文鳥―栗の節句 [本編「~縁」(短編連作小説集)]
短編小説「縁」本編・17編目
※目次ページはこちらhttp://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28
文鳥が我が家にやってきた! そして今後の生き方に思い悩みつつ、過去を振り返る理沙。
文鳥のこと、重陽の節句=別名、栗の節句・菊の節句関連、雑学満載。
シーチキンと玉ねぎのマヨネーズ和えトースト、美味しいよ、お試しあれ。(9150字)
では、以下本文。
・・・
9月初旬。
昼間は夏が居座っているかのように残暑が厳しくも、朝と夕はいくらかホッとさせられる気候となった。
蝉の声も幾分か弱まり、刺々しかった日差しも和らぎつつあり、秋の足音が微かに感じられる今日この頃。
「じゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
産休をとった理沙は職場へ向かう静也を見送ると、居間に戻り、鳥籠の中の水を取り替え、エサの残量を確認する。
そう先日、白文鳥を手に入れたのだ。
ペットショップでは、文鳥にするかハムスターにするか迷ったけど、静也も文鳥のほうに興味あり気だったし、その時、遊びまわっていたハムスターよりも、お腹をもっこり膨らませて鎮座していた白文鳥の姿があまりにかわいかったので、文鳥を選んだ。
以前に見た白文鳥は売れてしまい、買ったのは別の文鳥だったけど――まだ生後3か月半で、挿し餌をして育てたので人には慣れており、育て方次第で充分懐くとのこと。
2羽が仲良く並んでピッタリくっついているのを見て、引き離すのはかわいそうと思い、ペアで飼うことにした。
1羽で飼うほうが飼い主に早く慣れるが、2羽で飼っても手乗りにすることができるそうだ。
こうして2羽の白文鳥を我が家に持ち帰り、さっそく「名前、どうしようか」という話になり――
「そうだな、『ふっくら』がいいんじゃないか。ふっくらしているから」と静也が提案。
理沙もその名前が気に入り――
「じゃあ、もう一羽は……くちばしが、ぷっくりしているから『ぷっくり』にしよう」となった。
文鳥の場合、オスとメスの見分けが難しい。
オスは生後2~3カ月になると『求愛のためのさえずり』を練習し始める。
一方、メスはそういったさえずりをせず短く鳴くだけなので、これで性別を判断する。
ただオクテのオスもいて、生後半年経たないと確実な判断はできない。
もし2羽ともオスだった場合、成鳥すれば縄張り争いをするため、ひとつの籠に2羽のオスを入れるのは避けなければならない。
けど理沙は「この仲の良さはオス同士ではない」と信じている。
外見での見分け方として、紅色のくちばしがメスより濃く、ぷっくりしているのがオスだというので、『ふっくら』は推定メス、『ぷっくり』は推定オスと見ている。
そんな白文鳥たちは今日も仲良く止まり木に並び、羽づくろいに勤しんでいた。
「かわいい~」
思わず理沙の顔がほころぶ。
静也を見送る度に社会から取り残されたような気分を味わうけど、そんな理沙を『ふっくら』と『ぷっくり』は癒してくれていた。
でも、手に餌を乗せて鳥籠に入れてみるも、文鳥はなかなか寄ってきてくれない。
手乗りへの道は遠そうだ。
「慣れるまで仕方ないかあ」
理沙はソッと手を引っ込める。
「さてと、家のことを片付けちゃいますか」
窓から忍び込む風に白いレースのカーテンが揺れる。
午後は暑くなりそうだ。その前に家事を片付けてしまいたい。
でも、手は動かしつつも理沙の頭の中は考え事でいっぱいだった。
今後の生き方――仕事と育児の両立について、今でも迷いがある。
取り残された気分を味わう一方で、朝食の用意もゆっくりできるし、今朝もバタバタと慌て気味の静也を横目に「専業主婦もいいかも」と思ったりしていた。
ちなみに今日の朝食は――シーチキンと刻んだ玉ねぎをマヨネーズで和え、からしを塗った食パンに乗せて、その上に細切りにしたピーマンを散らし、トーストした。
けっこうボリュームあるので満腹感も得られる。栄養バランスもいい。トマトと一緒に食べると最高だ。オレンジジュースとよく合う。静也も大喜びで食べていった。
けど、そんな生活もそのうち物足りなくなるだろう。
仕事を辞めれば、静也と話題が合わなくなるかもしれない。経済的にも今のような余裕はなくなる。
それにせっかく猛勉強の末、公務員試験に受かって今の職を手にしたのに、それを手放すのも勿体ない。
ただ、仕事をしながらの育児は、保育園の送り迎えなどで時間に追われ、綱渡りのような生活になる可能性が高い。静也にはもちろん分担してもらうけど、それでもそう簡単なことではないだろう。
朝も夜も急き立てられる毎日――そんな暮らしを自分はしたいのか?
「……専業主婦か……」
理沙は亡くなった自分の母のことをふと思う。
母は結婚する前、大学病院に務める看護師をしていた。
父とは――父の母・理沙の祖母が病気で入院していた時に知り合い、その縁でつきあいが始まり、結婚に至ったらしい。
けれど金融機関に勤める父の仕事は転勤も多く、激務だった。
結局、母は仕事を辞め、家族を支える専業主婦になり、育児も母が担った。父はたまの休日に遊んでくれるだけだ。
勉強をさぼる理沙は、母によく叱られていた。
が、ある時、理沙はこんな理屈を並べた。
「日本語が読めて、ちょっと算数ができれば生活できるもん。それ以上の勉強って役に立たないのに何でやらなきゃいけないの?」
母は困った顔をしながらもこう諭した。
「理沙は将来どんなお仕事に就くか、まだ分からないでしょ。今は基礎の知識を学んでいて、そこから自分の得意なことや好きなことを見つけていくの。だから勉強したほうがいいのよ」
「お母さんは? お家の仕事に、学校の勉強、役に立っている?」
この理沙の質問に一瞬、母は寂しそうな顔をし、そのまま思い悩むように黙り込んだ。
いつも朗らかな母がそんな顔をするのが意外で、理沙は今もその時のことを覚えている。
けどその後、母はいきなりニヤ~ッと笑って言った。
「お母さんは一生懸命、勉強をして看護師になったの。病院でお父さんと知り合って、結婚したから理沙が生まれたの。もし、お母さんが看護師になれなかったら、お父さんと知り合えなかった……つまり、お母さんが勉強しなかったら、理沙は生まれてなかったんだよ」
「え……」
「将来の道を切り開くために勉強するの。さあ、宿題やっちゃいましょう」
ポンと手を叩くと、母は有無を言わさず理沙を机に向かわせた。
上手くごまかされた感じもしないではないけれど、理沙は二度と「お母さんの家の仕事に、学校の勉強が役に立っているのか?」という質問はしなかった。母の寂しそうな顔は見たくなかった。
――ひょっとして、母は看護師を辞めたことを後悔していたのでは?
高度な医療を施す大学病院での勤務は大変だっただろうけど、その分、やりがいもあったはずだ。
けれど、もう母の思いを知る由はない……。
何で女ばかり、こんなに悩まないといけないのよ……とは思うものの、では静也に仕事を辞めてもらい、専業主夫になってもらえばいいのかというと、それも違う。
そんなことを思い悩みながらも、掃除、洗濯とやっていくうち、あっという間に午後になっていた。
体が重いので、家事がはかどらない。
そろそろランチにしようと、朝に作っておいた水出し麦茶を冷蔵庫から出す。この時季はまだまだ冷えた麦茶が大活躍。
ちなみに麦茶のパックを水につける時、インスタントコーヒーの粉を一匙入れると香ばしく出来上がる。
昼食には、ゆで卵に鶏のささみ、胡瓜、トマトを乗せた冷麺を作った。
それを食べながらDVD録画しておいたドラマを観る。お盆の時から見ている例のあのドラマだ。
『ついに夫に切れた主人公ママ、子どもを連れて実家に帰り、離婚の危機』というところまで物語が進んでいたが、今回は主人公ママの過去の話だった。
恋愛のいざこざを乗り越え、結婚、新婚生活と、夫と過ごした幸福な日々が蘇る――それまで険悪な場面が続いていただけに、心温まる展開だった。
理沙は冷麺をすすりながら、ドラマに重ね合わせるように過去を振り返る。
・・・
――静也と猛勉強の末に公務員試験に受かって市役所への就職も決まり、高校卒業を控え、新しく住む部屋を探すことになった。
部屋を借りる時、児童養護施設の施設長に相談に乗ってもらった。
公務員という地位を手に入れた理沙と静也に、施設長は保証人になることを快く応じ、その他、携帯電話など未成年であるがため保護者の同意が必要な契約にも法定代理人となってくれた。
が、施設長といえど施設を巣立っていく子どもたち全員の保証人にはなれない。
何かあった場合、施設長個人が責任を負うことになってしまうからだ。
家賃に限っては、子どもたちの施設退所後2年間までは保証する制度が公的に整えられたものの、その後の契約更新は保証対象外となる。
連帯保証代行会社を利用することもできるが、中学の時から『親という保証人がいない不利』を感じていた静也は、目標を『絶対的安定を得ること』とし、公務員試験に合格するべく勉学に励み、理沙もそんな静也に引っ張られるようにして頑張った。
理沙を勉強させることに手を焼いていた母がこれを知ったら、びっくりしたことだろう。
この頃から理沙は、静也と一緒に人生を歩むことを意識していた。
・・・
と、ここで理沙の冷麺をつかんだ箸が止まる。
――そういえば静也から、ちゃんとしたプロポーズはなかった気がする……。
「文鳥だって、オスが求愛のさえずりをするのにね」
箸を止めた理沙は冷麺をくわえたまま、鳥籠の文鳥にそろりと目をやる。
それでも……新しく住む部屋を探す時に、静也が遠慮気に言ってきたこと……あれがプロポーズになるのかしら――
とりあえず冷麺をすすり、頭の中から過去を引っ張り出す。
・・・
「あのさ……この際、一緒に住んだほうが安上がり……かな」
静也は理沙から微妙に視線をずらし、口を開いた。
これが初めて聞いた「一緒になりたい」という静也の『求愛のさえずり』だったかもしれない。
「え……」
「まだ、早いかな?」
「そうだね……」
「やっぱ成人になってからか?」
「そのほうがいいかもしれないね」
「じゃ、それでいこう」
・・・
確か、こんな淡々とした会話だった。
静也に熱烈を期待するのは無理な注文だが、正直、静也の『求愛のさえずり』はしょぼかった。
まさに今の『ぷっくり』の拙いさえずりと同レベル。
理沙もいずれは一緒になりたいと考えていたけど、もうちょっと熱く言ってほしかった。
でも、それからの静也は心置きなく、将来について話を振ってくるようになり――
誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントもバレンタインデーのチョコもいらないと言い、そういったことにお金を遣わず、結婚資金にまわしてほしいと提案をしてきた。
それぞれの親の遺産は手を付けず、何かあった時のためにとっておくことにしている。
ただよくよく考えてみれば、最初から一緒に住んだほうが無駄が省けたはずなのだけど――
「未成年が結婚する場合、保護者の同意が必要でしょ? 私たちみたいな孤児の場合は、遺産を管理してくれている後見人の司法書士が、その代わりをしてくれるのかしら?」
理沙はそんな質問を静也にしたことがあったが、静也もその辺の法律は知らなかったようだ。
自分たちは勤労、納税という義務を果たしているのに権利が制限されているのだ。
「何で成人は20歳なんだろうな……施設だって基本18歳で出ないといけない。要するに18歳で自立しろってことだろ。なのに矛盾しているよな。権利を制限するなら、親を頼れない施設の子どもは、18歳ではなく20歳まで保護するべきだよな」
と静也もぼやいていた。
一緒に住むなら、やはり結婚だ。二人の住所が職場に知られるわけだから、同棲はまずい。
とはいえ二人はお互いの部屋をよく行き来し、半分同棲していたようなものだったが。
そして理沙が20歳になった時、先に20歳になっていた静也は「じゃあ、これ」と言って婚姻届をしずしずと差し出してきた。
理沙は喜んでサインしたものの、静也からのホンチャンの『求愛のさえずり』は「じゃあ、これ」というそっけないものだった。
結婚式もなしにし、ウエディングドレスを借りて記念写真だけ撮ることにした。理沙は花嫁姿を静也に見てもらうだけで充分だった。
人に対し壁を作り、距離を置く生き方をしていた二人は他人の注目を浴びるのが苦手だったし、苦痛ですらあった。
経済的理由から新婚旅行もやめた。結婚指輪もなしだ。
そんなことにお金をかけるなら、その分日常生活を豊かに暮らしたかった。
こうして一緒になった初めの頃は特別なことは何もできなかったけど、静也との縁を守りながら地道に今日まで歩んできたのだ。
平凡ながらに概ね幸せな毎日だ。
「何だか、昔のことをいろいろ思い出しちゃったなあ」
理沙はほっこりした気分になっていた。
静也は「好きだ」という言葉はほとんど口にしなかったが、いつも理沙のために具体的に動いてくれた。
これが静也なりの『求愛のさえずり』だったのだろう。
その時、また母の言葉が甦った――『将来の道を切り開くために勉強するの』
そう、静也と一緒に勉強したからこそ、今のこの生活があるのだ。
そして、母はこうも言っていた――『選択肢がたくさんあるって幸せなことなんだよ』
きっと母だって迷ったはず。でも母は母なりの道を選んだ。
仕事を辞めたことを残念に思ったこともあっただろう。家の仕事が物足りなくなったり、不満を抱えたこともあっただろう。それでも母は幸せだったと信じたい。
選択するって迷うけど……それが生きるってことなのかもしれない。
ドラマでは、主人公夫婦が離婚の危機を乗り越え、切れかかったこの縁をもう一度修復し、結び直そうという話に落ち着き、ハッピーエンドを迎えていた。
「子どものことも……生まれてもいないうちから、あれこれ思い悩むのも良くないよね」
自分は何を一番求めていて、何をあきらめることができるのか、それが分かっていれば悔いのない生き方ができるはずだ。
理沙は冷麺を食べ終え、テレビとDVDを消した。
・・・
日がだいぶ傾いてきた。
涼風が時折吹き、夏の暑さに疲れたかのように木の葉がカサカサと乾いた音を鳴らす。
理沙は近所の商店街へ買い物に出た。大きなお腹を抱え、ゆっくり歩く。花屋の前で菊を見かけ、昨夜、静也から教えてもらったことを思い出した。
「そういえば……今日は重陽(ちょうよう)だっけ」
9月9日は重陽の節句。別名『菊の節句』または『栗の節句』だ。
昔から、中国では『奇数』は縁起が良い『陽数』といわれている。
9は陽数の中でも一番大きな数字であり、その9が重なる日ということで、9月9日は『重陽』と呼ばれ、特別な日とされた。
古代中国では、菊は邪気を払い長生きする効能がある薬だと考えられていたので、おめでたい重陽の日に菊を使って長寿を祈るようになった。
その重陽の風習と菊の効能が日本に伝わった平安時代、宮中では菊の花を浮かべた『菊酒』を飲み交わすようになり、奈良時代では菊を観賞する宴が催されたという。
さらに江戸時代に入ると『桃の節句』と同じく、雛人形が飾られるようになり、菊に長寿を願う『菊の節句』となった。
またこの時期、秋の収穫祭が行われ、栗ご飯などでお祝いしていたため『栗の節句』とも呼ばれていた。
「よし、『菊の節句』ということで、菊のおひたしでも作るか」
理沙はスーパーマーケットで今日の晩ご飯の食材と『食用の菊の花びら』を買った。
「あ、そうそう『栗の節句』でもあったのよね」
栗といえば、理沙の頭に思い浮かぶのは栗羊羹に栗饅頭、マロングラッセ、モンブラン、マロン風味のアイスクリーム――お菓子のオンパレード。
さっそく和菓子店と洋菓子店に立ち寄り、栗のお菓子をあれこれ品定め。
「迷うけど、選ぶって楽しい」
そう、自由に選べるってことは幸せなことなのだ。
ここはちょっと奮発して、栗饅頭とモンブランとアイスクリームを買った。
ドラッグストアでは、菊湯の入浴剤を手に入れた。菊には精油成分があり、血行を促進し、保温効果も高く、夏の疲れをほぐす薬湯とされている。
いまひとつ地味であまり知られていない『重陽の節句』だけど、理沙の頭には『おいしい栗菓子の日』としてしっかりインプットしてある。
そう、3月3日の『桃の節句』は女の子のための、5月5日の『端午の節句』は男の子のための、そしてこの9月9日の『重陽の節句』は大人のための行事と言っていいだろう。
静也と共に健康長寿を目指す――これは理沙にとっての人生の最優先目標でもある。
日が落ち、空がすっかり暗くなった頃、静也が帰ってきた。
「おかえりなさい」
理沙はキッチンから声をかける。
「ただいま」
くたびれた様子の静也はため息交じりに応える。
「お風呂、菊湯にしておいたよ」
「そうか、今日は重陽だもんな」
静也の声が少し元気になる。夜は幾分涼しくなったとはいえ、静也の体は汗まみれだ。早くサッパリしたいだろう。
静也がお風呂に入っている間、理沙は晩ご飯の支度をする。
今日の夕食はキャベツたっぷり豚肉の生姜焼きに冷や奴、ワカメと胡瓜の酢の物、黄菊の花びらのおひたしだ。
菊の花のおひたしは――黄菊は苦味が強いので、苦みが出る内側の短い花びらは使わないようにする。
鍋に湯を沸かし、色を良くするために酢を加える。茹で過ぎないよう、しんなりしたらすぐザルに空け、水を切る。
味付けはポン酢で。大根おろしをかけるとおいしい。
夕飯の準備が整い、あとはご飯が炊き上がるのを待つだけとなった時、理沙は太ももの付け根が痒くなってきたことに気づいた。
どうやら、蚊に刺されてしまったようで、その部分がぷっくりと桃色に大きく盛り上がっている。
「んも~いつの間に……」
居間にある小物入れからメンタムを取り、食卓の椅子に腰かけ、ふんわりしたマタニティドレスの裾をめくったまま、刺されたところにメンタムを塗る。お腹が大きいので、そういった動作も一苦労だ。
そこへ入浴を終えた静也が入ってきた!
理沙のあられもない姿に、思わず静也は見入ってしまう。目の前にあるのは、丸出しとなったふっくらした白い太ももと、付け根辺りにできたぷっくりとした桃色の虫刺され跡。
それが何とも色っぽく、まだ22歳の若き男子・静也をエッチな気分に誘う。理沙の妊娠が分かってから、そういったことからはずっとご無沙汰であった。
ふっくら、ぷっくり、そして己の下腹部はもっこり!
……って夕飯前だというのにオレは一体何を考えているんだっ――静也は頭を振りつつもハッとする。
ふっくら・ぷっくり、もっこり……おっ、韻を踏んでいる……。
「ご飯にしよう」
理沙の声で、ハッと理性を取り戻す。
すでに白い太ももはマタニティドレスに隠れていた。
そう『夫婦生活』は、理沙の出産が済み、出産後も最低一か月まではガマンだ。
しかし出産後――育児で理沙は疲れ果て、夜中の授乳、赤ちゃんの夜泣きで、そんなどころではなくなることを静也はまだ知らなかった。ま、これはまた別の話。
「いただきます」
食卓に着いた静也はさっそく発泡酒の缶のプルトックを開ける。プシュッと清涼な音。
9月になってもまだまだ湯上りの発泡酒は最高だ。口の中で泡が躍る。のどごしもスッキリ。
発泡酒をおいしそうに飲む静也を、妊娠中の理沙はうらめしそうに見やる。
出産が済んでも断乳までアルコールは基本的にガマンである。
「何で女だけ……」と心の中でつぶやきつつも、デザートのマロン風味のアイスクリームで機嫌を直す。
お風呂を入った後はモンブランをいただくつもりだ。栗饅頭は明日のおやつにとっておく。
せっかくのおめでたい日なのだから『太る』という嫌な問題は頭の隅に追いやった。今は幸せだけを味わいたい。そのほうが胎教にもいいはずだ。
窓からは夏の終わりを告げるかのように気持ちよい涼風が入ってきている。
二人はささやかながらも重陽を祝し、お互いの長寿を願った。
就寝前、静也は白文鳥たちに「おやすみ」を言いに、暗い廊下に置いてある鳥籠へそっと近づく。
静也にとっても、文鳥は心を和ませてくれるかわいいペット……いや、四条家の新しい家族だ。
相変わらず『ふっくら』と『ぷっくり』は白いお腹をもっこりさせて、紅色のくちばしを背にうずめ、仲良く並んで眠りに就いていた。
ここで静也は再びハッとする。
ふっくら・ぷっくり、もっこり――白文鳥たちも韻を踏んでいたのだ!
そこで何たることか、さっきの、ふっくらとした理沙の白い太ももに、ぷっくりした桃色の虫刺され跡が思い出され、もっこりしそうな自分を諌めなくてはならない羽目になり――ふっくら・ぷっくり、もっこりと、静也も『韻を踏んだ夜』を過ごしたのだった。
※児童福祉法の改正について……児童養護施設に残ることができる年齢を18歳から20歳に引き上げるなど、児童福祉法対象年齢を20歳にする案が提出されることになっている。厚労省は今国会で児福法改正案を提出し、平成29年度の施行を目指す。が、一方で成人年齢を18歳に引き下げる議論もある。
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文鳥が我が家にやってきた! そして今後の生き方に思い悩みつつ、過去を振り返る理沙。
文鳥のこと、重陽の節句=別名、栗の節句・菊の節句関連、雑学満載。
シーチキンと玉ねぎのマヨネーズ和えトースト、美味しいよ、お試しあれ。(9150字)
では、以下本文。
・・・
9月初旬。
昼間は夏が居座っているかのように残暑が厳しくも、朝と夕はいくらかホッとさせられる気候となった。
蝉の声も幾分か弱まり、刺々しかった日差しも和らぎつつあり、秋の足音が微かに感じられる今日この頃。
「じゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
産休をとった理沙は職場へ向かう静也を見送ると、居間に戻り、鳥籠の中の水を取り替え、エサの残量を確認する。
そう先日、白文鳥を手に入れたのだ。
ペットショップでは、文鳥にするかハムスターにするか迷ったけど、静也も文鳥のほうに興味あり気だったし、その時、遊びまわっていたハムスターよりも、お腹をもっこり膨らませて鎮座していた白文鳥の姿があまりにかわいかったので、文鳥を選んだ。
以前に見た白文鳥は売れてしまい、買ったのは別の文鳥だったけど――まだ生後3か月半で、挿し餌をして育てたので人には慣れており、育て方次第で充分懐くとのこと。
2羽が仲良く並んでピッタリくっついているのを見て、引き離すのはかわいそうと思い、ペアで飼うことにした。
1羽で飼うほうが飼い主に早く慣れるが、2羽で飼っても手乗りにすることができるそうだ。
こうして2羽の白文鳥を我が家に持ち帰り、さっそく「名前、どうしようか」という話になり――
「そうだな、『ふっくら』がいいんじゃないか。ふっくらしているから」と静也が提案。
理沙もその名前が気に入り――
「じゃあ、もう一羽は……くちばしが、ぷっくりしているから『ぷっくり』にしよう」となった。
文鳥の場合、オスとメスの見分けが難しい。
オスは生後2~3カ月になると『求愛のためのさえずり』を練習し始める。
一方、メスはそういったさえずりをせず短く鳴くだけなので、これで性別を判断する。
ただオクテのオスもいて、生後半年経たないと確実な判断はできない。
もし2羽ともオスだった場合、成鳥すれば縄張り争いをするため、ひとつの籠に2羽のオスを入れるのは避けなければならない。
けど理沙は「この仲の良さはオス同士ではない」と信じている。
外見での見分け方として、紅色のくちばしがメスより濃く、ぷっくりしているのがオスだというので、『ふっくら』は推定メス、『ぷっくり』は推定オスと見ている。
そんな白文鳥たちは今日も仲良く止まり木に並び、羽づくろいに勤しんでいた。
「かわいい~」
思わず理沙の顔がほころぶ。
静也を見送る度に社会から取り残されたような気分を味わうけど、そんな理沙を『ふっくら』と『ぷっくり』は癒してくれていた。
でも、手に餌を乗せて鳥籠に入れてみるも、文鳥はなかなか寄ってきてくれない。
手乗りへの道は遠そうだ。
「慣れるまで仕方ないかあ」
理沙はソッと手を引っ込める。
「さてと、家のことを片付けちゃいますか」
窓から忍び込む風に白いレースのカーテンが揺れる。
午後は暑くなりそうだ。その前に家事を片付けてしまいたい。
でも、手は動かしつつも理沙の頭の中は考え事でいっぱいだった。
今後の生き方――仕事と育児の両立について、今でも迷いがある。
取り残された気分を味わう一方で、朝食の用意もゆっくりできるし、今朝もバタバタと慌て気味の静也を横目に「専業主婦もいいかも」と思ったりしていた。
ちなみに今日の朝食は――シーチキンと刻んだ玉ねぎをマヨネーズで和え、からしを塗った食パンに乗せて、その上に細切りにしたピーマンを散らし、トーストした。
けっこうボリュームあるので満腹感も得られる。栄養バランスもいい。トマトと一緒に食べると最高だ。オレンジジュースとよく合う。静也も大喜びで食べていった。
けど、そんな生活もそのうち物足りなくなるだろう。
仕事を辞めれば、静也と話題が合わなくなるかもしれない。経済的にも今のような余裕はなくなる。
それにせっかく猛勉強の末、公務員試験に受かって今の職を手にしたのに、それを手放すのも勿体ない。
ただ、仕事をしながらの育児は、保育園の送り迎えなどで時間に追われ、綱渡りのような生活になる可能性が高い。静也にはもちろん分担してもらうけど、それでもそう簡単なことではないだろう。
朝も夜も急き立てられる毎日――そんな暮らしを自分はしたいのか?
「……専業主婦か……」
理沙は亡くなった自分の母のことをふと思う。
母は結婚する前、大学病院に務める看護師をしていた。
父とは――父の母・理沙の祖母が病気で入院していた時に知り合い、その縁でつきあいが始まり、結婚に至ったらしい。
けれど金融機関に勤める父の仕事は転勤も多く、激務だった。
結局、母は仕事を辞め、家族を支える専業主婦になり、育児も母が担った。父はたまの休日に遊んでくれるだけだ。
勉強をさぼる理沙は、母によく叱られていた。
が、ある時、理沙はこんな理屈を並べた。
「日本語が読めて、ちょっと算数ができれば生活できるもん。それ以上の勉強って役に立たないのに何でやらなきゃいけないの?」
母は困った顔をしながらもこう諭した。
「理沙は将来どんなお仕事に就くか、まだ分からないでしょ。今は基礎の知識を学んでいて、そこから自分の得意なことや好きなことを見つけていくの。だから勉強したほうがいいのよ」
「お母さんは? お家の仕事に、学校の勉強、役に立っている?」
この理沙の質問に一瞬、母は寂しそうな顔をし、そのまま思い悩むように黙り込んだ。
いつも朗らかな母がそんな顔をするのが意外で、理沙は今もその時のことを覚えている。
けどその後、母はいきなりニヤ~ッと笑って言った。
「お母さんは一生懸命、勉強をして看護師になったの。病院でお父さんと知り合って、結婚したから理沙が生まれたの。もし、お母さんが看護師になれなかったら、お父さんと知り合えなかった……つまり、お母さんが勉強しなかったら、理沙は生まれてなかったんだよ」
「え……」
「将来の道を切り開くために勉強するの。さあ、宿題やっちゃいましょう」
ポンと手を叩くと、母は有無を言わさず理沙を机に向かわせた。
上手くごまかされた感じもしないではないけれど、理沙は二度と「お母さんの家の仕事に、学校の勉強が役に立っているのか?」という質問はしなかった。母の寂しそうな顔は見たくなかった。
――ひょっとして、母は看護師を辞めたことを後悔していたのでは?
高度な医療を施す大学病院での勤務は大変だっただろうけど、その分、やりがいもあったはずだ。
けれど、もう母の思いを知る由はない……。
何で女ばかり、こんなに悩まないといけないのよ……とは思うものの、では静也に仕事を辞めてもらい、専業主夫になってもらえばいいのかというと、それも違う。
そんなことを思い悩みながらも、掃除、洗濯とやっていくうち、あっという間に午後になっていた。
体が重いので、家事がはかどらない。
そろそろランチにしようと、朝に作っておいた水出し麦茶を冷蔵庫から出す。この時季はまだまだ冷えた麦茶が大活躍。
ちなみに麦茶のパックを水につける時、インスタントコーヒーの粉を一匙入れると香ばしく出来上がる。
昼食には、ゆで卵に鶏のささみ、胡瓜、トマトを乗せた冷麺を作った。
それを食べながらDVD録画しておいたドラマを観る。お盆の時から見ている例のあのドラマだ。
『ついに夫に切れた主人公ママ、子どもを連れて実家に帰り、離婚の危機』というところまで物語が進んでいたが、今回は主人公ママの過去の話だった。
恋愛のいざこざを乗り越え、結婚、新婚生活と、夫と過ごした幸福な日々が蘇る――それまで険悪な場面が続いていただけに、心温まる展開だった。
理沙は冷麺をすすりながら、ドラマに重ね合わせるように過去を振り返る。
・・・
――静也と猛勉強の末に公務員試験に受かって市役所への就職も決まり、高校卒業を控え、新しく住む部屋を探すことになった。
部屋を借りる時、児童養護施設の施設長に相談に乗ってもらった。
公務員という地位を手に入れた理沙と静也に、施設長は保証人になることを快く応じ、その他、携帯電話など未成年であるがため保護者の同意が必要な契約にも法定代理人となってくれた。
が、施設長といえど施設を巣立っていく子どもたち全員の保証人にはなれない。
何かあった場合、施設長個人が責任を負うことになってしまうからだ。
家賃に限っては、子どもたちの施設退所後2年間までは保証する制度が公的に整えられたものの、その後の契約更新は保証対象外となる。
連帯保証代行会社を利用することもできるが、中学の時から『親という保証人がいない不利』を感じていた静也は、目標を『絶対的安定を得ること』とし、公務員試験に合格するべく勉学に励み、理沙もそんな静也に引っ張られるようにして頑張った。
理沙を勉強させることに手を焼いていた母がこれを知ったら、びっくりしたことだろう。
この頃から理沙は、静也と一緒に人生を歩むことを意識していた。
・・・
と、ここで理沙の冷麺をつかんだ箸が止まる。
――そういえば静也から、ちゃんとしたプロポーズはなかった気がする……。
「文鳥だって、オスが求愛のさえずりをするのにね」
箸を止めた理沙は冷麺をくわえたまま、鳥籠の文鳥にそろりと目をやる。
それでも……新しく住む部屋を探す時に、静也が遠慮気に言ってきたこと……あれがプロポーズになるのかしら――
とりあえず冷麺をすすり、頭の中から過去を引っ張り出す。
・・・
「あのさ……この際、一緒に住んだほうが安上がり……かな」
静也は理沙から微妙に視線をずらし、口を開いた。
これが初めて聞いた「一緒になりたい」という静也の『求愛のさえずり』だったかもしれない。
「え……」
「まだ、早いかな?」
「そうだね……」
「やっぱ成人になってからか?」
「そのほうがいいかもしれないね」
「じゃ、それでいこう」
・・・
確か、こんな淡々とした会話だった。
静也に熱烈を期待するのは無理な注文だが、正直、静也の『求愛のさえずり』はしょぼかった。
まさに今の『ぷっくり』の拙いさえずりと同レベル。
理沙もいずれは一緒になりたいと考えていたけど、もうちょっと熱く言ってほしかった。
でも、それからの静也は心置きなく、将来について話を振ってくるようになり――
誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントもバレンタインデーのチョコもいらないと言い、そういったことにお金を遣わず、結婚資金にまわしてほしいと提案をしてきた。
それぞれの親の遺産は手を付けず、何かあった時のためにとっておくことにしている。
ただよくよく考えてみれば、最初から一緒に住んだほうが無駄が省けたはずなのだけど――
「未成年が結婚する場合、保護者の同意が必要でしょ? 私たちみたいな孤児の場合は、遺産を管理してくれている後見人の司法書士が、その代わりをしてくれるのかしら?」
理沙はそんな質問を静也にしたことがあったが、静也もその辺の法律は知らなかったようだ。
自分たちは勤労、納税という義務を果たしているのに権利が制限されているのだ。
「何で成人は20歳なんだろうな……施設だって基本18歳で出ないといけない。要するに18歳で自立しろってことだろ。なのに矛盾しているよな。権利を制限するなら、親を頼れない施設の子どもは、18歳ではなく20歳まで保護するべきだよな」
と静也もぼやいていた。
一緒に住むなら、やはり結婚だ。二人の住所が職場に知られるわけだから、同棲はまずい。
とはいえ二人はお互いの部屋をよく行き来し、半分同棲していたようなものだったが。
そして理沙が20歳になった時、先に20歳になっていた静也は「じゃあ、これ」と言って婚姻届をしずしずと差し出してきた。
理沙は喜んでサインしたものの、静也からのホンチャンの『求愛のさえずり』は「じゃあ、これ」というそっけないものだった。
結婚式もなしにし、ウエディングドレスを借りて記念写真だけ撮ることにした。理沙は花嫁姿を静也に見てもらうだけで充分だった。
人に対し壁を作り、距離を置く生き方をしていた二人は他人の注目を浴びるのが苦手だったし、苦痛ですらあった。
経済的理由から新婚旅行もやめた。結婚指輪もなしだ。
そんなことにお金をかけるなら、その分日常生活を豊かに暮らしたかった。
こうして一緒になった初めの頃は特別なことは何もできなかったけど、静也との縁を守りながら地道に今日まで歩んできたのだ。
平凡ながらに概ね幸せな毎日だ。
「何だか、昔のことをいろいろ思い出しちゃったなあ」
理沙はほっこりした気分になっていた。
静也は「好きだ」という言葉はほとんど口にしなかったが、いつも理沙のために具体的に動いてくれた。
これが静也なりの『求愛のさえずり』だったのだろう。
その時、また母の言葉が甦った――『将来の道を切り開くために勉強するの』
そう、静也と一緒に勉強したからこそ、今のこの生活があるのだ。
そして、母はこうも言っていた――『選択肢がたくさんあるって幸せなことなんだよ』
きっと母だって迷ったはず。でも母は母なりの道を選んだ。
仕事を辞めたことを残念に思ったこともあっただろう。家の仕事が物足りなくなったり、不満を抱えたこともあっただろう。それでも母は幸せだったと信じたい。
選択するって迷うけど……それが生きるってことなのかもしれない。
ドラマでは、主人公夫婦が離婚の危機を乗り越え、切れかかったこの縁をもう一度修復し、結び直そうという話に落ち着き、ハッピーエンドを迎えていた。
「子どものことも……生まれてもいないうちから、あれこれ思い悩むのも良くないよね」
自分は何を一番求めていて、何をあきらめることができるのか、それが分かっていれば悔いのない生き方ができるはずだ。
理沙は冷麺を食べ終え、テレビとDVDを消した。
・・・
日がだいぶ傾いてきた。
涼風が時折吹き、夏の暑さに疲れたかのように木の葉がカサカサと乾いた音を鳴らす。
理沙は近所の商店街へ買い物に出た。大きなお腹を抱え、ゆっくり歩く。花屋の前で菊を見かけ、昨夜、静也から教えてもらったことを思い出した。
「そういえば……今日は重陽(ちょうよう)だっけ」
9月9日は重陽の節句。別名『菊の節句』または『栗の節句』だ。
昔から、中国では『奇数』は縁起が良い『陽数』といわれている。
9は陽数の中でも一番大きな数字であり、その9が重なる日ということで、9月9日は『重陽』と呼ばれ、特別な日とされた。
古代中国では、菊は邪気を払い長生きする効能がある薬だと考えられていたので、おめでたい重陽の日に菊を使って長寿を祈るようになった。
その重陽の風習と菊の効能が日本に伝わった平安時代、宮中では菊の花を浮かべた『菊酒』を飲み交わすようになり、奈良時代では菊を観賞する宴が催されたという。
さらに江戸時代に入ると『桃の節句』と同じく、雛人形が飾られるようになり、菊に長寿を願う『菊の節句』となった。
またこの時期、秋の収穫祭が行われ、栗ご飯などでお祝いしていたため『栗の節句』とも呼ばれていた。
「よし、『菊の節句』ということで、菊のおひたしでも作るか」
理沙はスーパーマーケットで今日の晩ご飯の食材と『食用の菊の花びら』を買った。
「あ、そうそう『栗の節句』でもあったのよね」
栗といえば、理沙の頭に思い浮かぶのは栗羊羹に栗饅頭、マロングラッセ、モンブラン、マロン風味のアイスクリーム――お菓子のオンパレード。
さっそく和菓子店と洋菓子店に立ち寄り、栗のお菓子をあれこれ品定め。
「迷うけど、選ぶって楽しい」
そう、自由に選べるってことは幸せなことなのだ。
ここはちょっと奮発して、栗饅頭とモンブランとアイスクリームを買った。
ドラッグストアでは、菊湯の入浴剤を手に入れた。菊には精油成分があり、血行を促進し、保温効果も高く、夏の疲れをほぐす薬湯とされている。
いまひとつ地味であまり知られていない『重陽の節句』だけど、理沙の頭には『おいしい栗菓子の日』としてしっかりインプットしてある。
そう、3月3日の『桃の節句』は女の子のための、5月5日の『端午の節句』は男の子のための、そしてこの9月9日の『重陽の節句』は大人のための行事と言っていいだろう。
静也と共に健康長寿を目指す――これは理沙にとっての人生の最優先目標でもある。
日が落ち、空がすっかり暗くなった頃、静也が帰ってきた。
「おかえりなさい」
理沙はキッチンから声をかける。
「ただいま」
くたびれた様子の静也はため息交じりに応える。
「お風呂、菊湯にしておいたよ」
「そうか、今日は重陽だもんな」
静也の声が少し元気になる。夜は幾分涼しくなったとはいえ、静也の体は汗まみれだ。早くサッパリしたいだろう。
静也がお風呂に入っている間、理沙は晩ご飯の支度をする。
今日の夕食はキャベツたっぷり豚肉の生姜焼きに冷や奴、ワカメと胡瓜の酢の物、黄菊の花びらのおひたしだ。
菊の花のおひたしは――黄菊は苦味が強いので、苦みが出る内側の短い花びらは使わないようにする。
鍋に湯を沸かし、色を良くするために酢を加える。茹で過ぎないよう、しんなりしたらすぐザルに空け、水を切る。
味付けはポン酢で。大根おろしをかけるとおいしい。
夕飯の準備が整い、あとはご飯が炊き上がるのを待つだけとなった時、理沙は太ももの付け根が痒くなってきたことに気づいた。
どうやら、蚊に刺されてしまったようで、その部分がぷっくりと桃色に大きく盛り上がっている。
「んも~いつの間に……」
居間にある小物入れからメンタムを取り、食卓の椅子に腰かけ、ふんわりしたマタニティドレスの裾をめくったまま、刺されたところにメンタムを塗る。お腹が大きいので、そういった動作も一苦労だ。
そこへ入浴を終えた静也が入ってきた!
理沙のあられもない姿に、思わず静也は見入ってしまう。目の前にあるのは、丸出しとなったふっくらした白い太ももと、付け根辺りにできたぷっくりとした桃色の虫刺され跡。
それが何とも色っぽく、まだ22歳の若き男子・静也をエッチな気分に誘う。理沙の妊娠が分かってから、そういったことからはずっとご無沙汰であった。
ふっくら、ぷっくり、そして己の下腹部はもっこり!
……って夕飯前だというのにオレは一体何を考えているんだっ――静也は頭を振りつつもハッとする。
ふっくら・ぷっくり、もっこり……おっ、韻を踏んでいる……。
「ご飯にしよう」
理沙の声で、ハッと理性を取り戻す。
すでに白い太ももはマタニティドレスに隠れていた。
そう『夫婦生活』は、理沙の出産が済み、出産後も最低一か月まではガマンだ。
しかし出産後――育児で理沙は疲れ果て、夜中の授乳、赤ちゃんの夜泣きで、そんなどころではなくなることを静也はまだ知らなかった。ま、これはまた別の話。
「いただきます」
食卓に着いた静也はさっそく発泡酒の缶のプルトックを開ける。プシュッと清涼な音。
9月になってもまだまだ湯上りの発泡酒は最高だ。口の中で泡が躍る。のどごしもスッキリ。
発泡酒をおいしそうに飲む静也を、妊娠中の理沙はうらめしそうに見やる。
出産が済んでも断乳までアルコールは基本的にガマンである。
「何で女だけ……」と心の中でつぶやきつつも、デザートのマロン風味のアイスクリームで機嫌を直す。
お風呂を入った後はモンブランをいただくつもりだ。栗饅頭は明日のおやつにとっておく。
せっかくのおめでたい日なのだから『太る』という嫌な問題は頭の隅に追いやった。今は幸せだけを味わいたい。そのほうが胎教にもいいはずだ。
窓からは夏の終わりを告げるかのように気持ちよい涼風が入ってきている。
二人はささやかながらも重陽を祝し、お互いの長寿を願った。
就寝前、静也は白文鳥たちに「おやすみ」を言いに、暗い廊下に置いてある鳥籠へそっと近づく。
静也にとっても、文鳥は心を和ませてくれるかわいいペット……いや、四条家の新しい家族だ。
相変わらず『ふっくら』と『ぷっくり』は白いお腹をもっこりさせて、紅色のくちばしを背にうずめ、仲良く並んで眠りに就いていた。
ここで静也は再びハッとする。
ふっくら・ぷっくり、もっこり――白文鳥たちも韻を踏んでいたのだ!
そこで何たることか、さっきの、ふっくらとした理沙の白い太ももに、ぷっくりした桃色の虫刺され跡が思い出され、もっこりしそうな自分を諌めなくてはならない羽目になり――ふっくら・ぷっくり、もっこりと、静也も『韻を踏んだ夜』を過ごしたのだった。
※児童福祉法の改正について……児童養護施設に残ることができる年齢を18歳から20歳に引き上げるなど、児童福祉法対象年齢を20歳にする案が提出されることになっている。厚労省は今国会で児福法改正案を提出し、平成29年度の施行を目指す。が、一方で成人年齢を18歳に引き下げる議論もある。
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2016-12-10 11:19
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面白いです。
面白いといえば、黒野先輩の鏡餅、笑いました。
笑いの取り方がちょっと男性の作家さんの様でもありますね。
一人一人のキャラクターを大切にされていらっしゃいますね。
自分にとってどうでもいいキャラクターをいじめ抜く作家さんとは大違いですね。
その記事も深く頷きながら読ませて頂きました。
私も漫画描いたりする側の人間なので、オタクを悪し様に扱うのは気分悪いとても思いました。
ハヤシさんの書かれていることに、とても共感しました。
自分のキャラクターへの愛は創造主(作家さんはキャラクター達にとって神の様な存在なので)として大事なことと改めて思わせてもらえました。
by 瑠璃色 (2016-12-10 17:08)
ありがとうございます^^
黒野は漫画的なキャラですよね^^;
自分の物語創作の原点が少年漫画・青年漫画なので、男性に近い感覚を持っているかもしれません。
物語創作って、キャラクターを愛することから始まるのかもしれませんね。
私も以前、ギャグ漫画を描いていた時、編集から「キャラを哂い者にするなんて、かわいそうだ」と注意されたことがあります。
もしかしたらキャラを愛することができなくなったとき、その物語は終わる・・・のかもしれません。
by ハヤシ (2016-12-10 22:47)
プロとして活動なさっていたんですよね。
ああ成る程、それでなのか、やっぱり違うな、そうだよなと思いました。
私も少年漫画や青年漫画好きです。
世代的にももしかしたら近いのかなーと
(全然違っていたらすみません)
キャラクターを愛することが出来なくなったら…
この言葉が響きます。
これは何事にも通じる考え方ですね。
自分の都合だけでキャラクターを生み出し、貶めるような人が伝えるものに、響ける筈がないですね。
人への愛が無いから。
例え、世間の評価がたまたま高くて、もてはやされているとしても。
これで良かったんだと納得出来ました。
洞察の深い記事に感謝します。
by 瑠璃色 (2016-12-11 11:26)
おそらく、「自分が嫌いな人」をキャラに投影させ、性格づけしまうと、「いいところ」は一つもなく、見下すような表現になってしまうかもしれません。
私もそうしてしまうかも・・・^^;
いや、いいところが一つもなくても、悪役は悪役ならではの魅力ってありますが、割とどうでもいい扱いをされる全く魅力のない【メインキャラ】というのも存在するようです^^;(普通、そういうキャラって、わき役、チョイ役ですが)
ただ、私もエラそうなことを言いながら、悪を背負ってくれるキャラを救いなく酷い目に合せることもあります^^;
「これも何かの縁」でも、いずれ一人だけ、そういったキャラが登場します^^;
けど「いじめ」を誘発するようなものはNGですよね。
ただ、例の小説の、他の人のレビューや感想を見ると、そんなことを気にしている人はいなかったので、私の独りよがりかもしれません。
あと、もう物語を作ることに疲れてしまって、キャラを愛せなくなることもあります^^;
ちなみに私は・・・いわゆるバブル世代と言われた世代です^^;
by ハヤシ (2016-12-11 20:55)
ここで会話してしまってすみません。
お返事したい内容が沢山出て来てしまったので今回はお許しください。
>「自分が嫌いな人」をキャラに投影させ、性格づけしまうと、
★そうですね。
イメージだけで人を嫌ってしまう人だとそれが多くなりますよね。
>私もそうしてしまうかも・・・^^;
★この様にご自分を顧みられる方かどうかが分かれ道なんでしょうね。
そういう事を考えもしない人っていそうです。
>いいところが一つもなくても、悪役は悪役ならではの魅力ってありますが、割とどうでもいい扱いをされる全く魅力のない【メインキャラ】というのも存在するようです^^;(普通、そういうキャラって、わき役、チョイ役ですが)
★私もよくこれ思っていました。
テレビドラマに出てくる友人役です。
友人は主人公の気持ちを代弁したり説明するためだけに存在したりすることがありますよね。
>ただ、私もエラそうなことを言いながら、悪を背負ってくれるキャラを救いなく酷い目に合せることもあります^^;
★物語りというものにはそれが必要なことがありますよね。
でも、それを痛みを理解した上でやっているかどうかって大きいんだと思います。
あと、どういう人にその役目を負わせるかということも。
>「これも何かの縁」でも、いずれ一人だけ、そういったキャラが登場します^^;
★そうなんですね。
そこがこの物語の重要な鍵になるんですね。
>けど「いじめ」を誘発するようなものはNGですよね。
★そうですよね。
弱者をいたぶるのは気分悪いですよね。
特に見た目とか趣味とかでなんて、その人が悪い事をしていないのにいじめの対象にされるのは絶対嫌です。
>ただ、例の小説の、他の人のレビューや感想を見ると、そんなことを気にしている人はいなかったので、私の独りよがりかもしれません。
★私は気になりますよ!
ハヤシさんが書いてくださったものを読んで気持ちがスッとしました。
そう感じる人は他にも絶対いると思います。
>あと、もう物語を作ることに疲れてしまって、キャラを愛せなくなることもあります^^;
★量産するとそうなのかもしれませんね。
私もお話作りに挑戦したことが何度かありますが、終わりまで到達出来ないことばかりでした。
あんなに次々書けないです。
やはりプロの方は凄いなと思います。
越えられない壁を感じました。
>ちなみに私は・・・いわゆるバブル世代と言われた世代です^^;
★あ、やっぱり同じです。
by 瑠璃色 (2016-12-12 07:57)
おお、同じ世代でしたか^^
お返事ありがとうございます。
物語を長く続けて疲れてくると、漫画家の場合、キャラを愛せなくなるというより絵が雑になったり、線が荒れたりする場合もあったりします^^;
>イジメ誘発
お笑いでよく感じることですが、後輩(立場の弱い人間)を弄って、哂いを取るやり方には、いつも違和感を覚えてます。
彼らは仕事でプロの芸人としてお金をもらってやっているのだから、後輩は弄ってくれた方がおいしいわけですが・・・
あれに影響を受ける子どもは、単に弄りやすい子を楽しく弄って、弄られる子は楽しくはなく、嫌な思いをしているだろうなと。
けど表面上は「楽しく」振る舞っているから、弄っているほうは、虐めている自覚もなく・・・けれど、必ずそこに「見下し」があるわけで、見下されている方はそれを敏感に感じていると思います。
世間の価値観でもってすでに「見下されているカテゴリーに属する人間」を物語の中でも見下して哂いものにし、その見下し行為を罪悪感なし(=見下されている方が傷つくシーンが一切描かれず、調子に乗ったままなので、読者もそのキャラをウザく感じ、嫌う)に描くことは避けたいです。
by ハヤシ (2016-12-12 13:46)
また続けてしまってすみません。
>お笑いでよく感じることですが、後輩(立場の弱い人間)を弄って、哂いを取るやり方には、いつも違和感を覚えてます。
★そうですね!私も思っていました。
>彼らは仕事でプロの芸人としてお金をもらってやっているのだから、後輩は弄ってくれた方がおいしいわけですが・・・
★よく耐えられるなあと
特に女芸人の方々
あのメンタリティを学びたいと、日頃から興味を持っていました。
きっと物凄くクレバーな方達なのでしょうね。
笑っている者達のはるか上を行っているのだろうなと。
それでも凡人の私には難しいです。
>あれに影響を受ける子どもは、単に弄りやすい子を楽しく弄って、弄られる子は楽しくはなく、嫌な思いをしているだろうなと。
★そうですよね。
胸が痛くなります。
>けど表面上は「楽しく」振る舞っているから、弄っているほうは、虐めている自覚もなく・・・けれど、必ずそこに「見下し」があるわけで、見下されている方はそれを敏感に感じていると思います。
★そうだろうと思います。
>世間の価値観でもってすでに「見下されているカテゴリーに属する人間」を物語の中でも見下して哂いものにし、その見下し行為を罪悪感なし(=見下されている方が傷つくシーンが一切描かれず、調子に乗ったままなので、読者もそのキャラをウザく感じ、嫌う)に描くことは避けたいです。
★今回読ませて頂いた「封印された過去」も
最後は静也が虐めた子達を思い出していますよね。
虐めた側にまで丁寧に思いやり、きめ細かいです。
見下されている側が傷付かない筈はないのに、それを無視して自分の都合だけで話を進めてしまう作品には心を揺さぶられませんよね。
有名な作家さんで売れまくりなのに、どうしてもいいと思えなかった人達を思い出します。
なんでそんなに流行っているのだろう?
理解できませんでした。
自分が変わり者だからなのかも…と結論付けていました。
でも、ハヤシさんの記事のお陰で、人への思いやりの深みが欠けていたからだと思うことが出来ました。
by 瑠璃色 (2016-12-15 10:54)
お笑いの女性芸人はすごいですよね。
けど中には「私はブスではない」と言って、容姿の事で弄られるのが辛かったのだろう、引退された女性芸人の話を聞き、お笑いの世界に違和感持ってます。
容姿を弄られることを嫌がるなんてプロとして失格、という厳しいことを言う男性芸人もいましたが、そもそも容姿を哂いものにすることでしか、笑いをとれないことこそ、プロとしていかがなものか、と思ってしまいます。
もちろん、根本に、女性の容姿に価値が置かれている社会があるからこそ、容姿を哂いものにする、ということが起きるのかもしれませんが。
by ハヤシ (2016-12-15 14:37)