目に遭うかも。最悪、弟または妹は親の気を引こうと、さらなる我がままになるかも。その時、親は冷静に対処できるのか、だよな。

そういった議論も大事かもしれない。

「そんな議論したら障害者が傷つく」「障害者は面倒な存在なのか? そんな議論は差別的だ」と言って、この問題を封じてしまうことこそ問題かも。

また、福祉国家のスウェーデンでは、障害者を手厚く支援する代わりに、出生前診断で障害者をできるだけ産まないようにという啓蒙もされているんだとか・・・。

現実的だと思うが、これは差別だろうか? 許されない優生思想なのか?

もちろん、障害者自身、存在を否定されている気分になるだろう。

しかし、支援が必要な障害者の数が少ないほうが、手厚く支援できる。
負担も少なくて済む。それが現実だ。

障害者・弱者にそういった譲歩を求めることも差別なのだろうか?
ただ、障害者のみの権利ばかり主張しても、共感得られないかも。

もちろん、障害者や弱者に譲歩を求めず、一般の人たちがもっと負担をすべきだという考えもあるだろう。

障害者と健常者の権利のぶつかり合い。
落としどころをさぐるのが大事かも。それを「差別だ」と攻撃しても解決しない。


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追記。

ハヤシの別ブログ「介護をする側の本音は?(相模原障害者施設での殺傷事件について)」
http://kayashi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-28

2016年8月28日付の記事より
以下転載。


相模原障害者施設での殺傷事件。産経新聞8月26日付の記事にて。

植松聖容疑者が書いた手紙「保護者の疲れ切った顔、施設職員の生気に欠けた顔」という文言について、被害者の親は「保護者や職員の実態はそうではない」と語った、という。

このことについて、誤解を招くかもしれないが・・・こんなことを思った。
障害者を世話する者が疲れ果てることはないのだろうか? ならばなぜ親は施設へ預けたのだろう? 家族の手に負えず、大変だから預けるのでは? 

また介護職員の給料などを見ると、職員は安く使われている印象を持つ。大変な仕事に見合う給料が支払われているとは思えない。

「保護者(家族)や施設職員の、疲れ切った・生気に欠けた顔」という文言を否定するこの親御さんに違和感を持った。
職員は、親御さんがいる時は「疲れ切った生気に欠けた顔」など見せないだろう。

介護は疲れ果てるほどに大変な仕事では? と正直思う。
だから親は施設へ我が子を預け、お世話になるのだろう。

ツイッターで調べれば・・・介護職員は疲れ果て、安い給料に「やってられなくなる」と本音を漏らしている人もけっこういる。

介護が大変でないのなら、生気を奪い取られるほど疲れ果てることがないのであれば、世話にやりがいを見出せるのであれば、そもそも施設はいらないだろう。家族が面倒をみればいい。
でも、できないから施設を頼るのだろう。

「介護が大変だ、疲れる」というと、障害者を傷つける、そんなことを言ってはいけないし、思ってもいけない、介護者は耐えるべき、というのだろうか?
いや、そもそも「耐える」なんて言ってはいけない言葉? 障害者への差別につながる?

じゃあ、親や家族が面倒をみればいいと、ますます思う。

けど、できない、やっぱり耐えられない。家族は疲れ果てる。
これが現実だ。

さて、私の考えや疑問は植松容疑者と同じ差別思考・差別発言だろうか。
でも、きれいごとでは世の中、回っていかない。
※リベラルがいまいち支持を得られないのは、きれいごとばかり言うからだろう。

障害者問題に対し、障害者視点でのみ語り、介護側の視点を無視するその風潮が、介護する側の権利を阻害しているのでは、と思う。

「障害者の話は大変ではない障害者の世話が大変と思うことは差別だ」「やりがいのある聖なる仕事だ」は、「介護者の給料は低くて良い」につながるのではないか。

「介護は疲れ果てる」・・・そう正直な気持ちを言えなくなれば、それは障碍者への差別につながると批判されるなら、ますます介護をする者は追い込まれていくだろう。家族が面倒をみろ、という風潮になっていくかも。

きれいごとは害悪である、とすら思う。

最後に、ツイッターで見かけた発言を紹介。
https://twitter.com/taboo_berry/status/758189383472193536より転載

【自分は植松さんの行動を肯定する気は全くないけど、同情はする。
実際、私も重度自閉症の弟を何度も殺しそうになった。
親が何度も蹴り飛ばされ、あざだらけになって…
それでもこっちがやり返したら虐待になり差別になる。
あんなところにいたら気が狂う】

転載終わり。

ほかにもいろいろある。
親はそうそう書き込まないだろうが、兄弟姉妹は本音を言う。
『#きょうだい児』で検索をかければ、本音が分かる。

でも誰が彼らを責められる?
人間そんなに強くもない。聖人にもなれない。

障碍者問題は難しい。


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