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引きこもり・オタク魂でいけ [自殺・イジメ・差別・生き方・人間関係]

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ふとこんなことを思ってしまう。
もしも本人の希望があれば自由に安楽死をさせてくれる社会になったら、まあ、問題はあるかもしれないが、救われる部分もあるのではないだろうか。

いつでもラクにこの世から逃げることができるのだ。自殺はやはりハードルが高いし、人に迷惑をかけてしまうこともある。

そう、最終手段が残されているって、精神的にとてもラクになれる気がする。
私個人は安楽死の自由化を求める。とても心が安らぐ。将来の心配もしなくていいのだから。

もち、あくまでも本人の希望でね。

他者に『死ね』と言われて、死ぬこともない。
そういえば長谷川豊氏が人工透析患者について「殺せ」発言し、炎上し、結局、テレビ大阪の番組降板にまで発展したっけ。

「死ね」「殺せ」などの言葉、大人も気軽に使うようになり、ますます殺伐としてくる世の中。
もはや子どもが「死ね」「殺せ」というのは仕方ないことかも。

いや、でもずっと前、世間はオタクに対してだけは殺伐とした言葉を使っていたんだけどね。
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※ばあさんはしつこいのじゃ。

「キモオタ死ね」もよく聞かれる言葉だ。
気持ち悪いんだから仕方ない、気持ち悪がられないようにしろ、という意見の方もおるじゃろう。

正直、気に入らない人や嫌いな人は遠ざけたいし、気持ち悪いものは気持ち悪い。そう思うのは罪ですか? 嫌う権利はないんですか? と思う人もいるじゃろう。

うむ、ワシも嫌いなものは嫌いじゃ。合わない人っているし、無理して仲よくする必要はない。
要するに強制するなっつうことで、ワシ個人の考えだが、「無視、相手にされない」という行為は仕方ないと、個人的には思っている。

世間の「一人でさびしそう、友だちがいないとかわいそう、ダメ人間、どこか偏っている、人間としておかしい、歪んでいる、犯罪者予備軍」という目さえなければ、独り上等、独りでも平気、っていう人は増えるのでないだろうか。

本当の意味で、独りをネガティブに捉えずに認めてくれる社会になれば、ラクになれる子、多くなるんじゃないだろうか。

ワシは「誰にも邪魔されない一人の時間」が絶対に必要な人間であり、皆から無視される代わりに一人の時間がたくさん得られるのと、皆とつきあう時間のために一人の時間が大幅に削られるのと、どっちがいいかというと、無視されるほうを選ぶ。

オタクもそういう感じではないだろうか。
一人で好きなことに没頭できる。
・・・つまり一人の時間が大切なはずだ。

あれだけ世間から害悪視され、「モテなくなるよ」と脅されても、「気持ち悪い」とけなされても、オタクは減るどころか、逆に認知を得るようにまでなってきて、オタク文化が栄え、海外にも広がった。それだけオタク文化が魅力的ということなのだろう。

それでも未だオタクは負け組扱い、ランクも下位に位置づけられているが、意外と、この厳しい世の中を渡るには、他人が何を言おうが我が道を行くオタク精神が役に立つかもしれん。

無視されたり、仲間外れにされたりして、辛い思いをしている人よ、それだけは耐えるしかないかもしれん。周囲に認められたい気持ちもあるだろうが、まずは一人で好きな道を行くのじゃ。

相手にも嫌う権利があり、どうしてもしゃべりたくない、挨拶もしたくない、顔も見たくない、っていう場合もあるだろう。

だからお互い距離をとるしかない。
こっちも無視すればいいことだ。長山春香のように。

(長山春香って誰? と思ったそこのあなた、↓この小説を読めば分かる)

「蝉―僕のランク」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-05
※あらすじ→学校で下位ランクの『僕』、最下層女子『長山春香』に何を思う。
学園もの、うむ、ちょい辛め、シリアスで重いけど救いはあるのじゃ。

「あだ名―中秋の名月」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-14-3
※あらすじ→白井月子が自分のランクを守るために犠牲にしたのは・・・
テーマはイジメ。己の容姿に劣等感を抱える月子が犯した罪とは。

「豚草―腐女子の誇り」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-19
※あらすじ→中学時代、下位ランクだった長山春香、白井月子、そしてもう一人「モヤシ」こと八島麗華の話。彼女は、長山春香を犠牲にした中学時代をどう想い、今、どうしているのか。


・・・というわけで
集団の中の独りぼっちは、辛いだろうけど、それはそういう価値観に縛られているからにすぎん。

合わせる努力をしろと言うのも正論だが、その「合わせろ」というほうはそんなに偉いのか、とも思う。
ルールさえ守っていればいいじゃん、迷惑かけてなきゃいいじゃん。

けど、存在そのものが迷惑で目に入るのも嫌、挨拶するのも嫌、口も利きたくないというのならば・・・
現実的解決法は無視し合う。これしかない。

え? 話し合いで理解し合おう?

話し合いとは、同等の立場に立てた時に成立する解決方法じゃ。
すでにランク付けがされており、こちらが下位で相手から見下されている場合、話し合いで解決・理解し合うはまあ、あり得ない。
強者の価値観や考えがまかり通るだけで、下位は劣等感に苦しめられるだけじゃ。

さらに、これが集団VS個人、もしくは大多数VS少数だったとすれば、個人・少数派はあまりに分が悪すぎる。

大多数の人が持つ一般的な価値観を無視するって、けっこう大変。
ただ、それが無視できたら、おかしな劣等感に縛られず、もっと自由にラクに生きることができるかも。

それに一人の時間って大切じゃ~。
合わない空気の中で無理してつきあうことはない。自分の時間を自由に使えばいい。

小説=物語の中のキャラも、たいていそういう解決の仕方をしている。合わない相手と理解し合うというのは難しい。そこそこ折り合いをつけて、あとは距離をとって、お互い不愉快な思いをせずに過ごせれば御の字じゃ。

なんか、いろいろジャッジする世の中(生き方、社会的ステータス、収入、容姿、彼氏彼女の有無、友人の有無、未婚か既婚か、配偶者のステータスや容姿、子の有無、子の出来)に接していると疲れるし、心が蝕まれる気もする。

ランク付けが好きで何かと他者をジャッジする人は、他者のことがとても気になる人なのだろう、
反対に、ジャッジしない人はわりと他者に無関心だ。マイペースであるとも言える。自分は自分、人は人。そういう距離の取り方をしている。

ここで藤沢数希氏の発言を紹介しよう。
https://twitter.com/kazu_fujisawa/status/786826703582617600より転載。

【経済学は人が絶対的な豊かさを求めるのではなく、自分の周りの中での自分の相対順位を上げるためだけに行動する(他国で起きる大量虐殺より同期との出世競争が1億倍重要、国が貧乏になっても自分より上のやつが落ちぶれるなら嬉しい、等)という原理原則に立ち返り、根本的に書き換える必要がある】

【要するに、人は自分の給料が2倍になるけど知り合いの給料が3倍になる世界より、自分の給料が半分になっても知り合いの給料が3分の1になる世界を選ぶ、ということ】

転載終わり。


他人と較べ、他人を気にすると、どうしても周りのケチな勝敗・順位にこだわってしまい、マイナスに働く気がする。

ならば、いっそうのこと他人に無関心でいたほうがいいのではと思う。
世間はそれを「さびしい」「冷たい」「人との関わりを大切にしよう」と言うけれど。

劣等感を刺激され、他者を蹴落としたい、他者の不幸を願ってしまうのも、また人間の性なのかもしれない。

もしかしたら自分の世界に引きこもり自己完結型の性質を持つオタクは、世間が決めるランクや他者からのジャッジを気にして順位を上げようと必死でいる人よりも、意外と幸せかもしれない。

つうか、楽しいことやっていれば、夢中になることがあれば、他人のことなんて気にならないよな。
人のことが気になるって、あんまり幸せじゃないのかも。楽しいことがないのかも。

生活さえ成り立てば、引きこもりも悪くはない、むしろ自分の身を守る手段となる・・・かも。

・・・と思いながらエッセイを綴っているのだった。
(で、そんな自分の考えは物語・小説のテーマにも影響するのだった)

・・・・・・・・・・
余談。

「タワマンカースト」というのまであるそうだな^^;
驚いちゃった、ほんとランク付けが好きなんだなあ、人間って。

つまりタワーマンション内で住む階層がそのままカーストの順位になっているんだそうだ。

【各階層における住民の特徴としては、上層階は会社経営者や開業医、芸能人などのセレブ、中層階は有名企業会社員や共働き富裕層、低層階は憧れで購入した一般人や投資用に購入しているケースが多いようです】

【階層ごとにエレベーターが異なったり、内装が違うといった「フロア格差」などに悩む低層階の方がいる一方、高層階の方は「強制ランチ」や「ゴミ出し時もメイクやファッションに気が抜けない」といった悩みを抱えています】

本当だとしたら、何と言うか・・・ランクを気にしている人って暇なんだな。(おもしろくするために話を作っているのでは? とすら思ってしまう)
いちおう女性同士の格付けということになっているが・・・まあ、世間の勝ち組になるって大変そうね。


http://youpouch.com/2015/04/26/263600/
↑これも、女同士のしょーもない争いネタとして面白おかしくでっちあげているのでは、と思う一方で、やはり関わりたくないと警戒心を抱いてしまい、偏見の目で見てしまうよな。

ま、こういったカーストもごくごく一部の他人を気にしすぎる人の話かもしれん。

そーいや・・・ブログで、よく人の生き方を批判している内容のものを見かけることがある。
自分の生き方に自信がないのかもしれんな。
あるいは、自分の生活がとても大変なので、ラクそうに見える人の生き方が気に食わないのかもしれない。
隣の芝生は何とやら・・・。

その点、あまり他人の目を気にしない我が道を行くオタクは気楽じゃ。(お気楽に見える上に、他人の目を気にしなさすぎなので、世間様から眉をひそめられる存在になってしまうのかもしれないが)

うむ、ワシは思いましたぞ。
カーストは、他人を気にする人が作るものじゃ。
他人に関心を持ちすぎると、かえって害があるようじゃの。
他人に無関心・・・これって、今の世を生きる知恵かも。

・・・・・・・・・・
改めて短編小説集「縁」番外編のお知らせ。

生きづらい世の中、どう折り合いをつけて生きていけばいいのか、これが物語の共通テーマです。

「蝉―僕のランク」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-05
「あだ名―中秋の名月」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-14-3
「豚草―腐女子の誇り」http://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-09-19


なお、短編小説「縁」本編の目次はこちらhttp://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28


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タグ:オタク
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