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お盆―家族と共に [本編「~縁」(短編連作小説集)]

短編小説「縁」本編・16編目
※目次ページはこちらhttp://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28

理沙と静也のぐうたらなお盆休み。それでも亡くなった家族への思いを抱え、その縁を思う。
少しずつ彼らの過去が垣間見えてきます。
盆棚、ホオズキのうんちくあり。10600字ありますが、ササ~っと読めます^^

では、以下本文。

   ・・・

 13日盆入り。

 蒸し暑さは相変わらず。
 密度の濃い熱気に閉口しつつも、梅雨明けの焼けつくような猛暑から較べたら、幾分やわらいでいた。

 仕事から帰ってきた静也と理沙はまずエアコンを入れ、順番に手早くシャワーを浴びた後、買っておいた電池式の提灯を玄関の靴箱の上に置き、灯りを点けた。
 やわらかい光が語りかけるようにふんわりと広がり、何かとつながったような不思議なものを感じる。

 和室では、敷物を敷いた座卓に、楊枝や割りばしで作った茄子の牛、胡瓜の馬、もう一つ買っておいた提灯と、和菓子のお供え物を置き、盆棚を作る。
 茄子の牛、胡瓜の馬は、精霊があの世から来る時、この世から帰る時の乗り物を表しているのだ。

 これで霊を迎え入れる準備が整った。
「来てくれるのかな」
 理沙は燈った提灯を見つめる。

 この灯りを頼りに霊がこの世に帰ってくるらしい。
 そんな話を聞いたせいか、失くした家族のこと、そして養護施設時代のことが思い出される。

 ――提灯のやわらかく広がる光りが過去を引き寄せる。

   ・・・

 二人が入所していた施設は、親からの虐待や育児放棄で保護された子や、親が病気などで養育できず一時的に預かってもらう形で来ている子が多かった。

 施設の子どもたちは皆、さまざまに違う傷を心に抱えていたに違いない。家族への思いもそれぞれだっただろう。

 静也と理沙は家族を失ったものの、それまでは愛されて育った。親が子どもを虐待するなんて想像すらできない。
 だから施設に入所した最初の頃、泣き疲れた理沙はこんな言葉を口にしてしまった。親がいるという子に「家族が生きているっていいよね」「うらやましい」「私よりはずっとマシだよ」「帰るところ、あるんでしょ」と。

 今、考えれば無神経な言葉だったかもしれない。
 案の定「悲劇のヒロインぶるな」と反感持たれてしまった。その子は親からの虐待で施設に保護された子だったようだ。

 けれど、理沙から見れば「親が生きているだけで幸せだ」と思ってしまう。
 自分のほうがずっと不幸……。
 哀しみはなかなか癒えず、食事も喉を通らず、食べてもよく吐いていた。

 そんな理沙を、施設の子たちは冷ややかな目で見るだけだった。職員の気を引こうとしていると思われ、陰で「悲劇のぶりっ子」と揶揄する子もいた。
 静也だけが心配してくれた。

 施設でも静也と理沙の二人は浮いていた。

 施設の中で、孤児は静也と理沙だけで、ほかの子は皆、両親もしくは片親が存命していた。
 いつか親が迎えに来てくれるかもしれない、自分を受け入れてくれるかもしれないと希望を持っていた子も多かっただろう。

 けれど、その希望がかなえられず、何年も見捨てられたままになる子、一度も親が面会に来ない子、あるいは一度は親元に帰されるも、再びの虐待で施設に戻ってくる子がかなりいたようだ。

 そんな子たちの心の飢え、親に裏切られることの孤独と寂しさと怒りは、当時の理沙には分からなかった。
 むしろ、そんな酷い親であれば、いなくなってもこれほど悲しまなくて済んだのにとさえ思っていた。

 ほかの子とは通じ合えない――理沙は、静也以外の子たちと距離を置き、バリアを張った。

 でも、今思えば……
 家族の霊が見守ってくれていると信じていれば、もう少し寂しさを癒せたかもしれない。

 家族がいる子に嫉妬したり、うらやましがったりせず、親から捨てられたり虐待を受けてきた子に「私よりはマシ」などと無神経な思いを抱かず、壁を作らないで済んだかもしれない。

   ・・・

 いつの間にか理沙は深いため息をついていた。

「ん? 何?」
 静也が怪訝な顔をする。

「ううん、何でもない。それよりご飯にしようか」
 理沙はデパ地下で買ってきたちらし寿司弁当と豆大福を取り出し、盆棚にお供えした。

 そう、今日の夕飯はこの寿司弁当だ。お値段だけのことはあって美味しい。

 ちょっと贅沢だけど、肉魚が入っていない精進料理としてこれを選んだ。そもそも不味いものを供えたくはないし、このお供えものも自分たちが後でいただくのだ。

 こうして寿司弁当と堪能し、豆大福で締める。
 けっこうな満腹感が得られ、お口もお腹も大満足。

 明日も仕事だから早く寝なければならない。後片付けをし、盆棚のある和室に布団を敷く。

 ――霊は、迷わずに来てくれたかしら。

 玄関と和室にある盆棚の提灯を消し、理沙は心の中で語りかける。
 もし亡くなった家族の霊がいるなら、今のこの自分たちの幸せを見守ってほしい。

   ・・・

 14日も仕事をしていつも通りに過ごし、帰宅途中、静也と理沙は花屋さんに寄り、盆花としてホオズキを買った。

 霊は迎え火や提灯の灯りを頼りに帰ってくるので、ホオズキを提灯に見立てて盆棚に飾る習慣がある。
 ホオズキには霊が宿るとも言われており、そのことも関係しているのだろうか。

 ちなみに漢字で『鬼灯』と書くのは、草原に生える赤い実が鬼火(=人間の霊が火となって現れたもの)のように見えるからだという。

「昔、皮を口で膨らませて音を出す遊び、やったことあるよ」
 ホオズキを手にした理沙は懐かしさでいっぱいになる。

 子どもの頃、このオモチャみたいな植物が大好きだった。
 このホオズキを手にするお盆は夏休みも後半に入ったことを意識させられ、ちょっと切ない気分にもなったものだ。たまった宿題の心配し始める時期でもあった。

 家に帰ると、さっそく盆棚にホオズキを供えた。
 本来は吊るすそうだが、花瓶に挿して飾ることにした。それだけでも充分、趣を味わえる。

 今日も風呂は沸かさずシャワーのみ。

 この季節、仕事のある日は二人とも汗だくになって帰ってくる。
 早くシャワーを浴びてサッパリしたいのはお互い様。わざわざ風呂を沸かし、湯船にゆっくり浸かることはできない。待っている相手のためにさっさと体と頭を洗う。
 これが二人の真夏のルールだ。

 今晩の夕飯は理沙が作ることにした。
 まずは炊き込みご飯。
 キッチン鋏で細切りにした干し椎茸と干し昆布を入れればいいダシになる。醤油で味つけして早炊きで30分。

 その間に油揚、スライス切りした茄子と人参と蒟蒻をフライパンで焦げ目がつくまで両面を焼き、うどん・そば用のツユで味をつける。
 ほかに生ワカメのポン酢のおひたしに、添加物不使用・レトルトの北海道産煮豆、冷や奴も用意する。

「いただきます」
 静也と理沙は食事を始めた。
 炊き込みご飯には胡麻を散らしていただく。
「うん、たまには精進料理もどきの食事もいいよな」

 デザートは乳脂肪率が高いコッテリした高級小豆アイスクリーム。
 夕飯があっさり系なので、ここでバランスをとり、濃厚でリッチな味わいを楽しむ。

 そんな夕食を終え、理沙は和室の盆棚で炊き込みご飯を供えつつ、お線香を焚いてみた。
 お線香の煙と香りは空間を浄化し、あの世とこの世をつなぎ、霊を導いてくれるという。
 理沙の目の前を煙と香りが立ち上り、どこへともなくたゆたっていく。

 その時、何か温かいものに包まれた気がした。

 理沙はふと辺りを見まわすも、 いつもと変わらない部屋の様子にホッとため息を漏らす。
「……気のせいか……」
 キッチンで静也がお皿洗いをしている水の音が微かに聞こえてくる。

 穏やかなお盆2日目が終わろうとしていた。

   ・・・
『夢』

 そこは露店が立ち並び、道沿いには色とりどりの提灯が燈っていた。
 理沙の両隣には父と母がいた。

 ――そうだ、家族で夏祭りに来ていたんだっけ。

 理沙は金魚すくいをしたり、たこ焼き食べたり、そして盆踊りを踊る。

 時たま、不安にかられて両親のいるほうを見る。
 父と母はニコニコしながら手を振っていた。理沙は安心して踊りを続けた。

 踊りが終わると、両親が手招きしたので、理沙は両親のもとに駆け寄った。
 父と母が天空を指差す。

 理沙が見上げると夜空に光が注がれ、花火が次々に打ち上がっていった。
 それは空いっぱいに広がり、小さな輝きとなって星となった。

「きれいだねえ」
 理沙は呆けたように、その幻想的な夜空を見上げ続けた。

 だが、ふと顔を戻すと、そこにいたはずの父と母がいない。

 ――私を置いて、先に行っちゃった?

 理沙はびっくりして、必死で探し回った。
 でも、どこにも家族の姿が見当たらない。

 たくさんの人たちで賑わう中、だんだん心細くなる。
 理沙は泣きながら、建ち並ぶ露店の中を彷徨った。

 ――お家に帰りたい。

 その時、理沙の肩に誰かの手が置かれた。
 振り返ると、すぐ傍に静也と静也に肩車された子どもがいた。

 帰ろう。
 そう言われた気がして、理沙は頷く。

 賑わいを背に、静也と子どもと一緒に夏祭りの会場を後にする。
 空を見上げると、大人の姿になった理沙を見守るように星々が煌めいていた。

   ・・・

 そこで目が覚めた。
 なぜか理沙は泣いていた。

 でも、なぜ泣いているのか分からなかった。
 懐かしい夢を見たような気がしたけど、夢の内容を思い出せない。けれど温かいものに包まれている気がした。

 隣では静也がスヤスヤ眠っている。
 夜明けまで、まだ間があった。

 もうひと寝入りしておこう――静也の寝息を子守歌に、理沙はまた眠りに就く。

   ・・・

 15日。仕事は休み。
 エアコン入れっぱなしのため窓は閉め切っているけど、蝉の声がオブラートに包まれたように聞こえてくる。

 すっかり寝坊をした二人は朝食兼昼食として、そうめんを食べることにした。
 薬味にネギ、シソ、茗荷、生姜、わさびと数種類用意する。
 そうめんだけじゃ物足りないので、デパ地下で買っておいたちょっと高級な栗饅頭と落雁をいただいた。
 もちろん盆棚にも供える。

「はあ~、やっぱり栗饅はサイコ―だよね」
 理沙は満足げに茶をすすり、静也もそれに倣った。
 高級な和菓子にはやはり日本茶だ。
 いつもは冷えた麦茶を飲んでいるが、ここはひとつ温かい煎茶を栗饅頭と落雁のお供とする。
 エアコンが効いているので、温かい日本茶もおいしい。
 ようやくお腹が満足した。

 食休みしてから、分担して家事をやり、その後、静也のほうは昼風呂を楽しむことにする。
 いつもはシャワーで慌ただしく体と頭を洗うだけなので、休みの日はゆっくりと湯に浸かり、日頃の疲れをとりたい。

 というわけで8月は薄荷湯が良いと聞き、ドラッグストアで薄荷の入浴剤を手に入れておいた。
 薄荷のメントール成分でスーッとする感覚が味わえる、清涼感・爽快感のあるサッパリとした薬湯だ。
 その上、薄荷には血行促進や保温効果があるので、冷房による冷え性、疲労回復にも効く。
 体を温める一方で入浴後の発汗が少なく、汗がさっと引いてくれるという。まさに真夏のお風呂にピッタリ。

 そんな薄荷湯でくつろいでいると、さっきまで耳に届いていた蝉の声がいつの間にか消え、急に降り出した雨が浴室の窓を叩き始めた。
 スコールのような激しさだったが、徐々にやわらぎ、やがて静かになっていった。

「すごい夕立だったな」
 風呂から上がった静也は頭をタオルで拭きながら、居間でDVD録画を見ていた理沙に声をかけ、食卓の椅子に腰かけた。

「これで、いくらか涼しくなっているといいよね」
 理沙はDVDを消し、立ち上がると、冷蔵庫から小玉スイカを取り出し、涼しげなガラスのお皿に切り分け、静也の目の前に置いた。

「サンキュ」
 風呂上がりに食べる冷えたスイカはサイコ―だ。
 まさに夏の風物詩の代表。
 スプーンを渡されたけど、静也はそのまま直にかぶりつく。これぞスイカの正しい食べ方。瑞々しいほんのり甘い汁が喉を潤す。

「それ食べたら、買い物に行こうよ。今晩は『ご馳走』だからね」
 理沙はまたDVDを再開し、スプーンでスイカをすくいながら、テレビドラマに見入る。

 ちなみにその内容は――
 育児に疲労困憊している主人公ママ。夫はあまり協力的ではない。
 主人公ママは家事を手伝うように言うも、スマフォいじりの夫の方は舌打ちしながら「こっちだって仕事で疲れているんだ。家事と育児はそっちの仕事だろ」とのたまう。
 そこで壮絶な夫婦喧嘩。離婚という言葉が飛び交う
 ――といったものだった。

 うわっ、こんなの観ているのか……静也は心持ちテレビに背を向け、スイカをかじる。
 汁がポタポタと皿の上からはみだし、テーブルに落ちたので、布巾で手早く拭く。

 ドラマの話が切りのいいところになったのか、理沙は再生を止め、テレビを消した。
「さて……そろそろ行きますか」
「ああ」
 静也は、赤い部分がすっかりなくなったスイカの皮を、理沙の分と一緒にさっさと片付ける。家事はがんばっている方だと自分でも思う。


 二人が外に出ると、雨はすっかり上がり、澱んだ空気を一掃させていた。
「お、けっこう気持ちいいな」
 涼しい風に静也は目を細める。
 ふと秋の気配を感じるが、一旦鎮まっていた蝉が再び騒ぎ始め、夏がまだまだ健在であることを知らしめていた。
 黄昏てきた陽光が雲間から顔を出し、濡れたアスファルトの道を輝かせる。

「何が食べたい?」
「やっぱり肉だろ」
「肉と言えば」
「ステーキだろ」

 精進料理が続き、今日のお昼はそうめんだったから、ここいらでガツンとお肉を食べたくなるのは、健康な若い男子としては至極もっともな要求である。

 商店街ではお休みしているお店もあったけど、スーパーマーケットは通常開店していた。
 まずは、そこのお肉売り場に行く。
 お値段と相談しつつも和牛はさすがに手が出ないので、やわらかいと評判のオージービーフにする。

 そしてサラダ用の野菜、明日の分の食材も買っておく。
 デザートは涼やかなわらび餅を選んだ。

 ということで、その夜はエアコンをガンガンかけて、牛ステーキを焼いた。
 ジュウジュウとおいしそうな音に食欲がそそられる。

「でもステーキって、思いっきり洋風だよな……」
「あら、わさび醤油でいただくから、半分和風よ」

 理沙はミディアムに焼き、皿にステーキを置く。
「さ、熱いうちに早くいただきましょ」

 精進料理が続いていたので、久しぶりの肉に思わず舌鼓。
 盆棚には、肉は供物としていかがなものかということで和菓子のみのお供えだ。

「やっぱ牛ステーキはサイコーだね」
 そして肉といえば赤ワイン。例により安物のテーブルワインだけど、これで充分。
 もちろん、静也だけがいただき、妊娠中の理沙はうらめしそうに、ただの炭酸水を口にしていた。

 デザートは冷蔵庫に入れて冷やしておいたわらび餅。きな粉をまぶし、トロリとした黒蜜をかけて食べる。
「ん~、これぞ夏の味わいね」
「ちょっとカロリー摂り過ぎか」
「ま、これから思いっきり夜更かしするし、エネルギー補給ということで」

 明日も休みだ。理沙はテレビ、静也は読書、それぞれ時間を気にすることなく心置きなく楽しみ、極楽気分でお盆3日目を過ごしたのだった。 

  ・・・
『夢』

 青空が広がる木陰の下。ベンチに座り、木漏れ日を浴びながら、静也はおにぎりを頬張っていた。
 両隣には父と母がいた。

 ――ここはどこだっけ? 
 周りを見回すと、両親がよく遊びに連れて行ってくれた遊園地だった。

 家族皆でお弁当をつっつく。
 母の作ってくれたおにぎりは格別だ。
 父はそのおにぎりについてうんちくを垂れていた。

 おにぎりは――
 弥生時代の遺跡からお米の塊が発見されたことから、すでにその頃から存在していたとか、
 海苔を巻いて食べるようになったのは江戸時代からだとか。

 母は苦笑しながらも聞いていた。
 そんな両親を見ながら、静也はなぜか懐かしい気分を味わっていた。

 お弁当を食べ終わり、静也はメリーゴーランドへ向かった。父と母に一緒に乗ろうと誘うけど、首を縦に振ってくれない。
 なので仕方なく静也一人で乗ることになった。

 メリーゴーランドに乗った時、両親の姿が後ろのほうへ流れ、見えなくなった。心配で静也の心臓がきゅっと縮む。
 でも、しばらくすると、前方に両親の姿が現れた。静也はホッと胸をなでおろす。

 メリーゴーランドを降りると、空がいつの間にか茜色になっていた。もう夕方だ。
 ちょっと心細くなった静也は、父と母の間に入り込み、両方と手をつなぐ。

「まだ帰らなくていいの?」
 そう訊くと、父と母は笑顔で頷き、遠くを指さした。その方向には観覧車があった。
「最後にあれに乗ろう」

 両親と手をつなぎながら、静也は観覧車を目指した。
 茜色の空は次第に暗くなっていき、遊園地のあちこちに色とりどりの灯りが燈る。

 観覧車乗り場へ着いた時には夜になっていた。
「一緒に乗ってくれるの?」と訊くと、父と母は笑顔で頷いてくれた。
 ……嬉しかった。

 両親と一緒に観覧車のゴンドラに乗り込む。静也ははしゃいだ。

 観覧車はゆっくりと動き出し、上へ上へと静也と両親を運ぶ。
 やがて煌めく街が見えてきた。

 静也と両親が乗ったゴンドラが一番天に近づいた時――眼下の夜景がまるで夜空に輝く星のように映った。
 あまりの幻想的な美しさに静也はしばし見入った。ふと空へ目を移すと、満天の星が光を放っている。

「きれいだね」
 静也は父と母のほうへ目をやった。

 けれど、そこには誰もいなかった。さっきまでいたはずの父と母がいない。
 静也は慌てた。不安で心がいっぱいになる。
 その間にもゴンドラは少しずつ地へ降りていく。

 父と母は自分を置いてどこへ行ってしまったのだろうか。

 ようやくゴンドラが地へ着き、静也は急いで降りる。
 ふとその目の前に、理沙と抱っこされている子どもがいた。

 お家に帰ろう。
 そう言われたような気がして、静也は頷く。
 子どもだったはずの自分が、なぜか大人になっていた。

 夜空の星は輝き続け、静也と理沙とその子どもが家路に就く足元を照らす。いつしか静也の心からは不安が消え去っていた。

   ・・・

 そこで目が覚めた。
 鮮明な夢を見ていた自覚はあるのに、どうしてもその内容を思い出せない。

 だけど、なぜか静也の心に温かいものが宿っていた。
 どんな夢だったんだろう……。

 ふと隣を見ると、理沙が寝息を立てて眠っていた。

 夜明けまでまだ時間がある。
 夢の続きが見られるかもしれない――静也は再び、目をつぶった。  

   ・・・

 お盆最終日16日。
 相変わらず日差しは強く、道端に濃い影を落としていた。

 この日も二人はまったりと朝寝坊。
 朝食兼昼食は蒸かしたトウモロコシだ。
 質素な食事に思えたが、なかなかどうして……ちょっとお塩をふりかけ、かぶりつくと――
「んまいっ」
「よね~」
 トウモロコシのほのかな甘さが口に広がる。

 デザートは桃だ。
 静也は皮を剥くとそのままかぶりついた。この食べ方が好きなのだ。
 瑞々しく甘い果汁がポタポタと皿に落ちる。

 桃っていうとやっぱ理沙をイメージしてしまうよな……と、ちょっと不埒なことを思いながら食べ終えた。

 その後、静也は風呂掃除に励む。
 さっきの不埒な気分を引きずり、浴槽を磨きながら理沙の肉体を思い浮かべ、ついついこう口遊んでしまった。
「太ももふっくら、お腹もふっくら、ダブルでふっくら~♪」

 そこでふと思う。太ももは2つあるのだから、全部合わせれば――
「トリプルふっくら~♪……になるのかな」
 手を止めてつぶやく。

 そこへ――
「何? ダブルでふっくら、トリプルふっくらって?」

 ギョッとして振り向くと理沙がいた。
「え……いつから、そこに?」
「今だけど?」

 ここで静也の頭がめまぐるしく働く。どうやら『太ももふっくら、お腹もふっくら』の箇所は聞いていないようである。ならば、ここはごまかすのが得策。

「あの、その、ほら……この間、ペットショップでつがいの文鳥、見ただろ。ふっくらして、かわいかったよな。まさにダブルでふっくら」
「ああ、あれ」

 理沙は『ふっくら文鳥』を思い出した。
 でもペットショップをのぞいたのは6月だ。なぜ今頃そんなことを? と疑問に思ったものの、あの2羽の文鳥がかわいかったのは確かだ。
 あの時は暇つぶしにペットショップに寄っただけだけど、見ているうちに欲しくなり……でも、その場では決めず「また改めて」と店を出て、結局それっきりになってしまっていた。

 静也を半眼で見つめながら、理沙はさらに問うた。
「トリプルふっくらは何?」
「ええと、ほら……ハムスターもいて、3匹丸くなっていたじゃんか。トリプルふっくら」
「ああ、ハムスターもかわいかったよね」

 理沙は同意するものの、ふと疑問に思った。

「あれ、丸くなっていたの3匹だったっけ?」
「オレは3匹と記憶している」
「そうだったっけ? もっといたような……」
「何匹いたかは、たいした問題じゃないだろ」
「ま、そうだけど」

 つまり、ペットショップにいた『ふっくら文鳥』と『ふっくらハムスター』のことを「ダブルでふっくら、トリプルふっくら」と口ずさんでいたと静也は言う。
 何かごまかされている気もしないではない理沙であったが、あの時の文鳥とハムスターを思い出し、また欲しくなってしまった。ペットを飼うのは子どもの情操教育にもいいかもしれない。

「やっぱり飼おうか。小鳥かハムスターなら、このマンションOKだし」
「そ、そうだなっ」
「どっちにしよう?」
「理沙の好きなほうにしろよ」
「迷うなあ」

 どちらを選ぶか――理沙の関心は文鳥とハムスターへ向き、静也が何かごまかしている気がしたことは頭の隅に行ってしまったようだ。
 理沙はそのまま浴室から去り、静也の小さな危機も去った。

 風呂掃除を終えた静也は、浴槽に湯を張り、昨日と同じ薄荷湯にして存分に楽しむことにする。

「文鳥か、ハムスターか」
 さわやかな香りが立ち上る湯に身をまかせ、さっきの理沙との会話を振り返る。
 理沙の好きにしろよ、とは言ったものの、静也としては白文鳥のほうを推したかった。

 実は白くてふんわり、やわらかそうなものが静也の好みでもあり、白文鳥のふっくらしたお腹に心惹かれるものを感じていた。

 そんなことを考えつつ、つい長湯。
 のんびりと贅沢なひと時を味わった。

 静也に続いて、理沙も薄荷湯でくつろぎ、汗を洗い流す。
 浴室の窓からは相変わらずの蝉の声。夏はまだまだ続きそうだ。

 この日は夕方になっても、外は昼間の猛暑を引きずり、ねっとりした熱気に包まれていた。
 今日の二人はどこにも出かけず、エアコンフル稼働の涼しい部屋でゆったり過ごす。テレビのニュース番組では帰省先から帰ってくる人たちが取り上げられ、渋滞の凄まじさを伝えていた。

「いつも思うけど、帰省って一大仕事だな」
「明日から仕事の人は大変そうだね」

 帰省先がない二人は他人ごとのようにつぶやきつつ、冷やした白玉に小豆餡子をかけて食べる。
 白玉は精霊が帰る時の手土産となるので、盆棚にもお供えする。

 空が黄昏色となり、徐々に夜へと近づいていく。
 部屋の灯りと共に、玄関に置いてある提灯を送り火として燈しておく。

 晩ご飯は、胡麻ダレの冷やし中華にした。
 具は卵に胡瓜にトマト、生わかめ、油揚を焼いて細切りにしたものを乗せ、海苔を散らす。

 理沙はこれだけでも良かったが、静也のお腹は満足しないだろうと、昨日の牛ステーキを焼いた時の脂を出汁にして、ジャガイモと人参と椎茸と蒟蒻を甘辛に煮た。
 いわば肉なしの肉ジャガだ。肉の脂は使ったけど、具は肉魚なしなのでギリギリ精進料理とした。
 そして昨日の余ったご飯を冷蔵庫から出し、レンジで温める。

 こうして食卓には、冷やし中華と肉なしの肉ジャガとご飯が並んだ。
 ちぐはぐなメニューだけど栄養バランスはまあまあだ。それなりに満腹感を得られ、二人はごちそうさまと手を合わせた。

 ということでお盆休みを振り返ってみれば、食べてばかり、くつろいでばかり……たまに棚盆に目をやり、お線香を焚いたり、お供えをするだけだったが、これで良しとした。

 お盆ももう終わり。寝る前に玄関と盆棚に置いた提灯の灯りを消す。
 やわらかく二人を照らしてくれていた光りがスッと去っていき、静也と理沙はふと寂しい気分を味わう。

 けれど……
 もしも亡くなった家族の霊が来ていてくれたのだとしたら、この二人の幸せな姿を見て、安心して帰っていっただろう。

 ――家族との縁は、今までもずっとつながっていたのかもしれない。






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