短編小説「縁」5編目「年賀状―人間関係って難しい」にて・・・
四条静也・理沙のカップルが他者に対して意外と冷淡であることが垣間見えるシーンがあった。
実は彼らは自分たちの殻に閉じこもっているカップルなのだ。

#58942;ご興味持たれた方、ここをご覧あれ。
「年賀状―人間関係は難しい」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-11-09-1


そこで人間関係について考えてみる。

「恋愛工学」の藤沢数希氏がこんなツイートをしていた^^;
https://twitter.com/kazu_fujisawa/status/797301383611330560

【人間は人間とのかかわりが嫌い。大都市はとなりに誰が住んでるかまったく知らないまま快適な暮らしができるように進化した。経営者は人を雇いたくないからロボットやAIにどんどん置き換える。もっとも煩わしい人間関係である恋愛がリストラされるのは、自明なのかもしれない】

・・・なるほど、たしかに。

けど恋愛以上に、結婚=夫婦になるほうが煩わしい人間関係となるだろうな。
恋愛は同棲していなければ、離れていられるもの。で、いつでも別れることができる。
結婚は相手方の親族も関わってくるし、別れるのも簡単ではない。

恋愛が煩わしいという時点で、結婚なんてとんでもないだろうな。

これからは「濃い人間関係を結びたいぜ」と言う人や「恋愛や結婚はすばらしい、人間は深く結びついてこそ幸せ」と思える人が恋愛や結婚をし、子孫を残していくだろう。

で、その子孫はそういう親の考え、性格を引き継ぐだろうから、恋愛や結婚はそこそこ引き継がれていく気もする。

ただ「濃い人間関係は疲れる、懲りた」という人も増えているのも事実だろう。

人間関係・・・恋愛に限らず、人との距離の取り方って難しい。
近寄るとウザイ、キモい、重いと思われ、遠ざかると冷淡、さびしい人と思われる。
反対に、近寄ってきてほしい人は来てくれず、遠ざかってほしい人が寄ってきたり・・・
なかなか上手くいかないのが、デフォかもしれない。

人との距離感を上手くとらえることができる人が、バランスがいい人間=コミュニケーション能力が高い人間ということになるのだろうな。

世間ではそれを「健全な人間」と定義するのだろう。

で、おそらく、そういうコミュニケーション能力が高いバランスのいい人は、周囲からも程よい距離感でもって愛されて育った人間なのだろう。

健全な人は、たぶん健全な人とくっつき、バランスのよい愛情でもって子どもを育て、健全な人生を歩むのかもしれない。

ま、そういった健全な人が社会を回していってほしい。

ただ、そこからリタイヤする人間がいるのも仕方ないことである。


そこで、こんな記事を見つけたので紹介。

「恋愛工学の男はいかにして恋愛障害の女性をモノにするのか」
http://books.nekotool.com/entry/love-affair-disorder

上記の藤沢氏のツイート発言と照らし合わせれば、恋愛工学がどういったものか理解できるだろう。

恋愛工学は「恋愛を通して人間関係を構築する方法論」ではなく・・・恋愛の面倒なところを省いて「セックスにたどり着くプロセスを効率化したもの」ということ。

面倒な人間関係を築くことを省いていることで、長くつきあう関係には至らず、まあ、それを「恋愛」と言うのかどうかは置いておいて、エッチだけはできるので「非モテ」ではなくなる。

自尊心を保つために非モテからは脱したい、「モテる状態」でありたいと望む男性は意外と多いのかもしれない。
数多くの女性とエッチした経験は、男のプライドを満足させるのだろう。自慢にもなるのかも。

反対に童貞は・・・ま、何かと世間から見下されている感がする。
それどころか問題視され、中年童貞に限っては「犯罪者予備軍」扱いされている。

経験が少ないことも、どちらかというと「負け」扱いされる。

若者のエッチ経験を気にする世間の価値観は「たくさんの女とエッチゲームできる肉食系男子>非モテ・恋愛に消極的な草食系男子」だろう。

ならば、恋愛工学にはまる男性が増えても仕方ないことだ。

※関連記事
「早くエッチしろと言う世間様」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-08-23
「エッチしない若者を揶揄する毎日新聞系マンガ」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-16-1