七夕の願い [本編「~縁」(短編連作小説集)]
短編小説「縁」本編・14編目
※目次ページはこちらhttp://hayashi-monogatari.blog.so-net.ne.jp/2016-10-28
今回はアラフォー独身女・小林和江が主人公。
そう、番外編「お彼岸―アラフォー女子の幸せ」および本編8編目「悩ましき桃の節句」に登場し・・・
妊娠した理沙へマタハラを行ったとして、その夫である静也からも嫌悪されている小林主任だ。
しかし彼女には彼女なりの考え方があるのだった。(4750字)
では、以下本文。
・・・
七夕の夜。小雨に濡れる閑静な住宅街に外灯のぼんやりした明かりの下に姿を現す2階建ての家。
その玄関口で小林和江は傘を折りたたみ、ドアを開けた。
靴を脱ぎ上り框に足を乗ると、ある種の緊張感から解かれ、心が弛緩する。
「ただいま」
和江は台所を覗き、母に声をかける。
「おかえり」
今年64歳になる母の声と共にコトコト音を立てる鍋の音と夕餉の匂いが和江を包む。
「先にシャワー浴びてくるね」
早く化粧を落としたい。武装を解き、外でかぶってきた様々なものを洗い流したい。
和江は踵を返し、浴室に向かった。
和江の父が亡くなってから5年。
今現在、和江は父が遺してくれた家で母親と二人で暮らしている。
母親にあれだけ可愛がられていた4つ年下の和江の弟は、結婚してからあまり家に寄りつかない。
完全に嫁の尻に敷かれているようで、年に1回、正月だけ一家でやってきて、そそくさと帰っていく。
「そりゃ、小姑がいるんじゃな」と弟は和江の所為にする。
「じゃあ、あんただけでも、小まめに顔を出せばいいじゃない」と言っても、「姉貴がいるからいいだろ。オレがいても話すこと、あまりないし」とお茶を濁して逃げてしまう。
子育てって無償の愛がなせる業よね――和江はつくづく思う。
和江の弟は小さい頃、小麦や卵のアレルギー持ちで、母親は食事にも気を遣っていた。病気がちでもあり、しょっちゅう病院通いをしていた。
当時、学校をよく欠席する和江の弟はイジメの標的にされ、登校拒否にもなったこともあった。
母親の心労はただならぬものだったに違いない。
そんな苦労の連続だった子育てが落ち着いたと思ったら、今度は母方父方のそれぞれの親の介護が待っていた。
公の施設はなかなか空きがなく、高額な民間の介護付き施設には経済的に手が届かない。その当時、家のローンに、学生だった和江と弟の教育費も嵩んでいたからなおさらだ。
20年以上に及ぶそれぞれの親の連続介護が終わり、そして和江の父も亡くなり、和江の母は家族の世話から解放された。
しかし、ようやく自由を得たものの……ダンスや水泳、絵画、手芸の類など、いろんな趣味に手を出してみたが長続きしない。
「歳とってから新しいことに挑戦しても、なかなか上達しないから、そのうち嫌になってしまうのよ」
母はそう言って苦笑する。
――家族の世話に費やされてきた母の人生――
和江はシャワーを浴びながら、母のことを思う。
・・・
和江の父は仕事人間で子育てに無関心だったけど、その分、母は教育熱心だった。
まるで自分が叶えることができなかった何かを子どもに託すように、和江と弟は学習塾のほかピアノ、英会話なども習わせられ……母はそういったお稽古事や塾の送り迎えもやってくれた。
和江はそこそこのレベルの大学を卒業し、公務員としての職を得た。
氷河期世代としては頑張ったほうだろう。
現在の和江の役職は主任だ。
なので今は、その上の副主査を目指している。
市役所務めとなり安定した職を手に入れた和江を、母は喜び「あとは結婚ね」とお決まりの言葉を口にしていたが、残念ながらこっちのほうは上手くいっていない。
未だ独身の和江はこの7月で39歳になる。
結婚については母の思い描くような『良い子』にはなれなかった。
一方、大手の食品関係企業へ就職した弟のほうは結婚し、子どもを設けた。
孫の顔は、弟夫婦がたまに見せてくれるので、母にはそれで勘弁願いたい。
そう、実は……
和江は、子どもがそれほど欲しいとは思ってない。
母のように家族の世話に明け暮れる生き方は、和江にはできないからだ。
結婚しても仕事は続けたい。
経済力を手放すようなリスクは冒せない。
経済力さえあれば、介護も何とかなる。和江はコツコツ貯金をし、それを元手に投資をし、資産運営してきた。
子どもをあきらめれば、子育てにかかるお金をそのまま貯金にまわせるし、母親の介護費用も含め、和江自身の老後に備えられる。
介護と仕事との両立が難しくなれば、この家と土地を売り、高額だけどサービスの質のいい、順番待ちのない民間の施設のお世話になればいい。
経済力は人生の命綱。
和江は仕事を手放せない。
だから、子どもなしの結婚を望んでいるのだが、それでもいいと言ってくれる相手がなかなかいなかった。
世間は、仕事と育児を両立させればいいと簡単に言うけれど、それには母を頼らなくては無理だろう。
けど和江はこれ以上、母に家族の面倒を見させるのは酷だと思っていた。特に小さい子どもの世話はハードだ。
専業主夫はレアケースであり、和江自身、専業主夫になるような男に惹かれないし、そんな男とは恋愛できない。つまり結婚も論外だ。
子育てを夫側の両親に助けてもらうことも考えられない。何かと摩擦が起きるだろうし、頼みづらい。夫側の両親もそれなりに歳をとっているだろうから、小さい子どもの面倒はキツいはずだ。
そう、和江は誰かに迷惑をかけてまで、子どもを持ちたいとは思っていなかった。
そもそも子どものことを優先できないのならば、子どもを持つ資格はない。
世間では『仕事と家庭・育児を両立させている女性』いわゆる『働くママ』がもてはやされているけど、実家や配偶者の両親の助けなしで、それを実行できている人はどれくらいいるのか?
ふと和江の頭に、悪阻の時に仕事をよく休んでいた四条理沙のことが浮かんだ。出産後も仕事を続ける気かしら? と。
四条夫妻は共に両親がいないと聞いている。
となると育児と仕事の両立は相当厳しい。子どもが病気になれば保育園は預かってくれない。毎月、熱を出す子どももいるという。その度に何日も仕事を休む気かしら?
そのしわ寄せは当然、和江たちにくるだろう。
それが『残業』となって自分の時間が奪われるとしたら……和江は眉をひそめる。
人生をやりくりして獲得した自由時間が、他人の家庭の事情で浸食されるのは納得できなかった。
ただ、こんなことを声高に言うと和江が悪者になる。
昔でいう『怖いお局様』というレッテルを張られ、世間から「年増の独身女が意地悪をしている。嫉妬している」と見られかねない。
けれど、ハラスメントをしているのはどっち? と和江は思う。
まだまだ年増の独身女性は生き辛い世の中だ。
家族のために人生の大半を捧げる生き方――和江には到底、真似できない。
だからこそ母を尊敬もしていた。
和江の母は誰にも迷惑をかけずに、家のことを黙々とやってきた。やりたいことを我慢し、家族優先、子どものことを優先にして生きてきた。
仕事人間の和江の父は家庭を顧みず、家に帰ってきても、疲れた顔をし、ほとんど口を開かなかった。家には食事と入浴と寝るために戻るだけだ。
母との間に連絡事項以外の会話はなかった。
もちろん和江の父も、心の中では母に感謝していただろう。
でも、それを表現することはなく、仕事優先の人生を歩んだまま、突然、心筋梗塞で亡くなってしまった。
父の人生は会社に捧げられた。
父の居場所は最後まで会社だった……。
その父が亡くなった時、和江の母はポツンとつぶやいた。「私は何だったんだろうね」と。
和江は今でも忘れられない――昔、家事の合間に母が度々吐いていたため息を。
毎日繰り返される終わることのない単調な家事雑事。
それは度々、母の心を萎えさせたのではないだろうか。
ただ、和江の父は経済面で家族に苦労させることはなかった。母が十分に暮らしていける財産も遺した。
父が亡くなってしばらくの間、母はぼんやりと過ごしていた。
その間、家の中が散らかり、汚れていった。
和江は、食事も満足にしていない様子の母が心配になり、一人暮らしをしていたマンションを引き払い、母と同居することにした。
休日は、母を外へ遊びに連れ出した。ちょっとしゃれたレストランでの外食や観劇に旅行。
母に外の世界がいかに刺激的で楽しいか、誰にも遠慮することなく満喫してほしかった。
やがて、母に笑顔が戻った。
きちんと食事を作るようになり、部屋を片付けるようになり、自分を大切にし、自分の生活を楽しんでいる様子に、和江もホッとした。
もちろん和江だって、時間がある時は家事を手伝うようにしている。介護が必要になれば、できるだけのことはするつもりだ。
だから、それまでは仕事をがんばりたい。役職で給料も違ってくるし、昇進試験の勉強もしなければならない。けっこう忙しい。
和江は常々疑問に思っていた。
子どもをあえて持たない、結婚も無理してしようとは思わない自分のような生き方を利己的・我がままだと言う人がいるけど、じゃあ、子どもが熱出す度に仕事を休んだり、早退したりして、同僚に迷惑をかける『働くママ』は違うの? と。
――私は自分ができそうもない生き方を選ばないだけ。誰かに迷惑をかけたり、責任持てない生き方を選ばないだけ。
なのに、そういう生き方は悪く見られたりする。だから世間の価値観に染まっている人たちに対し、厚い壁を作って自分を守ってきた。
それもあって世間が良しとする価値観に合致した『働くママ』に厳しくなってしまうのかもね……。
和江は苦笑する。
――何かを得るには、何かをあきらめなくてはいけない……。
人にはそれぞれ「これだけは欲しい」「これだけは譲れない」というものがある。
それは『家庭や子ども』だったり、『仕事』『趣味』『自分のスキルを磨くこと』だったりする。
ちょっと昔は「あれもこれも欲しい」と全てを手に入れた人が勝ちだと言って、そういう生き方を目指そうという空気があったけど、パーフェクトな人生などありはしない。
自分にとって『本当に欲しいもの』を見つけて、それを選ぶことができれば御の字だ。
何を選ぶか、世間の価値観に振り回されないようにしたい。
シャワーを止めると、今まで掻き消えていた雨の音が鼓膜に微かに届く。
外は相変わらず小雨がぱらついているようだ。
母の事や自分の人生に、つい物思いに耽ってしまった七夕の夜。
この天気では、天の川どころか星ひとつ見えないだろう。それでも――
「せっかくだから『いい縁にめぐり会えますように』とでも願ってみようかしら」
でも……その縁とは、見えない天の川に遠く隔てられているような気がする……。
おそらく手にすることは難しい縁。
それが現実だと和江自身、よく分かっている。
それでも自分がいいと思った道を行くしかない。
どの道を選んでも、そこには必ずプラスとマイナスがある。
それを見極め、周りに流されずに、自分で選択する。後悔はしない。
ふとため息が漏らしながら、濡れた体を拭く。
浴室を出ると「ご飯よ」と母の声が聞こえた。
武装を解いた和江の頬が緩む。
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今回はアラフォー独身女・小林和江が主人公。
そう、番外編「お彼岸―アラフォー女子の幸せ」および本編8編目「悩ましき桃の節句」に登場し・・・
妊娠した理沙へマタハラを行ったとして、その夫である静也からも嫌悪されている小林主任だ。
しかし彼女には彼女なりの考え方があるのだった。(4750字)
では、以下本文。
・・・
七夕の夜。小雨に濡れる閑静な住宅街に外灯のぼんやりした明かりの下に姿を現す2階建ての家。
その玄関口で小林和江は傘を折りたたみ、ドアを開けた。
靴を脱ぎ上り框に足を乗ると、ある種の緊張感から解かれ、心が弛緩する。
「ただいま」
和江は台所を覗き、母に声をかける。
「おかえり」
今年64歳になる母の声と共にコトコト音を立てる鍋の音と夕餉の匂いが和江を包む。
「先にシャワー浴びてくるね」
早く化粧を落としたい。武装を解き、外でかぶってきた様々なものを洗い流したい。
和江は踵を返し、浴室に向かった。
和江の父が亡くなってから5年。
今現在、和江は父が遺してくれた家で母親と二人で暮らしている。
母親にあれだけ可愛がられていた4つ年下の和江の弟は、結婚してからあまり家に寄りつかない。
完全に嫁の尻に敷かれているようで、年に1回、正月だけ一家でやってきて、そそくさと帰っていく。
「そりゃ、小姑がいるんじゃな」と弟は和江の所為にする。
「じゃあ、あんただけでも、小まめに顔を出せばいいじゃない」と言っても、「姉貴がいるからいいだろ。オレがいても話すこと、あまりないし」とお茶を濁して逃げてしまう。
子育てって無償の愛がなせる業よね――和江はつくづく思う。
和江の弟は小さい頃、小麦や卵のアレルギー持ちで、母親は食事にも気を遣っていた。病気がちでもあり、しょっちゅう病院通いをしていた。
当時、学校をよく欠席する和江の弟はイジメの標的にされ、登校拒否にもなったこともあった。
母親の心労はただならぬものだったに違いない。
そんな苦労の連続だった子育てが落ち着いたと思ったら、今度は母方父方のそれぞれの親の介護が待っていた。
公の施設はなかなか空きがなく、高額な民間の介護付き施設には経済的に手が届かない。その当時、家のローンに、学生だった和江と弟の教育費も嵩んでいたからなおさらだ。
20年以上に及ぶそれぞれの親の連続介護が終わり、そして和江の父も亡くなり、和江の母は家族の世話から解放された。
しかし、ようやく自由を得たものの……ダンスや水泳、絵画、手芸の類など、いろんな趣味に手を出してみたが長続きしない。
「歳とってから新しいことに挑戦しても、なかなか上達しないから、そのうち嫌になってしまうのよ」
母はそう言って苦笑する。
――家族の世話に費やされてきた母の人生――
和江はシャワーを浴びながら、母のことを思う。
・・・
和江の父は仕事人間で子育てに無関心だったけど、その分、母は教育熱心だった。
まるで自分が叶えることができなかった何かを子どもに託すように、和江と弟は学習塾のほかピアノ、英会話なども習わせられ……母はそういったお稽古事や塾の送り迎えもやってくれた。
和江はそこそこのレベルの大学を卒業し、公務員としての職を得た。
氷河期世代としては頑張ったほうだろう。
現在の和江の役職は主任だ。
なので今は、その上の副主査を目指している。
市役所務めとなり安定した職を手に入れた和江を、母は喜び「あとは結婚ね」とお決まりの言葉を口にしていたが、残念ながらこっちのほうは上手くいっていない。
未だ独身の和江はこの7月で39歳になる。
結婚については母の思い描くような『良い子』にはなれなかった。
一方、大手の食品関係企業へ就職した弟のほうは結婚し、子どもを設けた。
孫の顔は、弟夫婦がたまに見せてくれるので、母にはそれで勘弁願いたい。
そう、実は……
和江は、子どもがそれほど欲しいとは思ってない。
母のように家族の世話に明け暮れる生き方は、和江にはできないからだ。
結婚しても仕事は続けたい。
経済力を手放すようなリスクは冒せない。
経済力さえあれば、介護も何とかなる。和江はコツコツ貯金をし、それを元手に投資をし、資産運営してきた。
子どもをあきらめれば、子育てにかかるお金をそのまま貯金にまわせるし、母親の介護費用も含め、和江自身の老後に備えられる。
介護と仕事との両立が難しくなれば、この家と土地を売り、高額だけどサービスの質のいい、順番待ちのない民間の施設のお世話になればいい。
経済力は人生の命綱。
和江は仕事を手放せない。
だから、子どもなしの結婚を望んでいるのだが、それでもいいと言ってくれる相手がなかなかいなかった。
世間は、仕事と育児を両立させればいいと簡単に言うけれど、それには母を頼らなくては無理だろう。
けど和江はこれ以上、母に家族の面倒を見させるのは酷だと思っていた。特に小さい子どもの世話はハードだ。
専業主夫はレアケースであり、和江自身、専業主夫になるような男に惹かれないし、そんな男とは恋愛できない。つまり結婚も論外だ。
子育てを夫側の両親に助けてもらうことも考えられない。何かと摩擦が起きるだろうし、頼みづらい。夫側の両親もそれなりに歳をとっているだろうから、小さい子どもの面倒はキツいはずだ。
そう、和江は誰かに迷惑をかけてまで、子どもを持ちたいとは思っていなかった。
そもそも子どものことを優先できないのならば、子どもを持つ資格はない。
世間では『仕事と家庭・育児を両立させている女性』いわゆる『働くママ』がもてはやされているけど、実家や配偶者の両親の助けなしで、それを実行できている人はどれくらいいるのか?
ふと和江の頭に、悪阻の時に仕事をよく休んでいた四条理沙のことが浮かんだ。出産後も仕事を続ける気かしら? と。
四条夫妻は共に両親がいないと聞いている。
となると育児と仕事の両立は相当厳しい。子どもが病気になれば保育園は預かってくれない。毎月、熱を出す子どももいるという。その度に何日も仕事を休む気かしら?
そのしわ寄せは当然、和江たちにくるだろう。
それが『残業』となって自分の時間が奪われるとしたら……和江は眉をひそめる。
人生をやりくりして獲得した自由時間が、他人の家庭の事情で浸食されるのは納得できなかった。
ただ、こんなことを声高に言うと和江が悪者になる。
昔でいう『怖いお局様』というレッテルを張られ、世間から「年増の独身女が意地悪をしている。嫉妬している」と見られかねない。
けれど、ハラスメントをしているのはどっち? と和江は思う。
まだまだ年増の独身女性は生き辛い世の中だ。
家族のために人生の大半を捧げる生き方――和江には到底、真似できない。
だからこそ母を尊敬もしていた。
和江の母は誰にも迷惑をかけずに、家のことを黙々とやってきた。やりたいことを我慢し、家族優先、子どものことを優先にして生きてきた。
仕事人間の和江の父は家庭を顧みず、家に帰ってきても、疲れた顔をし、ほとんど口を開かなかった。家には食事と入浴と寝るために戻るだけだ。
母との間に連絡事項以外の会話はなかった。
もちろん和江の父も、心の中では母に感謝していただろう。
でも、それを表現することはなく、仕事優先の人生を歩んだまま、突然、心筋梗塞で亡くなってしまった。
父の人生は会社に捧げられた。
父の居場所は最後まで会社だった……。
その父が亡くなった時、和江の母はポツンとつぶやいた。「私は何だったんだろうね」と。
和江は今でも忘れられない――昔、家事の合間に母が度々吐いていたため息を。
毎日繰り返される終わることのない単調な家事雑事。
それは度々、母の心を萎えさせたのではないだろうか。
ただ、和江の父は経済面で家族に苦労させることはなかった。母が十分に暮らしていける財産も遺した。
父が亡くなってしばらくの間、母はぼんやりと過ごしていた。
その間、家の中が散らかり、汚れていった。
和江は、食事も満足にしていない様子の母が心配になり、一人暮らしをしていたマンションを引き払い、母と同居することにした。
休日は、母を外へ遊びに連れ出した。ちょっとしゃれたレストランでの外食や観劇に旅行。
母に外の世界がいかに刺激的で楽しいか、誰にも遠慮することなく満喫してほしかった。
やがて、母に笑顔が戻った。
きちんと食事を作るようになり、部屋を片付けるようになり、自分を大切にし、自分の生活を楽しんでいる様子に、和江もホッとした。
もちろん和江だって、時間がある時は家事を手伝うようにしている。介護が必要になれば、できるだけのことはするつもりだ。
だから、それまでは仕事をがんばりたい。役職で給料も違ってくるし、昇進試験の勉強もしなければならない。けっこう忙しい。
和江は常々疑問に思っていた。
子どもをあえて持たない、結婚も無理してしようとは思わない自分のような生き方を利己的・我がままだと言う人がいるけど、じゃあ、子どもが熱出す度に仕事を休んだり、早退したりして、同僚に迷惑をかける『働くママ』は違うの? と。
――私は自分ができそうもない生き方を選ばないだけ。誰かに迷惑をかけたり、責任持てない生き方を選ばないだけ。
なのに、そういう生き方は悪く見られたりする。だから世間の価値観に染まっている人たちに対し、厚い壁を作って自分を守ってきた。
それもあって世間が良しとする価値観に合致した『働くママ』に厳しくなってしまうのかもね……。
和江は苦笑する。
――何かを得るには、何かをあきらめなくてはいけない……。
人にはそれぞれ「これだけは欲しい」「これだけは譲れない」というものがある。
それは『家庭や子ども』だったり、『仕事』『趣味』『自分のスキルを磨くこと』だったりする。
ちょっと昔は「あれもこれも欲しい」と全てを手に入れた人が勝ちだと言って、そういう生き方を目指そうという空気があったけど、パーフェクトな人生などありはしない。
自分にとって『本当に欲しいもの』を見つけて、それを選ぶことができれば御の字だ。
何を選ぶか、世間の価値観に振り回されないようにしたい。
シャワーを止めると、今まで掻き消えていた雨の音が鼓膜に微かに届く。
外は相変わらず小雨がぱらついているようだ。
母の事や自分の人生に、つい物思いに耽ってしまった七夕の夜。
この天気では、天の川どころか星ひとつ見えないだろう。それでも――
「せっかくだから『いい縁にめぐり会えますように』とでも願ってみようかしら」
でも……その縁とは、見えない天の川に遠く隔てられているような気がする……。
おそらく手にすることは難しい縁。
それが現実だと和江自身、よく分かっている。
それでも自分がいいと思った道を行くしかない。
どの道を選んでも、そこには必ずプラスとマイナスがある。
それを見極め、周りに流されずに、自分で選択する。後悔はしない。
ふとため息が漏らしながら、濡れた体を拭く。
浴室を出ると「ご飯よ」と母の声が聞こえた。
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2016-12-07 11:27
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コメント(2)
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重ね重ねすみません。
でもとてもいい作品でしたのでまたお邪魔させて頂きます。
深いです。
本音の本音が冷静に考え抜かれて完成された形でそこにあると思いました。
女性達は必ず突き付けられる問題ですよね。
自分も全くその通りでした。
本当に悩みます。
何を選んでもプラスとマイナスがありますものね。
なんとか計算してやっとの事でやりくりしている人間に、自分の欲深さのしわ寄せを押し付けて来る人を不快に感じるのは当然のことですよね。
残業のこととか。
うんうん頷きながら読み進みました。
母への愛情深さをじわ〜っと感じさせてくれて、優しさにホロっときます。
ヒロインの穏やかな幸せが大切に守られるといいなと思いました。
by 瑠璃色 (2016-12-07 13:04)
感想ありがとうございます。
こうしたコメントをいただき、うれしく思ってます。
いろんな生き方がありますよね。
そこにランク付けなどしてほしくないけれど、世間はランク付けをしたがります。
小林和江の話は、四季の2巡目から、弟夫婦も出てきて、ようやくドラマ?が始まります^^
人間、どうしても違う生き方をしている者に対し、ジャッジをし、それが気に食わないと見下してしまいますよね。
この「縁~」の登場人物の中で、おそらく和江が一番自分(誇り)を持っている冷静で強い人間かもしれません。
by ハヤシ (2016-12-07 14:52)