風のない日の鯉のぼり [本編「~縁2」(短編連作小説集)]
短編小説「縁」本編・34編目。
※目次ページはこちらhttp://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28
端午の日。四条静也と理沙の愛息子・涼也の初節句。
四条一家、相変わらず幸せそうで何よりである。
さて一方で・・・和江が出ていった小林家では、和江の従弟・沢田文雄が漫画の仕事に励んでいた。
立身出世を願った鯉のぼりに、ふと昔を思い出す。
――僕は社会不適合者だ――。
オタク漫画家・沢田文雄の劣等感にまみれた過去とは・・・。(10900字)
では、以下本文。
・・・
初夏。新緑が清々しい5月。四条夫妻のテンションは高かった。
今日は端午の節句。男の子である涼也の初節句だ。
そんなに特別なことはできないけれど、ベランダの手すりにおもちゃの鯉のぼりを飾り、柏餅と粽を用意し、家族3人でささやかなお祝いをした。
もちろん赤ちゃんの涼也はお乳と離乳食なので、静也と理沙は涼也の分の柏餅と粽もしっかりとお腹に収め、ベランダの鯉のぼりに涼也の健やかな成長を願った。
ちなみに夕飯は静也の大好物・鯉の甘辛煮の予定だ。
この頃の涼也は寝返りも上手になり、乳歯が生え始めた。そのため歯茎がむずがゆいのか夜泣きが多くなって大変だけど、とりあえず順調に育っている。
立身出世なんてしなくていいから、とにかく健康に、そして幸せになってほしい。
「さて、運動タイム~いってみようか」
理沙は涼也にお座りさせてみる。
だいぶ上手くなったけど、ちょっと時間が経つとコロンと倒れてしまう。
そのうち、涼也は飽きてしまったのかわざと倒れて、そのまま寝転ぶ。
「なまけものめ~」
理沙も一緒になって寝転び、涼也をくすぐる。
涼也は助けを求めるように静也のほうへハイハイしてきた。
「どれどれ~、ひとつダイナミックにいこうか」
静也が涼也の両脇を抱え『高い高い』をする。
涼也はのけ反り、声をあげて喜ぶ。んも~、かわいくてたまらない。
「あとで稲荷神社へお参りに行こうか」
寝転んでいた理沙が起き上がって、大きく伸びをする。
「そうだな。ゴロゴロしてばかりじゃ勿体ないか」
青空が広がり、ところどころに薄雲をはべらせている穏やかな昼下がり。
鮮やかなつつじを愛でながら散歩を楽しめそうだ。
今年も遠出して遊びに行くことはなかったけど、静也も理沙も充分に満足だった。
もう少し涼也が大きくなったら、去年二人で行った例のでっかい五色の鯉のぼりを見せてあげたい。
「ああ、明日から仕事かあ」
涼也を下ろした静也は肩をグルグル回しながら何気につぶやく。
やはり長い連休の後の出勤のことを考えるとちょっと憂鬱になってしまう。涼也ともあまり遊べない。それでも定時で帰れるだけマシなのだけど。
「そういえば……その後、女性職員らとはどうなってるの? 険悪なまま?」
「ん……いや」
理沙にふと問われ、静也は最近のことを振り返る。
4月下旬頃。仕事の帰り際にみすず先輩に呼び止められ、いきなりお礼を言われた。意味が分からず首を傾げていたら、「気にしないで。とにかくお礼が言いたかっただけだから」とやけにサッパリした顔をして笑い、離れていった。
思えば、女性職員らの冷ややかな視線も感じなくなっていた。
あれから……黒野先輩が相変わらずのセクハラまがいの言動をあちこちでやらかし、女性陣の関心はそっちのほうへ流れていったようだ。
よくよく考えてみれば、女性らにとっても長く引きずるような問題じゃない。些細なことだ。
自分のほうが勝手に自意識過剰になっていただけかもしれない。
それでも、みすず先輩の言葉は硬くなっていた静也の心を和らげたのは確かだった。
未だに他人とつきあうのは苦手だけど、何とか問題なくやっていけている。
ただ、今もエレベータは使わず、健康のために階段を利用しているけれど。
「……よし、散歩に行くか」
せっかくの休日だ。職場のことは頭の隅に追いやり、静也は脚にまとわりついていた涼也を再び抱きかかえた。
窓の外を見ると、風がなくベランダにある鯉のぼりは相変わらずへたったままだが、眩しいほどの晴天だ。
あの年賀状事件からどんよりと曇っていた静也の心も、いつの間にか晴れ渡っていたのだった。
・・・
所変わって――庭を持つ一軒家が多く並ぶ閑静な住宅街にある小林家。
先月、和江が出ていき、5月初めに従弟の沢田文雄が越してきた。
2階の6畳ある洋間を仕事部屋にし、隣の和室をアシスタントの寝泊りに使わせてもらうことになった。
初日に荷物の整理を終え、翌日からさっそく漫画原稿の下絵に励んでいた。
6月発売のコミック誌から連載開始となる。ゴールデンウィークが終わった後、アシスタントも入る予定だ。
「ちょっといいかしら」
ノックと共に部屋の外から和江の母・敏子の声がした。
「はい? どうぞ」
文雄が返事をするとドアが開き、敏子がお盆を持って入ってきた。
「お茶淹れたんだけど。柏餅もどうぞ」
「あ、わざわざありがとうございます」
文雄は手を止め、椅子から立ち上がり、叔母の敏子に頭を下げる。
「連休なのに仕事だなんて大変ね」
「いえ僕は勤め人じゃありませんから。そういえば和江さん、連休はこっちに帰ってこないんですか」
「ああ、和江は海外旅行に出てるからね。確かイギリスだったかしら」
「へえ、いいですね」
「私も誘われたけど、海外旅行は時差があって疲れるしね……。ああ、お仕事の邪魔してごめんなさい。じゃあ、これ」
敏子はそう言って、お盆を文雄に手渡し、部屋から出て行った。
お盆に乗っている柏餅に、文雄は思わず頬をほころばせる。
「そうか、今日は端午の節句か」
男女関係なく子どもの日とされる5月5日。
でも3月3日は女の子の祭日なのだから、やっぱり5月5日は男の子の日だろう。
窓に目を向けると、家々の隙間から鯉のぼりが見えた。風がないので、しょぼくれたように飾り棒にぶら下がっている。
それを見て文雄はふと思う。
鯉のぼりは、子どもの立身出世を願って掲げられると聞くけれど、そんな親の期待に応えることができる子はどのくらいいるのだろうか?
文雄の家も昔はオモチャの鯉のぼりや五月人形、兜を飾った。
けれど、文雄は幼い頃からおとなしく、友だちもあまりできず、部屋に引き籠りがちで、父親からはよく「友だちをたくさん作って、外で遊ぶように」と注意されていた。もっと男らしく元気で活発な子になってほしいと思っていたのだろう。小学校に入ると、野球やサッカーなどスポーツクラブに入ることを勧められた。
が、文雄はそういったことにあまり興味が持てなかった。
運動は苦手で、体育の時間は苦痛ですらあった。
運動会となれば、それはもう嫌で嫌でたまらなかった。クラス対抗なので、どうしたってクラスメイトたちの足をひっぱることになる。居たたまれず、運動会の日は仮病を使い休んだこともある。
親は「苦手なことは努力して克服するように」と言うけれど、苦手なものからは逃げたかった。
もちろん文雄だって活発な運動神経のいい子に憧れていた。そういう子は友だちも多くて、クラスの人気者だ。
だけど努力したからといって、自分がああなれるとは思えない。
文雄は小学生時代から友だちが少なく、教室の片隅で目立たないように過ごしてきた。
クラスの派手な子たちから何となく軽んじられ見くびられる存在、それが文雄の立ち位置だった。
成長するにつれ、次第に劣等感が芽生え始める――。
そんな文雄の心を捉えたのが漫画とアニメだった。気に入ったキャラクターの似顔絵を描いたりして遊んだ。その時だけ自分の心に巣くう劣等感を忘れることができた。
中学生になると父親は何も言わなくなり、母親のほうが「勉強しろ」とうるさくなった。
学校ではいかにいじめられないようにするか、それだけを考えて過ごしていた。
鈍くさく冴えない自分はイジメのターゲットになりやすい。すでに、そのことは自覚していた。
世間は「いじめるほうが悪い」と言うけれど、やっぱりいじめられるほうがカッコ悪いし、恥ずかしい……。
それに大人たちも本音ではこう思っているだろう「いじめられるほうにも原因はある」と。「いじめられっ子は情けない」と。
文雄の子ども時代、『オタク』は今以上に毛嫌いされていた。
ちなみにオタクとは『人とのコミュニケーションが下手で、おしゃれや恋愛事に疎く、漫画やアニメやゲームにのめり込んでいる不健全で気持ち悪い幼稚な輩』と定義され、世間ではそういった人たちを揶揄し見下す空気があった。
今はオタクの定義も広がり、鉄道オタクやアイドルの追っかけなども入るようだが、見下し空気は彼らにも広がっている。
当時、オタクはいじめられて当然といった感じだった。「いじめられたくなければ気持ち悪いことをしなければいい。人に好かれる努力をしろ」と言っているかのように。
学校では、クラスメイトも認めるメジャーな作品の漫画やアニメの話題に参加する程度にしておいた。それならば世間でいう『キモオタ扱い』されない。中学生ならば漫画やアニメに夢中でも、そうヘンな目で見られることはなく、友だちと一緒に心置きなく盛り上がることができた。
その頃はまだ「漫画家になりたい」とは思っていなかったので、母親の望み通り、勉学にも励み、高校受験に臨んだ。
が、結果は、第一志望の高校に落ち、滑り止めに行くことになってしまった。
そして――高校生時代。
親や教師からの評価よりも、学校の同級生からの評価が気になっていく。
文雄にとって教室内が『世間』だった。だから世間に馴染もうと『普通の人』になろうとした。
でも空回りしてしまい、結局、クラスメイトから変な目で見られ、教室では下層扱いとなった。
どうしても、おしゃれをすることや彼女を作ることにあまり興味持てなかった。なのでイケてない非モテとして、クラスの余りモノといった感じの冴えない同級生らとつるむようになった。
ただ、彼らは友だちというより、似た者同士ということでくっついていただけに過ぎず、仲間意識はうすかった。それでも独りぼっちよりはマシだ。
正直、現実の女の子たちは苦手だった。
彼女たちは文雄が話しかけると嫌そうな顔をした。どうやら下層の男子から声をかけられただけで、自分の価値が落ちると思っているようだ。それも容姿も大したことのない中の下レベルの女子のほうが過剰反応した。
おそらく自身の劣等感が刺激されるのだろうか。すぐに「キモい」という言葉を吐き、何かあれば「セクハラ」と騒いで被害者ぶり、こっちを見下すどころか悪者にする厄介な存在だった。
下層にいる女子も、下層男子から距離を置いていた。一緒にいると「お似合い」だと哂いモノにされるのが目に見えているからだろう。
こっちもそこまでして異性とつきあいたいとは思わない。女子には近づかないようにしたほうがトラブルにならずに済む。そんな面倒な生身の女より、理想の彼女を漫画に登場させ、そこで自由に動かすことのほうが楽しかった。
が、そういったことを世間では「気持ち悪い」と思うようだ。
そう、自分は気持ち悪い存在なのだ。気持ち悪いことが好きで、気持ち悪いことに快感を覚えてしまう。
――このことが周囲に知られたら大変だ。
ただただ劣等感に苛まれる日々。
だが、劣等感が強くなればなるほど漫画やアニメにのめり込んでいった。
次第に自分で物語を考えノートにコマを割り、セリフを書き、落書きレベルだが『漫画』を描くようになり、妄想の世界で遊んだ。
そんな高校2年の時の初夏の季節。
そう、ちょうど今時分、こんなことがあった。
ある時、授業があまりに退屈で、ついノートに女の子――創作中の漫画に新しく登場させるキャラ――を描いてしまった。もちろん誰にも見られないよう気をつけながら、いろんな表情、ポーズをさせて描きまくった。
が、授業が終わった時、隣の男子生徒にノートを取り上げられてしまった。
「お前、真剣にノートとっていたよな。ちょっと見せてくんない? オレ、書き写し損なっちゃってさ」
そう言って、文雄のノートをパラパラめくった。
「返して……」と言った時は、もう遅かった。
「げっ、何これ」
男子生徒は手を止めた。
そのページには文雄が描いたアニメ調のちょっとロリが入ったミニスカ姿の女の子の絵が並んでいた。次のページにも、また次のページにも。
「お前、オタクだったんか~」
男子生徒は意地悪そうな笑みを浮かべ、ノートを上に掲げた。
「おいおい、これ見てみ~」
ノートを取り返そうとする文雄から逃げ、女子生徒らにノートを手渡した。
「うわ、イヤだ~」「気持ち悪っ」女子生徒たちの嘲笑の混じる悲鳴があがった。
クラスメイトたちの侮蔑が込められた視線。
文雄は焦りで、口をパクパクさせた。
その姿が滑稽だったのだろう、教室は失笑で埋め尽くされた。
ついに恐れていたことが起きた。
どうしよう……文雄はただただ棒立ちするしかなかった。頭が軋み、喉がカラカラに乾き、胃がせり上がってくるような緊張を覚えた。
「オレがお前のオタク、治してやろうか~」
呆然としていると、文雄からノートを取り上げた男子生徒の声が落ちてきた。
文雄にはそれが助け舟のように思え、すがるように頷いてしまった。
オタクであることが皆に知られた……ならば、それを治し、オタクから脱したことをクラスメイトらにアピールしないとならない。じゃなきゃイジメられる。
「じゃ、オレんとこに来いよ」
その男子生徒は背が高くて友だちも多く、もちろんモテモテ、一目置かれるリーダー的存在でクラスのヒエラルキーの最上部にいた。
――彼についていけば、この危機を切り抜けられるかも……。
文雄は今までいたグループから離れ、最上位グループのパシリとなった。
もちろんこんな自分を対等に扱ってくれるはずがないのは分かっていたが、もしオタクが治るのなら、最上層グループに入れてもらい、がんばってみようと思ってしまったのだ。
それが間違いだった。
彼らが興味を持つことに、文雄は興味持てなかったし、話題にもついていけず、結局は疎外感を味わう。さらなる劣等感が積み重なる。
彼らは文雄を体よく使い、時にはじゃれ合いと称して軽い暴力を振るった。
グループを抜けたくても抜けられなかった。もしこのグループを抜けたら、おそらくクラス全体のイジメが始まる。まだ5月だ。来年のクラス替えまで耐えられない。ならば上位グループ内のパシリとして存在していたほうがマシだ。
だが、万引きを強要された時、限界が来た。彼らにしてみれば軽いゲームだったのだろう。
文雄はできないと断り、グループを抜けた。
すると間もなく、クラスでのイジメが始まった。
まずは無視。誰も文雄と口を利いてくれなくなった。ノートや教科書に「キモオタ死ね」「キモオタ滅びろ」と書かれたり、私物がゴミ箱に捨てられたりした。
下位に位置するおとなしいクラスメイトらも見て見ぬふりだ。以前、文雄がいた最下層グループの仲間も文雄を無視した。――そうしなければ自分たちが標的になってしまう。
おそらくクラスの中には文雄と同じくアニメや漫画に夢中になっている子もいたはずだ。
けれど、それを表に出す子はいなかった。社会全体がオタクを嘲笑し毛嫌いしていた時代である。学校の連中に知られないように身を守っていたのだろう。
自問自答の日々が続いた。
――何でこんなことになっちゃったんだろう?
それは自分が普通の人が興味を持つことに興味が持てず、話題についていけず、世間が嫌悪する趣味が好きで、彼女どころか友だちも作れなかったからだ。
――自分は気持ち悪くて、誰からも相手にされないダメ人間。
世間では友だちがいない奴は勉強ができないことよりも問題視される。本当の落ちこぼれだ。
文雄の劣等感はマックスとなった。
クラス全員からハブられたこの時代が一番、暗黒だった。修学旅行も運動会も学園祭も身の置き場がなく、一人ポツネンと時間が過ぎるのを待った。
今思い出しても胸がヒリヒリする。
あの時代には二度と戻りたくない。
が、高校3年になり、クラス替えもあって、同級生らは受験や就職のことで忙しくなり、イジメは自然になくなっていった。
こうして何とか高校生活を乗り切り、偏差値の低い誰でも入れるような大学に入った。
大学――そこは、いつも同じ面子が押し込まれる閉塞された学級というものが存在しない。それだけで救われた気分だった。
もう周囲の目を気にしないようにした。いや、気にしないというより、あきらめた。
オタクを脱しようと思ってもダメだった。好きなものは変えられない。どうしても世間でいう『まっとうな普通の人』に同化できない。
文雄は一人でいることにした。授業も一人で席に着き、教室の移動も一人だ。休み時間は一人で漫画を読み、学食でも一人飯だった。今で言う「ぼっち」というやつだ。
孤立していてもイジメられないし、誰も文雄のことなど気にしない。
独りでいてもいい――これは文雄にとってありがたい世界だった。
自由を得た気分になった。猛烈に漫画が描きたくなった。
その頃には本格的にケント紙を使って作画した。商業誌に一度だけでいいから自分の作品を載せてみたかった。
原稿を仕上げては、いろんな新人漫画賞に応募した。
キャラも背景も描き、ペンを入れ、消しゴムをかけ、トーンを貼り……漫画原稿を仕上げる作業には膨大な時間がかかる。友だちを作って興味のない遊びにつきあう暇はない。
大学の授業とバイトが終わると自宅に戻り、友だちと遊んでいる様子がなく、ひたすら部屋に籠って漫画を描いている文雄を、母親は心配した。サークルに入って友だちを作り、合コンなどで彼女を見つけ、恋愛をし、外で遊ぶことが『普通の大学生の健全な姿』だと思っていたのだろう。
だけど文雄にとって『普通の人』になるには相当の努力が要る。それはとても疲れることだった。
そもそも、それができていれば高校生活はもっと上手くいき、楽しめたはずだ。
ただ、この時点でもまだプロの漫画家になることは頭になかった。一度だけどこかの漫画新人賞に入選できれば満足だった。それでズタズタになった自尊心は回復される。
なので、大学3年の時からは就活にも励んだ。
しかし結局――就活に失敗した。一社も内定が取れなかった。
今の時代、企業はまずコミュニケーション能力を問うという。文雄の一番苦手なことだ。
母も父もガッカリしたことだろう。そしてこう思ったに違いない。「友だちもいなかったし、社会性のないオタクだから落ちこぼれた」と。
ついに自分は『普通の人』になれなかった。『普通の人』に手が届かなかった。
――自分は社会不適合者だ。最下層の負け組。
その時、文雄はプロの漫画家になりたいと切実に思った。自分にはもう漫画しか残されていない。もう好きなことをして生きよう……。
どうせ仕事はバイトか非正規しかない。ならばバイトしながら漫画家を目指すのも悪くない。どこかの漫画家のアシスタントになって、お金を得る方法もある。
自分は生身の女の子とつきあうことにも興味持てないから結婚も考えていない。子どもも欲しくない。
というか、これからは自分が食べていくだけで精一杯。子どもなんて扶養できない。
大学卒業後、文雄は両親にお願いし、家に置いてもらった。家賃が浮くだけで、だいぶラクになる。その分、稼がなくていいので漫画が描ける。
両親はあきらめモードで、引き籠りニートよりはいくらかマシとし、認めてくれた。
それでも父親は文雄の顔を見る度に嘆息し「情けない」と口にした。
そんな父を母は「犯罪者にならないだけいい」と慰めていたようだ。
世間では、自立することなく親の家にいて、まともな職に就けず、ろくに稼がない、いい歳した男は良く思われない。その上、オタクだ。社会の落ちこぼれだ。
近所や親戚の目は冷たいものだったに違いない。子育てに失敗した負け組として後ろ指を差されていた両親も肩身が狭かっただろう。
両親には悪いことをした。自分は生まれてくるべきじゃなかったとも思った。
なのでこの時、強く誓った。自分は絶対に子どもを作らないと。
自分の子孫は遺したくない。遺すべきではない。
そう、もしも子どもが自分に似たら、同じように世間から蔑まれ、惨めな人生を送ることになるだろう。
子どもは自分に似てもいいと思える自信のある者だけが持つべきだ。
自分は淘汰されるべき存在である。
それから――
しばらくして、父親が脳梗塞で亡くなった。
この頃から母親は文雄が家にいてくれることを心強く思ったのか、愚痴をこぼさなくなり、家の空気は穏やかになっていった。もちろん、あきらめもあっただろう。世間の目を気にするのにも疲れ、どうでも良くなったのかもしれない。
文雄自身は近所付き合いもないし、人間関係はとてつもなく狭かった。つきあう相手はアシスタントの仕事を通して知り合った漫画関係者ばかり。文雄としては話題も合う仲間ができて、学生時代よりはずっと幸せだったが。
今思えば、一般企業に就職できたところで、おそらく長続きしなかっただろう。学校生活でさえ上手く行かなかったのだ。職場でも「おかしな人、変な人」という目で見られ、疎外されたに違いない。自分は普通の人たちに馴染むことができない社会不適合者なのだから。
だけど漫画家であれば、自分が自分であることを許される気がした。
文雄は漫画を描き続けた。漫画家になれなくても、それはそれで仕方ない。これ以上、落ちようがない。失うものもないから気楽でもある。
そして30歳の時に、青年コミック誌で新人漫画賞に入選した。
それですぐに連載が取れて漫画で食べていけるわけではなかったけど、やはり嬉しかった。
母親も大喜びをしてくれた。やっと親孝行ができたと文雄はホッと胸をなで下ろした。
が、母親は何を勘違いしたのか「これで結婚できるわね」とおかしなことを言い出した。どうやら『漫画家は皆から先生と呼ばれる高収入の職業』という誤ったイメージを持っていたようだ。
家族を養えるほど稼げる売れっ子漫画家はごく一部だ。デビューしても脱落する者は多い。
そもそも女性とリアルでつきあうなんてあり得ない。そんな時間もお金もない。
なので結婚は全く考えていないと応えると、「老後はどうするの?」と母は諭してきた。
でも文雄はもう、将来を考えて生きるのは嫌だった。今までだって将来のために……自分なりに勉強に励み、就活をがんばった。『普通の人』になろうとしたけどダメだったのだ。
今は漫画のことしか考えられない。その結果、惨めな老後が待っていたとしても仕方ない。
それに……高校時代のあの息苦しさと集団の中の孤独感に較べたら、独りぼっちの老後のほうが数倍マシな気がした。
母親には、多くの漫画家がいかに貧しく不安定で厳しい生活をしていることを説明し、分かってもらった。
が、その後――今から1年程前、母は脳出血を起こし、左半身が不自由になってしまった。
母親は、将来のある文雄の邪魔にならないようにと施設に入ることを選択した。公の施設は空きがないので、家を売ったお金と遺族年金で民間の介護付き有料老人ホームのお世話になることになった。
このことについて文雄はこんな勘繰りをしていた。
もしかしたら、母はまだ息子の結婚をあきらめてないのかもしれない。ただでさえ条件が悪いのに、介護が必要な親を抱えては嫁の来手はないだろう。そう思って、施設行きを自分から希望したのかもしれない……。
文雄はそんな母に申し訳なく思いながら、自分とさほど歳が違わない従兄の和彦を頭に浮かべる。
――親としては、あんな息子に育ってほしかっただろう。
そう、小林和彦は大手企業に就職し、結婚をし、子どもを持ち、世間で言う『まっとうな生き方』をしている。
子どもも賢そうで、絵に描いたような幸せ一家だ。
でも文雄にとって、和彦は別世界にいる遠い存在であり、自分とは別人種の人間だった。
母には孫の顔を見せてやれないけれど仕方ない。もう自分には漫画しかないのだ。
――漫画を描いて暮らせるなら、ほかには何もいらない。
そこで文雄はハッとする。
――おっと、こうしちゃいられない。下絵を進めておかないと。
ついボンヤリしてしまった。お盆の上に柏の葉を置き、お茶を飲み干す。
外は気持ち良い五月晴れ。
世間一般の人たちは、こんな天気のいい休日は外に出て、家族や恋人、友だちと和気あいあいと過ごすのだろう。
けれど文雄は、薄暗い部屋の中で独りシコシコと漫画を描いているほうが性に合っていた。
眩しい青空はどうも苦手だ。
やっぱり自分は『普通の人』になれそうもない。独りでいるとホッとする。
ただ、こんなことも思う――もし父親が生きていたら、少しは自分のことを認めてくれただろうか? 漫画家になれたことを喜んでくれただろうか?
小さい時には飾られた五月人形も兜は、いつの頃からか押し入れの奥に仕舞いっぱなしとなり、オモチャの鯉のぼりはすぐにゴミ箱行きとなった。その後、五月人形も兜も処分した。
風のない端午の日。
家々の隙間から覗く鯉のぼりは雄々しく泳ぐことなく、飾り棒にへばりつくように垂れ下がっている。
普通の人は、鯉がしょんぼりとしているように感じるだろう。
だけど、文雄の瞳には鯉がのんびりとくつろいでいるように映っていた。
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端午の日。四条静也と理沙の愛息子・涼也の初節句。
四条一家、相変わらず幸せそうで何よりである。
さて一方で・・・和江が出ていった小林家では、和江の従弟・沢田文雄が漫画の仕事に励んでいた。
立身出世を願った鯉のぼりに、ふと昔を思い出す。
――僕は社会不適合者だ――。
オタク漫画家・沢田文雄の劣等感にまみれた過去とは・・・。(10900字)
では、以下本文。
・・・
初夏。新緑が清々しい5月。四条夫妻のテンションは高かった。
今日は端午の節句。男の子である涼也の初節句だ。
そんなに特別なことはできないけれど、ベランダの手すりにおもちゃの鯉のぼりを飾り、柏餅と粽を用意し、家族3人でささやかなお祝いをした。
もちろん赤ちゃんの涼也はお乳と離乳食なので、静也と理沙は涼也の分の柏餅と粽もしっかりとお腹に収め、ベランダの鯉のぼりに涼也の健やかな成長を願った。
ちなみに夕飯は静也の大好物・鯉の甘辛煮の予定だ。
この頃の涼也は寝返りも上手になり、乳歯が生え始めた。そのため歯茎がむずがゆいのか夜泣きが多くなって大変だけど、とりあえず順調に育っている。
立身出世なんてしなくていいから、とにかく健康に、そして幸せになってほしい。
「さて、運動タイム~いってみようか」
理沙は涼也にお座りさせてみる。
だいぶ上手くなったけど、ちょっと時間が経つとコロンと倒れてしまう。
そのうち、涼也は飽きてしまったのかわざと倒れて、そのまま寝転ぶ。
「なまけものめ~」
理沙も一緒になって寝転び、涼也をくすぐる。
涼也は助けを求めるように静也のほうへハイハイしてきた。
「どれどれ~、ひとつダイナミックにいこうか」
静也が涼也の両脇を抱え『高い高い』をする。
涼也はのけ反り、声をあげて喜ぶ。んも~、かわいくてたまらない。
「あとで稲荷神社へお参りに行こうか」
寝転んでいた理沙が起き上がって、大きく伸びをする。
「そうだな。ゴロゴロしてばかりじゃ勿体ないか」
青空が広がり、ところどころに薄雲をはべらせている穏やかな昼下がり。
鮮やかなつつじを愛でながら散歩を楽しめそうだ。
今年も遠出して遊びに行くことはなかったけど、静也も理沙も充分に満足だった。
もう少し涼也が大きくなったら、去年二人で行った例のでっかい五色の鯉のぼりを見せてあげたい。
「ああ、明日から仕事かあ」
涼也を下ろした静也は肩をグルグル回しながら何気につぶやく。
やはり長い連休の後の出勤のことを考えるとちょっと憂鬱になってしまう。涼也ともあまり遊べない。それでも定時で帰れるだけマシなのだけど。
「そういえば……その後、女性職員らとはどうなってるの? 険悪なまま?」
「ん……いや」
理沙にふと問われ、静也は最近のことを振り返る。
4月下旬頃。仕事の帰り際にみすず先輩に呼び止められ、いきなりお礼を言われた。意味が分からず首を傾げていたら、「気にしないで。とにかくお礼が言いたかっただけだから」とやけにサッパリした顔をして笑い、離れていった。
思えば、女性職員らの冷ややかな視線も感じなくなっていた。
あれから……黒野先輩が相変わらずのセクハラまがいの言動をあちこちでやらかし、女性陣の関心はそっちのほうへ流れていったようだ。
よくよく考えてみれば、女性らにとっても長く引きずるような問題じゃない。些細なことだ。
自分のほうが勝手に自意識過剰になっていただけかもしれない。
それでも、みすず先輩の言葉は硬くなっていた静也の心を和らげたのは確かだった。
未だに他人とつきあうのは苦手だけど、何とか問題なくやっていけている。
ただ、今もエレベータは使わず、健康のために階段を利用しているけれど。
「……よし、散歩に行くか」
せっかくの休日だ。職場のことは頭の隅に追いやり、静也は脚にまとわりついていた涼也を再び抱きかかえた。
窓の外を見ると、風がなくベランダにある鯉のぼりは相変わらずへたったままだが、眩しいほどの晴天だ。
あの年賀状事件からどんよりと曇っていた静也の心も、いつの間にか晴れ渡っていたのだった。
・・・
所変わって――庭を持つ一軒家が多く並ぶ閑静な住宅街にある小林家。
先月、和江が出ていき、5月初めに従弟の沢田文雄が越してきた。
2階の6畳ある洋間を仕事部屋にし、隣の和室をアシスタントの寝泊りに使わせてもらうことになった。
初日に荷物の整理を終え、翌日からさっそく漫画原稿の下絵に励んでいた。
6月発売のコミック誌から連載開始となる。ゴールデンウィークが終わった後、アシスタントも入る予定だ。
「ちょっといいかしら」
ノックと共に部屋の外から和江の母・敏子の声がした。
「はい? どうぞ」
文雄が返事をするとドアが開き、敏子がお盆を持って入ってきた。
「お茶淹れたんだけど。柏餅もどうぞ」
「あ、わざわざありがとうございます」
文雄は手を止め、椅子から立ち上がり、叔母の敏子に頭を下げる。
「連休なのに仕事だなんて大変ね」
「いえ僕は勤め人じゃありませんから。そういえば和江さん、連休はこっちに帰ってこないんですか」
「ああ、和江は海外旅行に出てるからね。確かイギリスだったかしら」
「へえ、いいですね」
「私も誘われたけど、海外旅行は時差があって疲れるしね……。ああ、お仕事の邪魔してごめんなさい。じゃあ、これ」
敏子はそう言って、お盆を文雄に手渡し、部屋から出て行った。
お盆に乗っている柏餅に、文雄は思わず頬をほころばせる。
「そうか、今日は端午の節句か」
男女関係なく子どもの日とされる5月5日。
でも3月3日は女の子の祭日なのだから、やっぱり5月5日は男の子の日だろう。
窓に目を向けると、家々の隙間から鯉のぼりが見えた。風がないので、しょぼくれたように飾り棒にぶら下がっている。
それを見て文雄はふと思う。
鯉のぼりは、子どもの立身出世を願って掲げられると聞くけれど、そんな親の期待に応えることができる子はどのくらいいるのだろうか?
文雄の家も昔はオモチャの鯉のぼりや五月人形、兜を飾った。
けれど、文雄は幼い頃からおとなしく、友だちもあまりできず、部屋に引き籠りがちで、父親からはよく「友だちをたくさん作って、外で遊ぶように」と注意されていた。もっと男らしく元気で活発な子になってほしいと思っていたのだろう。小学校に入ると、野球やサッカーなどスポーツクラブに入ることを勧められた。
が、文雄はそういったことにあまり興味が持てなかった。
運動は苦手で、体育の時間は苦痛ですらあった。
運動会となれば、それはもう嫌で嫌でたまらなかった。クラス対抗なので、どうしたってクラスメイトたちの足をひっぱることになる。居たたまれず、運動会の日は仮病を使い休んだこともある。
親は「苦手なことは努力して克服するように」と言うけれど、苦手なものからは逃げたかった。
もちろん文雄だって活発な運動神経のいい子に憧れていた。そういう子は友だちも多くて、クラスの人気者だ。
だけど努力したからといって、自分がああなれるとは思えない。
文雄は小学生時代から友だちが少なく、教室の片隅で目立たないように過ごしてきた。
クラスの派手な子たちから何となく軽んじられ見くびられる存在、それが文雄の立ち位置だった。
成長するにつれ、次第に劣等感が芽生え始める――。
そんな文雄の心を捉えたのが漫画とアニメだった。気に入ったキャラクターの似顔絵を描いたりして遊んだ。その時だけ自分の心に巣くう劣等感を忘れることができた。
中学生になると父親は何も言わなくなり、母親のほうが「勉強しろ」とうるさくなった。
学校ではいかにいじめられないようにするか、それだけを考えて過ごしていた。
鈍くさく冴えない自分はイジメのターゲットになりやすい。すでに、そのことは自覚していた。
世間は「いじめるほうが悪い」と言うけれど、やっぱりいじめられるほうがカッコ悪いし、恥ずかしい……。
それに大人たちも本音ではこう思っているだろう「いじめられるほうにも原因はある」と。「いじめられっ子は情けない」と。
文雄の子ども時代、『オタク』は今以上に毛嫌いされていた。
ちなみにオタクとは『人とのコミュニケーションが下手で、おしゃれや恋愛事に疎く、漫画やアニメやゲームにのめり込んでいる不健全で気持ち悪い幼稚な輩』と定義され、世間ではそういった人たちを揶揄し見下す空気があった。
今はオタクの定義も広がり、鉄道オタクやアイドルの追っかけなども入るようだが、見下し空気は彼らにも広がっている。
当時、オタクはいじめられて当然といった感じだった。「いじめられたくなければ気持ち悪いことをしなければいい。人に好かれる努力をしろ」と言っているかのように。
学校では、クラスメイトも認めるメジャーな作品の漫画やアニメの話題に参加する程度にしておいた。それならば世間でいう『キモオタ扱い』されない。中学生ならば漫画やアニメに夢中でも、そうヘンな目で見られることはなく、友だちと一緒に心置きなく盛り上がることができた。
その頃はまだ「漫画家になりたい」とは思っていなかったので、母親の望み通り、勉学にも励み、高校受験に臨んだ。
が、結果は、第一志望の高校に落ち、滑り止めに行くことになってしまった。
そして――高校生時代。
親や教師からの評価よりも、学校の同級生からの評価が気になっていく。
文雄にとって教室内が『世間』だった。だから世間に馴染もうと『普通の人』になろうとした。
でも空回りしてしまい、結局、クラスメイトから変な目で見られ、教室では下層扱いとなった。
どうしても、おしゃれをすることや彼女を作ることにあまり興味持てなかった。なのでイケてない非モテとして、クラスの余りモノといった感じの冴えない同級生らとつるむようになった。
ただ、彼らは友だちというより、似た者同士ということでくっついていただけに過ぎず、仲間意識はうすかった。それでも独りぼっちよりはマシだ。
正直、現実の女の子たちは苦手だった。
彼女たちは文雄が話しかけると嫌そうな顔をした。どうやら下層の男子から声をかけられただけで、自分の価値が落ちると思っているようだ。それも容姿も大したことのない中の下レベルの女子のほうが過剰反応した。
おそらく自身の劣等感が刺激されるのだろうか。すぐに「キモい」という言葉を吐き、何かあれば「セクハラ」と騒いで被害者ぶり、こっちを見下すどころか悪者にする厄介な存在だった。
下層にいる女子も、下層男子から距離を置いていた。一緒にいると「お似合い」だと哂いモノにされるのが目に見えているからだろう。
こっちもそこまでして異性とつきあいたいとは思わない。女子には近づかないようにしたほうがトラブルにならずに済む。そんな面倒な生身の女より、理想の彼女を漫画に登場させ、そこで自由に動かすことのほうが楽しかった。
が、そういったことを世間では「気持ち悪い」と思うようだ。
そう、自分は気持ち悪い存在なのだ。気持ち悪いことが好きで、気持ち悪いことに快感を覚えてしまう。
――このことが周囲に知られたら大変だ。
ただただ劣等感に苛まれる日々。
だが、劣等感が強くなればなるほど漫画やアニメにのめり込んでいった。
次第に自分で物語を考えノートにコマを割り、セリフを書き、落書きレベルだが『漫画』を描くようになり、妄想の世界で遊んだ。
そんな高校2年の時の初夏の季節。
そう、ちょうど今時分、こんなことがあった。
ある時、授業があまりに退屈で、ついノートに女の子――創作中の漫画に新しく登場させるキャラ――を描いてしまった。もちろん誰にも見られないよう気をつけながら、いろんな表情、ポーズをさせて描きまくった。
が、授業が終わった時、隣の男子生徒にノートを取り上げられてしまった。
「お前、真剣にノートとっていたよな。ちょっと見せてくんない? オレ、書き写し損なっちゃってさ」
そう言って、文雄のノートをパラパラめくった。
「返して……」と言った時は、もう遅かった。
「げっ、何これ」
男子生徒は手を止めた。
そのページには文雄が描いたアニメ調のちょっとロリが入ったミニスカ姿の女の子の絵が並んでいた。次のページにも、また次のページにも。
「お前、オタクだったんか~」
男子生徒は意地悪そうな笑みを浮かべ、ノートを上に掲げた。
「おいおい、これ見てみ~」
ノートを取り返そうとする文雄から逃げ、女子生徒らにノートを手渡した。
「うわ、イヤだ~」「気持ち悪っ」女子生徒たちの嘲笑の混じる悲鳴があがった。
クラスメイトたちの侮蔑が込められた視線。
文雄は焦りで、口をパクパクさせた。
その姿が滑稽だったのだろう、教室は失笑で埋め尽くされた。
ついに恐れていたことが起きた。
どうしよう……文雄はただただ棒立ちするしかなかった。頭が軋み、喉がカラカラに乾き、胃がせり上がってくるような緊張を覚えた。
「オレがお前のオタク、治してやろうか~」
呆然としていると、文雄からノートを取り上げた男子生徒の声が落ちてきた。
文雄にはそれが助け舟のように思え、すがるように頷いてしまった。
オタクであることが皆に知られた……ならば、それを治し、オタクから脱したことをクラスメイトらにアピールしないとならない。じゃなきゃイジメられる。
「じゃ、オレんとこに来いよ」
その男子生徒は背が高くて友だちも多く、もちろんモテモテ、一目置かれるリーダー的存在でクラスのヒエラルキーの最上部にいた。
――彼についていけば、この危機を切り抜けられるかも……。
文雄は今までいたグループから離れ、最上位グループのパシリとなった。
もちろんこんな自分を対等に扱ってくれるはずがないのは分かっていたが、もしオタクが治るのなら、最上層グループに入れてもらい、がんばってみようと思ってしまったのだ。
それが間違いだった。
彼らが興味を持つことに、文雄は興味持てなかったし、話題にもついていけず、結局は疎外感を味わう。さらなる劣等感が積み重なる。
彼らは文雄を体よく使い、時にはじゃれ合いと称して軽い暴力を振るった。
グループを抜けたくても抜けられなかった。もしこのグループを抜けたら、おそらくクラス全体のイジメが始まる。まだ5月だ。来年のクラス替えまで耐えられない。ならば上位グループ内のパシリとして存在していたほうがマシだ。
だが、万引きを強要された時、限界が来た。彼らにしてみれば軽いゲームだったのだろう。
文雄はできないと断り、グループを抜けた。
すると間もなく、クラスでのイジメが始まった。
まずは無視。誰も文雄と口を利いてくれなくなった。ノートや教科書に「キモオタ死ね」「キモオタ滅びろ」と書かれたり、私物がゴミ箱に捨てられたりした。
下位に位置するおとなしいクラスメイトらも見て見ぬふりだ。以前、文雄がいた最下層グループの仲間も文雄を無視した。――そうしなければ自分たちが標的になってしまう。
おそらくクラスの中には文雄と同じくアニメや漫画に夢中になっている子もいたはずだ。
けれど、それを表に出す子はいなかった。社会全体がオタクを嘲笑し毛嫌いしていた時代である。学校の連中に知られないように身を守っていたのだろう。
自問自答の日々が続いた。
――何でこんなことになっちゃったんだろう?
それは自分が普通の人が興味を持つことに興味が持てず、話題についていけず、世間が嫌悪する趣味が好きで、彼女どころか友だちも作れなかったからだ。
――自分は気持ち悪くて、誰からも相手にされないダメ人間。
世間では友だちがいない奴は勉強ができないことよりも問題視される。本当の落ちこぼれだ。
文雄の劣等感はマックスとなった。
クラス全員からハブられたこの時代が一番、暗黒だった。修学旅行も運動会も学園祭も身の置き場がなく、一人ポツネンと時間が過ぎるのを待った。
今思い出しても胸がヒリヒリする。
あの時代には二度と戻りたくない。
が、高校3年になり、クラス替えもあって、同級生らは受験や就職のことで忙しくなり、イジメは自然になくなっていった。
こうして何とか高校生活を乗り切り、偏差値の低い誰でも入れるような大学に入った。
大学――そこは、いつも同じ面子が押し込まれる閉塞された学級というものが存在しない。それだけで救われた気分だった。
もう周囲の目を気にしないようにした。いや、気にしないというより、あきらめた。
オタクを脱しようと思ってもダメだった。好きなものは変えられない。どうしても世間でいう『まっとうな普通の人』に同化できない。
文雄は一人でいることにした。授業も一人で席に着き、教室の移動も一人だ。休み時間は一人で漫画を読み、学食でも一人飯だった。今で言う「ぼっち」というやつだ。
孤立していてもイジメられないし、誰も文雄のことなど気にしない。
独りでいてもいい――これは文雄にとってありがたい世界だった。
自由を得た気分になった。猛烈に漫画が描きたくなった。
その頃には本格的にケント紙を使って作画した。商業誌に一度だけでいいから自分の作品を載せてみたかった。
原稿を仕上げては、いろんな新人漫画賞に応募した。
キャラも背景も描き、ペンを入れ、消しゴムをかけ、トーンを貼り……漫画原稿を仕上げる作業には膨大な時間がかかる。友だちを作って興味のない遊びにつきあう暇はない。
大学の授業とバイトが終わると自宅に戻り、友だちと遊んでいる様子がなく、ひたすら部屋に籠って漫画を描いている文雄を、母親は心配した。サークルに入って友だちを作り、合コンなどで彼女を見つけ、恋愛をし、外で遊ぶことが『普通の大学生の健全な姿』だと思っていたのだろう。
だけど文雄にとって『普通の人』になるには相当の努力が要る。それはとても疲れることだった。
そもそも、それができていれば高校生活はもっと上手くいき、楽しめたはずだ。
ただ、この時点でもまだプロの漫画家になることは頭になかった。一度だけどこかの漫画新人賞に入選できれば満足だった。それでズタズタになった自尊心は回復される。
なので、大学3年の時からは就活にも励んだ。
しかし結局――就活に失敗した。一社も内定が取れなかった。
今の時代、企業はまずコミュニケーション能力を問うという。文雄の一番苦手なことだ。
母も父もガッカリしたことだろう。そしてこう思ったに違いない。「友だちもいなかったし、社会性のないオタクだから落ちこぼれた」と。
ついに自分は『普通の人』になれなかった。『普通の人』に手が届かなかった。
――自分は社会不適合者だ。最下層の負け組。
その時、文雄はプロの漫画家になりたいと切実に思った。自分にはもう漫画しか残されていない。もう好きなことをして生きよう……。
どうせ仕事はバイトか非正規しかない。ならばバイトしながら漫画家を目指すのも悪くない。どこかの漫画家のアシスタントになって、お金を得る方法もある。
自分は生身の女の子とつきあうことにも興味持てないから結婚も考えていない。子どもも欲しくない。
というか、これからは自分が食べていくだけで精一杯。子どもなんて扶養できない。
大学卒業後、文雄は両親にお願いし、家に置いてもらった。家賃が浮くだけで、だいぶラクになる。その分、稼がなくていいので漫画が描ける。
両親はあきらめモードで、引き籠りニートよりはいくらかマシとし、認めてくれた。
それでも父親は文雄の顔を見る度に嘆息し「情けない」と口にした。
そんな父を母は「犯罪者にならないだけいい」と慰めていたようだ。
世間では、自立することなく親の家にいて、まともな職に就けず、ろくに稼がない、いい歳した男は良く思われない。その上、オタクだ。社会の落ちこぼれだ。
近所や親戚の目は冷たいものだったに違いない。子育てに失敗した負け組として後ろ指を差されていた両親も肩身が狭かっただろう。
両親には悪いことをした。自分は生まれてくるべきじゃなかったとも思った。
なのでこの時、強く誓った。自分は絶対に子どもを作らないと。
自分の子孫は遺したくない。遺すべきではない。
そう、もしも子どもが自分に似たら、同じように世間から蔑まれ、惨めな人生を送ることになるだろう。
子どもは自分に似てもいいと思える自信のある者だけが持つべきだ。
自分は淘汰されるべき存在である。
それから――
しばらくして、父親が脳梗塞で亡くなった。
この頃から母親は文雄が家にいてくれることを心強く思ったのか、愚痴をこぼさなくなり、家の空気は穏やかになっていった。もちろん、あきらめもあっただろう。世間の目を気にするのにも疲れ、どうでも良くなったのかもしれない。
文雄自身は近所付き合いもないし、人間関係はとてつもなく狭かった。つきあう相手はアシスタントの仕事を通して知り合った漫画関係者ばかり。文雄としては話題も合う仲間ができて、学生時代よりはずっと幸せだったが。
今思えば、一般企業に就職できたところで、おそらく長続きしなかっただろう。学校生活でさえ上手く行かなかったのだ。職場でも「おかしな人、変な人」という目で見られ、疎外されたに違いない。自分は普通の人たちに馴染むことができない社会不適合者なのだから。
だけど漫画家であれば、自分が自分であることを許される気がした。
文雄は漫画を描き続けた。漫画家になれなくても、それはそれで仕方ない。これ以上、落ちようがない。失うものもないから気楽でもある。
そして30歳の時に、青年コミック誌で新人漫画賞に入選した。
それですぐに連載が取れて漫画で食べていけるわけではなかったけど、やはり嬉しかった。
母親も大喜びをしてくれた。やっと親孝行ができたと文雄はホッと胸をなで下ろした。
が、母親は何を勘違いしたのか「これで結婚できるわね」とおかしなことを言い出した。どうやら『漫画家は皆から先生と呼ばれる高収入の職業』という誤ったイメージを持っていたようだ。
家族を養えるほど稼げる売れっ子漫画家はごく一部だ。デビューしても脱落する者は多い。
そもそも女性とリアルでつきあうなんてあり得ない。そんな時間もお金もない。
なので結婚は全く考えていないと応えると、「老後はどうするの?」と母は諭してきた。
でも文雄はもう、将来を考えて生きるのは嫌だった。今までだって将来のために……自分なりに勉強に励み、就活をがんばった。『普通の人』になろうとしたけどダメだったのだ。
今は漫画のことしか考えられない。その結果、惨めな老後が待っていたとしても仕方ない。
それに……高校時代のあの息苦しさと集団の中の孤独感に較べたら、独りぼっちの老後のほうが数倍マシな気がした。
母親には、多くの漫画家がいかに貧しく不安定で厳しい生活をしていることを説明し、分かってもらった。
が、その後――今から1年程前、母は脳出血を起こし、左半身が不自由になってしまった。
母親は、将来のある文雄の邪魔にならないようにと施設に入ることを選択した。公の施設は空きがないので、家を売ったお金と遺族年金で民間の介護付き有料老人ホームのお世話になることになった。
このことについて文雄はこんな勘繰りをしていた。
もしかしたら、母はまだ息子の結婚をあきらめてないのかもしれない。ただでさえ条件が悪いのに、介護が必要な親を抱えては嫁の来手はないだろう。そう思って、施設行きを自分から希望したのかもしれない……。
文雄はそんな母に申し訳なく思いながら、自分とさほど歳が違わない従兄の和彦を頭に浮かべる。
――親としては、あんな息子に育ってほしかっただろう。
そう、小林和彦は大手企業に就職し、結婚をし、子どもを持ち、世間で言う『まっとうな生き方』をしている。
子どもも賢そうで、絵に描いたような幸せ一家だ。
でも文雄にとって、和彦は別世界にいる遠い存在であり、自分とは別人種の人間だった。
母には孫の顔を見せてやれないけれど仕方ない。もう自分には漫画しかないのだ。
――漫画を描いて暮らせるなら、ほかには何もいらない。
そこで文雄はハッとする。
――おっと、こうしちゃいられない。下絵を進めておかないと。
ついボンヤリしてしまった。お盆の上に柏の葉を置き、お茶を飲み干す。
外は気持ち良い五月晴れ。
世間一般の人たちは、こんな天気のいい休日は外に出て、家族や恋人、友だちと和気あいあいと過ごすのだろう。
けれど文雄は、薄暗い部屋の中で独りシコシコと漫画を描いているほうが性に合っていた。
眩しい青空はどうも苦手だ。
やっぱり自分は『普通の人』になれそうもない。独りでいるとホッとする。
ただ、こんなことも思う――もし父親が生きていたら、少しは自分のことを認めてくれただろうか? 漫画家になれたことを喜んでくれただろうか?
小さい時には飾られた五月人形も兜は、いつの頃からか押し入れの奥に仕舞いっぱなしとなり、オモチャの鯉のぼりはすぐにゴミ箱行きとなった。その後、五月人形も兜も処分した。
風のない端午の日。
家々の隙間から覗く鯉のぼりは雄々しく泳ぐことなく、飾り棒にへばりつくように垂れ下がっている。
普通の人は、鯉がしょんぼりとしているように感じるだろう。
だけど、文雄の瞳には鯉がのんびりとくつろいでいるように映っていた。
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2017-02-02 17:16
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コメント(2)
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“オタク”ってそんなにいけないことなのでしょうか…と苦しくなります。
学校や、その時の生徒にも寄るんですよね。
私の時には、そんなに酷い扱いは受けなかったです。
結構強気で格好いいオタクもいて、自虐的に「俺、オタクだしぃ」って平気で言える雰囲気でした。
文雄さん、場所が悪かった。運が悪かった。
そう思います。
でもその分、お仕事で成功して、絶対に幸せになってほしいです。
応援したい人です。
by 瑠璃色 (2017-02-02 21:11)
カーストがある学校と、ない学校があるみたいですよね。
オタクは最下層のようで、教室内を支配している空気ってあるようですね。
オタクであることを知られないようにしていた人の話を聞き、大変そうだな、と。
イジメのターゲット・・・やはり社会からも下に見られているっぽい性質(外見、性格、趣味)の子が狙われるんだろうな、と。
文雄はオタクであるほかに、性格もおどおどしているし、「イケてない」外見からも、いじめられ要素がそろってしまい・・・孤立が決定的でした。
オタクでなくても、何かのほんの些細なきっかけでイジメが始まるのかも。
by ハヤシ (2017-02-02 21:34)